早稲田大学イスラーム地域研究機構では、来る12月16日(土)に下記のとおりイスラーム地域研究コロキウムを開催いたします。
今回は、現在カザフスタン共和国に留学中の長沼秀幸さんに日頃の研究成果をご報告いただきます。なお、今回は研究報告に加えまして、現地での留学レポートを行っていただく予定です。参加自由ですので、ご興味・ご関心をお持ちの方のご来場をお待ちしております。
日時
2017年12月16日(土)15時〜18時
場所
早稲田大学 早稲田キャンパス9号館1階103(イスラーム地域研究機構共同研究室)https://www.waseda.jp/top/access/waseda-campus
報告者
長沼秀幸氏(日本学術振興会海外特別研究員 / カザフ国立大学)
コメンテーター
塩谷哲史氏(筑波大学人文社会系 助教)
報告タイトル
(1)カザフスタン留学レポート:現地での研究生活から
(2)19世紀初頭カザフ草原・小ジュズにおけるハン制の「廃止」:ロシアの支配体制の再編という観点から
報告要旨
本報告では、1824年にロシアがカザフ草原の小ジュズに対して行ったハン制廃止政策について、主にロシア側の視点から考察する。19世紀初頭のカザフ草原は、西より小ジュズ、中ジュズ、大ジュズという三つの部族連合から構成されていたが、当時のロシアが自らの実効支配領域として認めていたのは中ジュズと小ジュズであった。前者では1822年に、後者では1824年にハン制が廃止されたと考えられている。しかし、1822年以降、特定のカザフに対してハンという称号が即座に使用されなくなったのは中ジュズにおいてのみであり、小ジュズの最後のハン、シェルガズは、1824年以降もロシア当局からハンと呼ばれ続けた。このように1822年と1824年に実行に移されたハン制廃止政策には、ロシアが管轄する地域によって完遂のプロセスに差異があったことがわかる。つまり、それぞれの地域におけるハン制「廃止」の意味合いを改めて考察する必要があるといえる。そこで本報告では、19世紀初頭の小ジュズに焦点を当て、ハン制廃止までのロシアの対ハン政策および1824年以降形成された新しい統治体制について、ペテルブルグ中央政府とオレンブルグ県それぞれがもっていた、カザフ草原の政治・社会に関する現状認識という観点から分析する。これによって、ハン権力の草原統治への活用手法をめぐって中央政府とオレンブルグ当局との間に方針の違いがあったこと、そしてオレンブルグ当局の政策担当者たちがハン制維持を支持していたことに起因して、ハン制廃止後の統治体制はそれ以前のものと少なからぬ連続性を有していたことが明らかとなる。
当コロキウムに関するお問い合わせは、担当・秋山までメール(akiyama [at] aoni.waseda.jp )にてご連絡ください。