「一人で寂しいと思ったことはない、いつもみんながいる」
早稲田大学応援部 代表委員主将
教育学部 4年 豊島 悠(とよしま・ゆう)

戸山キャンパス 37号館 早稲田アリーナ 応援部部室前にて
創設100周年を迎えた東京六大学野球連盟。その記念すべき舞台で早稲田大学応援部を率いるのは、学年でリーダー(※)が一人だけだった4年間を走り抜けてきた豊島さんです。苦しいときも部員と支え合い、全力で声を届け続けてきた姿は、「応援」の真価そのもの。そんな豊島さんに、応援部に惹かれた理由や主将としての信念を聞きました。
※応援部は、リーダー・吹奏楽団・チアリーダーズの3パートで成る。中でもリーダーは大学の応援をリードする重要な役割を担い、校旗の掲揚権を持ち、応援の指揮を執る。
――応援部に入部したきっかけを教えてください。
大学1年生の6月に応援部の練習に参加したことがきっかけです。2022年、コロナ・パンデミックの影響下で入学し、いくつかサークルに入ってみたものの、「一度きりの大学生活、本当にこれで良いのかな?」としっくりこなくて。もっと熱中できるものを求めて、初心者でもできる学内の部活動を探す中で、応援部に惹かれました。大変なことも全員で乗り越え、仲間同士で支え合う応援部の雰囲気を感じ、ここなら大学生活をささげられる、応援部に骨をうずめたいという強い熱意で入部しましたね。

取材中の豊島さん。応援部部室にて
――どのような新人時代を過ごしましたか?

新人時代の豊島さん。応援時でもマスクを着けるなど、当時はまだコロナ・パンデミックの影響が色濃く残っていた
新人の時は、毎日しんどかったですね。応援部では1年生の12月頃までの期間を、「新人」と位置付けします。その後、部員に昇格するのですが、新人時代は「ああ、今日も練習があるんだ…」という気持ちで過ごしていました(笑)。日々の練習では、応援の拍手や声の出し方から始まり、お客さんを応援に巻き込むための工夫、さらには全身を使った長時間の声出しなどを行います。自分自身が苦しい場面において、己の心を奮い立たせる精神力まで、幅広く鍛え上げていくんです。加えて、強者ぞろいの早稲田大学体育各部を応援するに足るように、ランニングや筋トレといった体力づくりにも励んでいます。
そんな中でも頑張れたのは、自分の性格が、応援部の厳しい環境でやり抜くことに向いていたからだと思っています。良い意味で鈍感で、つらいことや傷つくことがあっても、一晩寝ればリセットして「明日も頑張ろう」と思えるんです。それでも下級生時代の3年間はつらかったですが、これを乗り越えた4年生にはどんな景色が見えるのだろうかと、己を奮い立たせていました。
――リーダーの4年生は豊島さん一人だと聞きました。その状況で大変だったことはありましたか?
新人時代から一人が当たり前だったので、人数の面でしんどさを感じたことはありません。むしろ、一人だからこそ、学年内で順番が回ってくる応援練習の当番制に縛られることなく、「やるのが当たり前」という環境でした。その経験を重ねるうちに、人前に立つことへの緊張は自然と薄れていったのだと思います。
また、「なんで一人でも続けられるの?」とよく聞かれるのですが、実際は独りじゃないんです。同期はいなくても、上級生や下級生との間には強い絆があります。新人時代、一つ上の先輩が練習後によくワセメシへ連れて行ってくださり、部活での悩みに耳を傾けてくれました。自分がつらいときには部活の仲間が助けてくれて、支えてくれた。だから寂しいと思ったことは一度もないですね。
――応援部での活動の中で、特に心に残っている場面はありますか?
4年生として挑んだ2025年9月の夏合宿です。毎年、岩手県で9泊10日行われる応援部の全体合宿には、リーダー特有の「地獄巡り」と呼ばれる朝から夜までぶっ通しの練習があるんですよ。
今年は例年よりも練習時間がかなり長く、本当にきつかったのですが、それを乗り越えた時に見た景色は一生忘れられません。終わった後にはみんなで泣き合いながら「よく頑張ったな」と互いをたたえ、余韻に浸っていました。現在、2年生から4年生の部員は11名、そして新たに加わった新人が11名。特に、下級生たちが全力を尽くし、一生懸命に頑張ってくれた姿には鼓舞されましたね。彼らには最高の景色を見せてもらいました。
写真左:2025年の夏合宿でのリーダー集合写真。中央が豊島さん
写真右:「地獄巡り」でメインの練習となる走り込み。学年を越えて自分についてきてくれた部員の姿に、心を大きく動かされたそう
――応援の本番である試合に関してはどうでしょうか?
勝った試合の喜びよりも、負けた試合の悔しさの方がやはり忘れられません。特に印象的だったのは、2025年5月5日に行われた東京六大学野球春季リーグ戦での立教大学戦。延長戦の末、最後に打たれて10対11でサヨナラ負けを喫しました。応援の声は必ず選手に届くと信じているからこそ、その瞬間の悔しさもひとしおでした。
ちなみに、勝敗に関係なく試合後の会場では、応援部内での反省会が行われます。大体2時間ほど掛かりますね。上級生からは「この応援席は盛り上がりに欠けていた」「太鼓のパートが乱れていた」「腕振りの精度が甘い」といった指摘が次々に飛び交います。言葉は厳しくとも、それは全て、より良い応援をつくるための大切な時間です。
――豊島さんにとって「応援の原点」とは何ですか? 主将として一番大切にしている思いや信念を教えてください。
やはり原点は、1年生の練習会で出会った4年生の「俺についてこい!」という姿勢にあります。周囲とは明らかに違うオーラをまとい、後輩を力強く引っ張る姿は本当にかっこよく、常に自分の大きなモチベーションになっています。
応援において大切にしているのは、選手に気持ちを届けること。実際に伝わっているかは分かりませんが、伝えようとしなければ届くはずもない。だからこそ自分も全力で臨み、下級生にも「やるからには全力で」と伝えています。全力の応援が選手に響き、それが勝利につながったとき、これ以上の喜びはありません。
写真左:2025年の応援部スローガンは「心」。豊島さんが自ら考案したそうで、学ランにも刺しゅうを施している。振り付けや演奏の一つ一つに心を込め、選手を全力で応援するという熱意が刺しゅうの色にもにじんでいる
写真右:上級生になると増やせる刺しゅう。 “逞(たくま)しい根”は応援部員、“美しい花”は学生・選手たちを表しており、応援部の支柱として代々受け継がれてきた言葉だそう
――最後に、応援部の代表委員主将として早大生にメッセージをお願いします!
皆さんと一緒に声を出したいです! 応援部にとって大切なのは、いかに皆さんから声を引き出せるか。今季から始めた、応援部が叫んだ選手名や言葉に呼応してもらう取り組みは反響が良く、今後も続けていきます。まばらな声援よりも、一体となった大きな声援を選手に届けたいですからね。

全身で声援を導き、野球の応援席を奮い立たせる豊島さん。両腕を広げたその姿と真剣なまなざしからは、応援への揺るぎない情熱がほとばしっている
思い切り声を出すのって、本当に楽しいんですよ。あまりに盛り上がって「あの応援部のリーダー、すごいな」と観客に苦笑されることもありますが、笑われるくらい全力で、狂ったようにやることこそが大事だと部員にも伝えています。まだ応援に慣れていない人も巻き込みながら、応援席を爆発的な音にしていきたい。そして卒業までに、自分が思い描く「全力の応援席」を必ずつくります!
第908回
取材・文・撮影:早稲田ウィークリーレポーター(SJC学生スタッフ)
文化構想学部 3年 西村 凪紗
【プロフィール】

最上級生になった今、後輩を連れて食べるワセメシ。一番左端が豊島さん。応援部には「やるときはやる、休むときは一緒に休む」という切り替えの文化が根付いているという
神奈川県出身。私立桐蔭学園卒業。好きなワセメシは、「図星」の油そば。がっつり食べられるメニューが魅力で、ついつい足が向いてしまうのだとか。最近マイブームにしたいと思っているのはサウナ。合宿で訪れたサウナでは温度調整があまり良くなかったそうで、「整ったサウナで心と体をしっかり整えたい」と意気込んでいる。四連覇が懸かっている東京六大学野球の応援やアメフト、ラクロスなど白熱する早稲田スポーツを一緒に応援したいとのこと!