年に一度は必ず“帰省”したい第二の故郷・台湾
文学部 5年 清水 環(しみず・たまき)

日本統治時代からある、台中「宮原眼科」の前にて。おしゃれなお土産とアイスクリームが名物の観光スポット
16歳のときに家族旅行で訪れた國立臺灣大學(以下、台湾大学)。その歴史を感じる建築とヤシの並木道に一目ぼれしてからはや6年、パンデミックで留学が1年延期になり、さらに7カ月間のオンライン留学を経て、2022年3月、ようやく台湾の首都・台北に渡航。早稲田で台湾近現代史を専攻する私は、語学学習とフィールドワークを両立することを目標に、台湾留学をスタートしました。
この留学で印象深かったのは台湾史の授業です。2冊の本を10人のグループで読み、グループディスカッションを通じて最終的に論文にして発表するという課題があり、台湾の歴史について学びが深まったとともに、語学の面でも大きく成長できた授業でした。また、台湾大学は植物園のように緑豊か。期末課題に追われていたときも、夜に学内をお散歩するだけで、頭の中が整理されてリフレッシュすることができました。勉強にも集中でき、生活環境が自分に合うという点は留学においてとても重要だと実感しました。
写真左:台湾大学の名物、ヤシの並木道。通称、椰林大道(イエリンダーダオ)。卒業の時期には、この通りで多くの卒業生が写真を撮ります。突き当たり正面は中央図書館
写真右:夜は日中とはまた違った美しさに。特に雨上がりのキャンパスは、アスファルトに光が反射していて、とてもきれいでした

台湾人の友人に車で連れて行ってもらった基隆廟口夜市。規模が大きく、活気にあふれていました!
そして台湾の魅力といえば、適度な距離感を保ちつつも、基本的に親切でお節介な人が多いところ。初めて台湾を訪れた際、「自分が“よそ者”だと感じないアットホームな場所」という印象を持ったのですが、それは今も変わっていません。今回の留学で、空港に行く途中MRT(地下鉄)の中でうたた寝をしてしまったのですが、私がキャリーケースを持っているのを見た台湾人のおばちゃんが「あんた降りなくていいの? 空港着くよ!」と声を掛けて起こしてくれたおかげで、飛行機に乗り遅れずに済んだこともありました。
そんな人情味溢れる反面、選挙の際には歴史問題を巡って激しい論争が起こります。台湾はさまざまなバックグラウンドを持つ人々が住む移民社会です。表面上は互いを受け入れ共存しているように見えても、内部には答えの出ない問題が渦巻いていることを留学して実感しました。2024年の総統選挙に向けて論争がますます激化する中で、台湾を必要以上に理想化するのではなく、歴史的背景や移民社会でのアイデンティティーの確立の難しさをきちんと見つめることの重要さに気付かされる日々です。

中国語の先生と旗袍(チャイナドレス)を買いに行き、その後一緒に、高級プーアル茶を飲みに行きました
一番の思い出は、やはり台湾の人との関わりです。パンデミックで3カ月間しか現地で学ぶことができなかったため、それほど多くの場所に行けたわけではありませんが、台湾人のルームメイトと姉妹のように仲良くなって毎晩遅くまでおしゃべりしたのは良い思い出です。また、父の友人の台湾人ご一家がとても良くしてくださったおかげで、台湾にも家族がいるような気持ちになりました。いざというときに助けてくれる人がいるというのは、大きな心の支えになりました。これからは年に一度は必ず、第二の故郷・台北に “帰省”したいなと思っています。
困ったときにきちんと周りの人を頼ること。先が見えない中でも諦めず努力すること。明確な正解のない問いにチャレンジし続けること。そして、異なる価値観や文化を持つ人に寄り添い、愛すること。留学中に培ったこれらの力を、仕事でもプライベートでもあらゆる場面で生かしていくのが今後の目標です。
~台湾に行って驚いたこと~

大好きなツナの蛋餅(ダンビン)。いろいろなお店のツナの蛋餅を食べ比べました
台湾に住んでみて驚いたことは、朝ごはんを外で食べる人が多いことです。早朝からお昼過ぎまで営業している朝ごはん屋さん「早午餐店」が街のいたるところにあり、学生もビジネスパーソンも、店内で食べたりテイクアウトして学校や会社で食べたりするのが基本だそうです。特に驚いたのは、朝見たときには「早午餐店」だった場所が、夜に通ったら靴下屋さんになっており、翌朝にはまた朝ごはん屋さんになっていたことです。地価の高騰が止まらない台北で、限りある土地を有効活用するための工夫なのかなと思いました。
台湾・台北市はこんなところ
台湾・台北市は、中華民国の首都。人口は約260万人(2021年3月)。面積は約272万平方キロメートル。公用語は中国語、台湾語、客家語など。時差は日本より-1時間。一年を通して温暖な気候。6月〜9月は降水量が多く、夏が長く冬は短い。