「研究費あります?」
研究室選びの際に、学生の口から出る最頻出質問の一つにして、理系教員を困らせる「アカン質問」ワースト3の一つでもある。「研究費? うちはたっぷりあるよ!」などとハシタナイ言葉、まともな大人が発せられようか? だが言わねば、「あの研究室は貧乏らしい」とうわさになる。大の大人を、そんな岐路に立たせないでほしい(私の答弁の内容は、墓場まで持ってゆく覚悟である)。
資金の潤沢な研究室に所属し、偉い先生に師事して箔をつけ、有利な条件で就活というのは、もはや向上心とは異なる。我慢してGPAを維持したのだから、「より多くの職能を付け」「友より良いところ」という対価が欲しいか? しかしこうも考えてほしい。これだけ多くの若者が学問を学んでいるのに、この世界がちっとも良くならない理由は、まさしくそこで得た「知識格差」が、学んだ者の幸福にのみに活用されているという事実にこそあるかもしれないのだ。
若者が大学の門をたたくのは、学びによって豊かな人生を得るためであろう。食いっぱぐれぬための職能は、手に入れたい「最低限の豊かさ」かもしれない。しかし、ここは大学、そして早稲田。世界が諸君に望むhonor codesには、世界を正しく愛す教養、世界を良くするアイデアの滋養も含まれる。そして研究室は、科学を消費するのではなく創る場所である。この世界は難題(やりがい)山積み。それらの解決には、「ヒロイックな努力」が不可欠である。正しい「産みの苦しみ」を教えちゃるから、さっさと観念して、コッチ側(セルフブラック〔※〕な世界線)へいらっしゃい。
※自ら進んで過酷な環境や働き方を選び、それを内発的な動機でやり抜く状態。
(DU)
第1179回