
光文社 初版 刊行日2022/12/20 判型 文庫刊 ページ数 322ページ ISBNコード 978-4-334-75472-3
チャールズ・ブコウスキーの自伝的小説『勝手に生きろ!』(河出文庫)では、大学を中退した主人公チナスキーがグレイハウンドバスに乗って全米を巡りながら、賃金の安い仕事に就き、飲んだくれ、時に女性と出会うも上司と喧嘩して辞め、また、次の街に向かうという過程が延々と描かれていた。
その後の時代を扱う本書『郵便局』では、放浪を止めロサンゼルスに落ち着いたチナスキーの苦闘が描写される。とにかく郵便局の人使いの荒さは異常だ。広い区域も狭い区域も、同じ時間で配り終えないと怒られる。郵便物を回収に出ても、手渡されたリストはでたらめで、なかなか作業が終わらない。
だがこの現状を変えようと少しでも抗議をすれば逆に始末書をくらい、ゆくゆくは退職にまで追い込まれる。官僚的なブラック企業のシュールさが、ブコウスキー持ち前のユーモア交じりに語られている。だから楽しくは読めるが、読後感はほろ苦い。
簡単で親しみやすい表現を使って、まるでスタンダップ・コメディのような調子で綴られている彼の作品だが、実は先行する多く作家たちの作品に影響を受けている。ドストエフスキーやクヌート・ハムスン、ジョン・ファンテなど、数え上げればきりがない。
ブコウスキーはこうした人々から己の苦悩や恐れ、恥を残らず読者にぶちまける文体を学んだ。そして彼のこの挑戦が、その後のアメリカ西海岸の文学的伝統となった。ヨーロッパ的洗練を思わせる東部の文学とも、白人と黒人間の人種的な軋轢を背景とした土俗的な世界を描く南部文学とも全く違う。映画など、ほかのメディアと深く関わりながら、わかりやすく、楽しく、しかも深いカリフォルニア文学のあり方をブコウスキーは作っていったのだ。
もちろん彼独自の内容もある。その中でも最も重要なのが、父親による虐待と、それによって受けた心の傷との対話だろう。幼い頃を扱った『くそったれ! 少年時代』に詳しいのだが、ブコウスキーは実は父親に継続的に虐待を受けていた。だからこそ、精神的な苦痛から逃れるために酒に溺れ、あるいは抑圧的で理不尽な上司と戦うというテーマが、彼の作品に現れてきたのかもしれない。
彼のむき出しの作品に並んだ言葉は、読者の心の奥底にまで突き刺さってくる。時に笑い、時に共に泣きながら読んでいくうちに、気づけば読者の心をも癒やしている。だからこそ、彼の作品はこんなに長く愛され続けているのだろう。今やドストエフスキーはアメリカだけでなく、ヨーロッパや日本でも多くの読者を獲得している。彼の言葉があなたの心にも届けば幸いである。
〈研究内容紹介〉
現代アメリカ文学の紹介、翻訳。特に1990年以降の、エスニック・マイノリティによって書かれた文学作品の研究。
早稲田大学文学学術院教授
都甲 幸治(とこう こうじ)
1969年、福岡県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻(北米)博士課程修了。翻訳家・アメリカ文学研究者、早稲田大学文学学術院教授。著書に『教養としてのアメリカ短篇小説』(NHK出版)、『生き延びるための世界文学――21世紀の24冊』(新潮社)、『大人のための文学「再」入門』(立東舎)など、訳書にトニ・モリスン『暗闇に戯れて 白さと文学的想像力』(岩波文庫)、ドン・デリーロ『ポイント・オメガ』(水声社)、チャールズ・ブコウスキー『郵便局』(光文社古典新訳文庫)、『勝手に生きろ!』(河出文庫)など。
(2023年10月作成)