
歳を重ねるにつれ、人の死や重い病、認知症の話が、すっかり他人事ではなくなってきた。
先日、お世話になった先輩の知らせを聞いた。長年医療に関わっていた先輩は、元気な頃「延命治療は望まない」と明言していた。しかし認知症が進行し、口から食べられなくなり「このままだと数週間」と宣告された時、ご家族は悩み抜いた末に「胃瘻(ろう)造設」(※1)を決断したという。今は無事に手術を乗り越え、ご自宅で療養されているそうだ。
※1 体の外から胃の中に直接栄養剤を流し込む手術
昨今、もしもの時の医療やケアについて前もって話し合う「ACP(人生会議)」(※2)の重要性が叫ばれている。希望を記録し、何度でも見直せるこの取り組みは、決断を迫られる家族の負担を減らすためのものだ。しかし、日本ではなかなか普及していない。「不吉なことを口にすると現実になる」という言霊の感覚から死をタブー視する文化や、「あるがままに受け入れる」という無常観の影響もあるのだろう。
※2 Advance Care Planningの略
先輩の件を通して痛感したのは、たとえ本人が意思を示していても、いざ愛する人の命のタイムリミットを前にした家族が、それを受け入れるのは想像を絶するほど苦しいということだ。
だからこそ、人生会議は「書類に書いて終わり」ではないのだろう。変わりゆく気持ちや、どうしても揺れ動いてしまう家族の葛藤ごと、何度も繰り返し分かち合っていく過程そのものが、残される者への本当の意味での救いになるのだと思う。
(IK)
第1196回






