「卓球を辞めたいと思ったことは一度もない」
文学部 2年 舟山 真弘(ふなやま・まひろ)

戸山キャンパス 33号館にて
4歳で小児がんの「右上腕骨骨肉腫」に罹患した際に、右肩の関節機能を失った舟山さん。小学5年生で本格的に卓球を始めてからその楽しさに魅入られ、実力を伸ばしてきました。そして、2024年8月に開催されるパリ2024パラリンピック競技大会(以下、パリパラリンピック)への出場権を見事獲得。パラ卓球界期待の新星である舟山さんに、パラリンピック出場までの経緯や意気込み、今後の展望を聞きました。
――卓球を始めたきっかけを教えてください。
小学生の時に家族旅行で行った旅館で卓球をし、楽しさに気付いたのがきっかけです。それから卓球に夢中になり、小学5年生で地元・埼玉県さいたま市のクラブチームに入りました。埼玉県は全国的にも卓球のレベルが高く、大会に出始めた時は同年代の強い選手の実力に驚き、自分ももっと強くなりたいとのめり込むようになりましたね。
卓球は、ラケットを握る手の力加減で打った球の軌道が大幅に変わる繊細なスポーツ。だからこそ、全てがはまって得点につながったときの快感は何ものにも代え難く、それが楽しくてずっと続けています。辞めたいと思ったことは一度もありません。
――パリパラリンピック出場権獲得までのエピソードを教えてください。

インターハイに出場した時の一枚。健常者を相手に熱戦を繰り広げた
高校時代に健常者の選手と並んでインターハイ出場を達成したこともあり、大学に入ってからも自分の実力にはある程度手応えを感じていました。2023年3月にパリパラリンピックの選考レースが始まり、自分の実力を発揮しようと意気込んでいたのですが、序盤は絶不調でした。パリパラリンピックは、クラス(※)ごとに2024年3月時点の国際卓球連盟(ITTF)の世界ランキング10位までが出場できるのですが、そのランキングは各試合ごとの勝敗がポイント化されて反映されるので、試合の結果全てがパラリンピックの出場可否に直結するというプレッシャーを感じ、思うようにプレーができなくなっていたんです。このままではいけないと思い、ポイントに振り回されずに目の前の試合に集中するため、ひとまずポイントのチェックや管理は両親にお願いしました。不安がプレーに影響を与えないように乗り越えることに一生懸命でした。
また、ポイント獲得に向けて海外の大会に数多く参加する必要があったので、試合はもちろん移動にも体力を使いました。ブラジルの大会に出場した時は、飛行機での移動時間が30時間にも及びました! 海外遠征を伴う15大会が全て終わった時は、とりあえずホッとしたのを覚えています(笑)。
(※)パラ卓球では障がいごとに11のクラスに分けられている。C1~C5は車椅子を使用するクラスで、C6~C10は立って試合をするクラス。障がいが軽くなるにつれクラスの数字が大きくなり、舟山さんはC10にあたる。C11は知的障がい。
―― 選考レースで一番印象に残っているのはどの大会ですか?
2023年11月に中国で行われた杭州アジアパラ競技大会です。普段出場するパラの大会は観客が少ないことも珍しくないのですが、さすが卓球大国の中国というだけあって、会場を埋め尽くすほどの観客に囲まれていました。一つ一つのプレーに対して歓声が上がる熱狂ぶりに自分のモチベーションも高まりましたし、何よりそんな中で試合ができたことは本当に楽しく、貴重な経験になったと思います。
――パリパラリンピックの出場権を獲得した時の気持ちと意気込みを教えてください。

「イタリアパラオープン2024」の表彰式での1枚。準優勝の舟山さんは左端(写真:日本肢体不自由者卓球協会)
遅れを取るような形でスタートし、本当にパリパラリンピックに出場できるのかという不安に駆られながら大会に参加し続けてきました。だからこそ出場権を獲得した時は、まず安心する気持ちが大きかったですね。たくさんの大会に出て試合をしてきた自分の努力が報われた瞬間でした。
パリパラリンピックに出るからには絶対にメダルを獲得したいです! 今回の結果が今後の卓球人生に大きく影響すると思うので、悔いのないように頑張ってきます。
――大学進学後も卓球と学業を両立したかったそうですが、早稲田大学を志望した理由は何でしょうか?

「フランスパラオープン2023」の表彰式後に、早稲田大学卓球部出身の岩淵幸洋選手(2017年教育学部卒)と
パラ卓球の先輩方に、早稲田大学卓球部の出身の方が多かったことが大きな理由です。小学生の頃から早稲田で活躍していた先輩方のお話を聞くうちに、自分の実力を磨けることはもちろん、一般入試・スポーツ推薦入試で入学した人が分け隔てなく一緒に卓球場で練習する環境に引かれて、早稲田の卓球部に入りたいと思い早稲田大学を目指すようになりました。高校は内部進学が可能で、自由な校風が魅力の早稲田大学高等学院に進学し、今に至ります。
――スポーツ科学部ではなく、なぜ文学部を選んだのですか?
高校の時の現代文の先生がとてもユニークで、哲学的な要素を取り入れた授業をしてくださる方だったんです。それがきっかけで哲学に面白さを感じて高校の卒論を書き、大学では文学部の哲学コースを選びました。哲学を学ぶことで、今後の人生の軸になりそうな知見を得られるところが気に入っています。
また、卓球の練習と学業を両立しやすいように、卓球部の練習場がある早稲田キャンパスに近いという点も、文学部を選んだ理由でもあります。午前中に固めるように授業を組んで、午後からは卓球部の練習時間に充てることで両立を図っています。遅いときは21時頃までずっと練習をしていますね。大学生になり自由な時間が多くなったので、大好きな卓球により打ち込めるようになったことはうれしいです。

早稲田大学卓球部の集合写真。前列右から3番目が舟山さん
――今後の展望を教えてください。
現役選手としてなるべく長く活躍したいので、卒業後は実業団に所属して卓球を続けていきたいです。そのためにも、学生最後のパラリンピックとなるパリパラリンピックで結果を出せるよう、人生を賭ける気持ちで頑張りたいと思っています。
また、自分は障がいのクラスが軽いからこそ、パラと健常の間に壁があるとは感じていなくて、だからこそ自分が健常者の試合に多く出場することで「パラの選手もこれだけ活躍できるんだ!」ということを示したいです。どちらの部門の試合にも参加することで、多くの方から注目していただけるのではないかと考えています。そういった期待を頑張る原動力にして、ますます卓球の世界で躍進していきたいです。
第879回
取材・文・撮影:早稲田ウィークリーレポーター(SJC学生スタッフ)
文化構想学部 4年 田邊 紗彩
【プロフィール】
埼玉県出身。早稲田大学高等学院卒業。ファッションにこだわりがあり、趣味は古着屋巡り。さまざまな年代や種類の服に、宝物探しのように出合えるのが楽しいのだそう。