「宇宙」を使い倒してもらって、多くの人に元気になってほしい
一般社団法人 SPACE FOODSPHERE 理事/事業開発部長
株式会社Space Food Lab. 取締役/CMO
一般社団法人 九州みらい共創 理事
宇宙航空研究開発機構(JAXA) 新事業促進部 企画調整課 課長
菊池 優太(きくち・ゆうた)

日本橋にある宇宙ビジネス共創拠点「 X-NIHONBASHI(クロス・ニホンバシ)」にて
日本でも世界でも注目度が高まっている「宇宙ビジネス」。ロケットや人工衛星の打ち上げにとどまらず、衛星データの活用や宇宙旅行への展望など、従来の国家主導プロジェクトに加え、民間企業の参入も目覚ましい。そんな「宇宙ビジネス」における国と民間の橋渡し役を担う人物が、早稲田大学人間科学部出身の菊池優太さんだ。国立研究開発法人であるJAXA(宇宙航空研究開発機構)の職員でありながら、宇宙食をビジネスに生かす会社にも籍を置き、他にも宇宙に関わる二つの一般社団法人で理事を務めている。いくつもの名刺を使い分ける「パラレルキャリア」を実践し、さまざまなプロジェクトにまい進する上でのこだわりは何か、話を聞いた。
学生時代に模索し続けた「宇宙軸」と「スポーツ軸」
菊池さんが宇宙への衝動に駆られたきっかけは、小学生の時。1990年、福岡県に宇宙をテーマにした遊園地「スペースワールド」が開業し、隣県・大分に住んでいた菊池少年は宇宙への思いを募らせた。さらにその2年後には、日本人初のスペースシャトル搭乗者として毛利衛さんが宇宙へ。その時の興奮は忘れられないという。
「当時は、毛利さんが宇宙に行くということで日本中が盛り上がっていましたね。スペースワールドは少年時代、最も心に刺さった場所です。スペースシャトルの実物大模型の前で、打ち上げカウントダウンを音響と振動で体感できる演出があったのですが、その瞬間に身震いしたことは今でも覚えています」
そんな宇宙少年が、天体以外でも夢中になったのは野球。いつか野球の魅力を伝える実況アナウンサーになりたいと夢を抱き、スポーツを探求できる人間科学部スポーツ科学科(※)の門をたたいた。
※スポーツ科学部は、2002年度までは人間科学部スポーツ科学科として設置され、2003年度から独立した。

写真左:1992年10月、宇宙飛行士の毛利衛氏が帰国後に宇宙授業を行っている様子。当時、多くの子どもたちに夢を与えた
写真右:幼稚園の頃、木の枝で野球の素振りをする菊池さん
「大学は『宇宙軸』と『スポーツ軸』で探し、スポーツ軸でピタリとハマったのが人間科学部のスポーツ科学科。当時は早大野球部の最強時代で、1学年上に和田毅さん(元ソフトバンク)、同学年に鳥谷敬(元阪神)や青木宣親(元ヤクルト)らがいて、他競技でもたくさんの一流選手と出会うことができた。いつもリスペクトの気持ちを持ちながら大学生活を歩んでいました」
学業以外では、野球好きが高じて自ら野球サークルを立ち上げ、野球応援サークルにも籍を置き野球に没頭。さらに、アナウンサーという目標に向けて放送研究会(公認サークル)にも所属するなど、いくつものサークルを掛け持ちした。
「放送研究会の縁で、日本テレビのスポーツ部でアルバイトできたのは大きな経験でした。大勢のスタッフが生放送という目的に向かって突き進む上で、チームの統一感がいかに重要かという学びがありましたね」
写真左:大学1年生の時に立ち上げた野球サークル「LS(ルーズソックス)」の仲間との一枚。「みんなで履こう、高校時代の青春を」がサークルのキャッチコピー。前列、右から3人目が菊池さん
写真右:大学1年生の冬から4年生まで続けた日本テレビでのアルバイトの様子。スポーツ番組のADを担当した

修士論文のポスター発表での一枚。論題は「打撃動作の正確性向上を目的とした直前試行プログラムの効用」
大学4年次の就職活動では「スポーツ軸」に加え、忘れられずにいた「宇宙軸」の両軸から、スポーツ新聞社とテレビ局、JAXAの三つで最終面接まで進んだ菊池さん。だが、結果的にはいずれも採用とはならず。その後、大学院人間科学研究科での研究活動を経た2年後の就職活動では、スポーツ報道ではなく、JAXAへの道に集中して合格をつかみ取った。
「アルバイトでスポーツ報道にどっぷり浸り、ある程度夢の一部を実現できたことも一つの要因です。ただ、その経験を通して気付いたのは、世の中を変えるようなインパクトのある仕事に携わりたいという自身のモチベーション。宇宙開発では0から1を生み出すような仕事もある。そして、世の中に知られていない領域や特殊な専門職もたくさんある。メディアも目指していた自分の強みを生かせる場もあるんじゃないかと、より宇宙軸にシフトすることでJAXAへの道が開けたんだと思います」

“パラレルキャリア”で、宇宙に対する裾野を広げていく
JAXA入社後、程なくして企画や広報の仕事で頭角を現していった菊池さん。特に、JAXAの広報的部署である「宇宙教育センター」に身を置いてからは、宇宙にまつわる専門的知識や実情について、世の中にどう分かりやすく伝えていくかに尽力していったという。
「小・中学校へ講演に行く機会も多かったのですが、ロケットについては単に話をするよりも、ペットボトルロケットを作ってみるなど実際に手を動かした方が子どもたちにはインパクトがあるし、何か気付きを与えるきっかけにもなる。そこから派生して、自分で台本を作ってしゃべれば目指していたアナウンサーの経験もできると気付き、『宇宙教育テレビ』というネット配信番組を立ち上げたり、さまざまなワークショップを企画したりして民間企業の方々ともできるだけ会うようにしていました」
写真左:茨城県の小学校で行った「防災宇宙教室」の様子。制約ある宇宙での暮らしと避難所での暮らしの共通点に着目した授業を各地で展開した
写真右:宇宙教育テレビでMCをする菊池さん(右端)。番組構成から台本まで全て自分で制作した
すると2018年、JAXAは民間事業者とのパートナーシップ型の技術開発・実証を行う共創プログラム「J-SPARC」をスタート。菊池さんはその新制度の立ち上げや設計にも関わるなど、活躍の場はJAXAの外へとさらに広がりを見せていった。
「宇宙旅行もどんどん増えていくこれからの時代、宇宙にまつわる衣・食・住でビジネスチャンスがある。『宇宙品質』という言葉がありますが、宇宙を想定した商品開発を通して新しいビジネスチャンスにもなる。特に多くの人が関心を持ちやすい食の事業はチャンスだということで、一般社団法人『SPACE FOODSPHERE』を発足し、理事として参画。それ以前から外部の人と交流を図っていたからこそ、その流れに身を投じることができました」
写真左:J-SPARCの活動で、民間ロケット開発企業とのパートナーシッププログラムを発表した時の一枚。右端が菊池さん
写真右:2020年4月、SPASE FOODSPHERE発足時のメンバーとの一枚。左から2人目が菊池さん
そのつながりから、2023年には「食×宇宙」の事業創出に取り組む「株式会社Space Food Lab.」にも参画し、取締役マーケティング担当に。さらに、「地元九州に何か恩返しを」と九州出身の宇宙関係者たちと共に「地域創生×宇宙」の事業に取り組む一般社団法人「九州みらい共創」を立ち上げて、大分県出身者の代表として理事に就任。現時点でJAXAも含めて四つの名刺を使い分ける、“パラレルキャリア”という働き方を模索している。
写真左:2025年10月、九州みらい共創主催「九州宇宙ビジネスキャラバン2025鹿児島」での宇宙食イベントで、Space Food Lab.取締役として宇宙食イベントでマイクを握る
写真右:九州みらい共創の理事を務める、九州各県の代表者との一枚。右から2人目が菊池さん。真ん中のキャラクターは『宇宙なんちゃらこてつくん』のこてつくん
「2006年にJAXAに入って、もう20年。JAXAにいるからこそ、宇宙に関わる最新情報に触れられるし、国内・海外のあらゆるネットワークも充実しています。ただ、国の研究機関であるが故に、できないことや時間がかかることもある。その間をつなぎ、いかに宇宙に対して裾野を広げていくかが、“パラレルキャリア”を通して自分が目指していくこと。どんなことでもいいので『宇宙』を使い倒してもらって、多くの人に元気になってもらう。これは四つのどの組織においても共通しているこだわりです」
日々、さまざまなプロジェクトに身を投じ、宇宙とビジネス、宇宙と未来社会をいかにつなげるかを模索している菊池さん。その忙しい日々で感じることは?
「人間、40歳を超えてもまだまだ学ぶことばかり。『40歳を超えてから変われる人は5%もいない』といった話を耳にしたことがありますが、この数年でさまざまな仕事に関わらせていただいたことで、私自身はもっともっとアップデートして、成長しなければダメだと痛感する日々です。特に、非営利団体であるJAXAでのキャリアが長い自分にとって、ビジネス面では考えや行動にまだまだ甘い部分があります。ずっとJAXAだけにいたら、そういったことにも気付かないままだったはずです」

宇宙の未来を担う学生に伝えたいことも、この「学び続ける姿勢」だ。
「40代で成長するのはなかなか大変ですが(笑)、エネルギッシュな20代は人生で最も成長できる時期ですし、いろんなことにチャレンジできる時代ですから、どんどん挑戦してほしい。未知な領域であっても挑戦する姿勢は、世代を超えて共通する『早稲田の魂』みたいなもの。いろんな世代がコラボできた方が新しいものを生み出せる可能性は高まります。ぜひ一緒に学んで、一緒に何かやりましょう!」

2005年10月、鹿児島県種子島宇宙センターで行われたJAXAの内定式で同期との集合写真。後列左端が菊池さん
取材・文:オグマナオト(2002年第二文学部卒業)
撮影:小野 奈那子
【プロフィール】

J-SPARCのパートナー候補企業に宇宙産業の動向を紹介しているところ
1981年、大分県出身。早稲田大学人間科学部スポーツ科学科、大学院人間科学研究科を経て、2006年にJAXAに入社。宇宙ビジネスの推進活動や宇宙教育活動などに従事。2020年設立の一般社団法人SPACE FOODSPHEREでは理事として、さまざまな企業や大学・自治体などとの連携活動をリード。その他、株式会社Space Food Lab.(取締役マーケティング担当)、一般社団法人九州みらい共創(理事)にも従事する。野球の「心の師匠」は桑田真澄(元巨人、2010年大学院スポーツ科学研究科修了)。











