
高校から修士課程までお世話になった早稲田に、数十年ぶりに教員として戻ってきた。母校には中学校ができ、キャンパス内の施設も一変していた。それよりも驚いたのは、私の学生時代に比べて圧倒的に「感じの良い」学生が多いことだ。前任校もそうであったが、それが校風なのだと思っていた。「感じの良い若者が増えている現象」は、私の周囲だけで起きているわけではないだろう。私の学生時代は、今でいう“〇〇ハラ”に該当するようなことが横行していた。学生に昔話として話せないエピソードはいくらでもある。大人に対する私の学生時代の態度も、なっていなかったと反省せざるを得ない。
先日、子どもの小学校の運動会参観に行ってきた。ここでも驚いた。徒競走のゴール前には着順審判の複数の先生に加え、タブレットでゴール地点を真横から撮影する先生も。サッカーでいうところのVAR(※)である。社会が公平・公正をより重んじるようになり、それを見てきた今の学生は、年長者や周囲への配慮や人権意識は標準装備だ。一方で、公平・公正やルールから少しでも外れること、失敗することへの恐怖感も相当に大きい。
※ビデオアシスタントレフェリーの略。主審のサポートのため、映像を確認する審判員のこと。
人間同士の関わり合いは全てが美しい方程式に従って成り立つことはなく、境界線がねじれていたり、余白があったりするものだ。完璧さを目指しすぎると息苦しさにつながる。互いの抱えるいろいろを、柔らかい寛容さで受け止める。そういう場に生じる安心感から、自由な発想、突出した個性や母校愛などが生まれるのではないか。母校の後輩たちには愛と寛容さを持って向き合おうと心掛けている。でも、「何でもあり」じゃないよ。
(U)
第1186回






