爆売れの理由は、早稲田時代に開眼したお酒愛と
「日本中のビール好きを幸せにしたい」という思い
キリンビール株式会社 マーケティング部 京谷 侑香(きょうや・ゆうか)

キリンビール本社にて
乾杯に欠かせないビールに夢中な人物がいる。発売からわずか2年で10億本を売り上げたキリンビールの大ヒット商品「本麒麟」で、開発・マーケティング担当を務めた京谷侑香さんだ。彼女がこの大プロジェクトを任されたのは、弱冠27歳、早稲田大学を卒業してわずか5年目のこと。「Forbes JAPAN WOMEN AWARD 2019」の「ルーキー賞」を受賞するなど、さまざまなメディアでも取り上げられる京谷さんは、いかにして「すてきな乾杯の時間」を作り上げたのか? その後、結婚・出産を経て30代に突入した現在、子育てにもまい進しながら、今なお、仕事に夢中になれる秘訣(ひけつ)とは?
「音楽」と「お酒」に夢中になれた、“ごちゃまぜ”の早稲田時代
商社勤務だった父親の影響で、幼少期から米国、英国、シンガポール…とまさに世界中を渡り歩いてきた京谷さん。高校時代は多様性の国・マレーシアのインターナショナルスクールで、多国籍の仲間と触れ合う日々を過ごした。
「すごく特殊な環境にいたおかげで、文化背景が異なる人たちに囲まれる“ごちゃまぜ感”に魅力を感じている自分がいました。いろんな人と接することができるのは刺激的で楽しいなって」
写真左:早稲田への進学は、同じく校友(卒業生)であり早稲田愛にあふれた父親(右)の影響も強いという
写真右:マレーシア時代、ダンスチームの友人たちと
高校卒業まで日本での学生生活をほとんど経験したことがなかったため、大学は日本で、と決めた京谷さんが早稲田大学を志望したのも、そんな「ごちゃまぜ感」と「多様性」が決め手だった。
「数ある大学の中でも、早稲田が1番“ごちゃまぜ”のイメージが強く、多様な人が集まるところに魅力を感じたんです。文学部を選んだのも、文化の多様性が生まれる背景を知りたいと思ったからでした」
そんな京谷さんが大学時代に熱中したのは「音楽」。音楽では大学サークルの枠にとどまらず、社会人バンドを組んでレコードを出す経験もしたという。
「ブラックミュージックがすごく好きで、深夜のライブハウスで明け方まで歌うこともありました。そして私にとって、音楽と切っても切り離せないのが『お酒』。お酒って、音楽と一緒で人間の情緒の部分に寄り添えるんですよね。そして、1人でじっくり楽しむことも、みんなで集まってワイワイ楽しむこともできる。アルバイトもすてきな音楽が流れるホテルのバーで、お酒に関われる仕事を選択しました。本当に自由で、好きなことに没頭できる大学生活、自分の『好き』に突き動かされて、音楽とお酒に夢中になれたことは大きな財産です」
写真左:関西勤務の営業部時代も週末はバンド活動にいそしんでいた
写真右:早大時代、アルバイト先のホテルのバーで
就職活動にあたっては、この「お酒」に寄り添う仕事を志望した京谷さん。「中でも第一志望はキリンビールでした」と語る。
「大枠として、人類と共に歩んできたもの、人の生活を支える普遍的なものがいいなと考え、食品メーカーなども幅広く志望しました。でもやっぱり一番情熱を持っていたのはお酒で、かなうなら、父が家でよく飲んでいたので小さい頃から親しみのあったキリンビールに入りたかったんです」
迎えた本命、キリンビールの採用面接。わずか数分間の面接で自分の何を見てもらうべきか? 熟考を重ねた末に導き出した武器は、バント活動でも培った「自己アピール」の力だった。
「どんなパフォーマンスをすれば、ほんの数分でも自分の理想の人間像を出せるのか考えました。そこで、スピーチは何度も録音して同じエピソードでも1分パターン、3分パターンと用意。動画に撮ったり、鏡を前にしての練習も繰り返したりしました。たった数分間のことで悔しい思いをしたくなかったので、この準備に時間を掛けたのが良かったのかもしれないですね」

卒業式にて。夢だったキリンビールの入社を控え、期待でいっぱい! マレーシアで同じ高校を卒業し、早稲田大学でも一緒だった友人と(左が京谷さん)
こうして第一志望のキリンビールに入社した京谷さん。だが、最初に配属された営業部でぶち当たった壁は、これまで磨いてきて自信があったコミュニケーションだった。新人時代を振り返って、「死ぬほど失敗した2年間でした」と当時を笑って懐かしむ。
「とにかく商談がうまくいかなかったんです。そんな失敗続きの私に対して、当時の上司が指摘してくれたのは、『伝えることが仕事じゃなくて、結果を出すことが仕事なんだよ』と。それまでは、コミュニケーションの主役は発信者である自分。でも、社会に出て求められるのは、コミュニケーションを通じて、目の前にいるその人の行動を変え、結果を出すことが目的なんだと、遅ればせながら知ることができました」
「その人の行動を変え、結果を出す」ための商品開発
雌伏の営業部時代を経て、マーケティング部に異動した京谷さん。任されたのは、会社にとって過去10年間、10種類以上の商品を世に出しながら成功に至らなかった「第3のビール」の商品開発だった。
「まず、異動後すぐに担当した新商品は、残念ながら市場定着に至らず。次の13商品目が最後のチャンス、とされていました。そこで考えたのは、もっともっとお客さまを見よう・知ろうということ。そして出した仮説は、価格帯の安い『第3のビール』を求める人は、ビールを楽しみたいけど、日々飲むものだからこそコストも抑えたいと商品選びをしているはず。だとしたら、実は日本で一番ビールを求め、味にも厳しい人たちなんじゃないか、というものでした」
そこから、「日本中にいる一番のビール好きをおいしさで幸せにしよう」という開発テーマが決定。商品開発はもちろん、消費者が最後に手に取る瞬間のプロモーションまで、まさに「その人の行動を変え、結果を出す」ことにまい進した。そうして誕生したのが「本麒麟」だった。
「お客さまの『おいしいビールを求める気持ち』に真っ向から寄り添えるように。ある意味で愚直に、当たり前のことを本気でやろうと意識し続けました。後から、『これはキリンの本気で本麒麟なんだね』と言われたときは、全くの偶然なんですけど、あながち間違ってはいないなって(笑)」
写真左:「本麒麟」開発チームのメンバーと。「とにかくよく飲む楽しいチーム」だったそう
写真右:「本麒麟」での功績が評価され「Forbes JAPAN WOMEN AWARD 2019」の「ルーキー賞」を受賞
こうして、悲願ともいえた第3のビール「本麒麟」は、過去10年に発売されたキリンビールの新商品の中で売り上げNo.1の人気ブランドとなった。その後、京谷さんは学生時代のアルバイト先で知り合った男性とめでたく結婚し、昨年第一子を出産。育児休業を経て、今年5月に復職したばかり。現在はキリンのフラッグシップブランド「一番搾り」を担当している。
「仕事は自分の生きがいの一つなので、出産してもすぐに復帰して、またバリバリ働こうと思っていたんです。でも実際に産んでみたら、まず寝られないし、肉体的にも厳しい。保育園に預けて復職した今も、迎えに行って寝かしつけて…と、物理的に働ける時間はどうしても限られる。でも、ポジションや役割、求められる成果は前と一緒。限られた時間の中でどう自分の力を使うか、優先順位を付けるかが今の自分の成長テーマです。ただ、子どもが生まれてから、自分の人生を長い目で評価できるようになって焦ることが減ったし、毎日保育園に迎えに行くとわが子がニコニコ自分を待っていてくれて、『ああ、私生きててよかったぁ』、と思えるので、肉体的にはしんどいけれど、精神的には前よりずっと充実している気がしますね」

そんな京谷さんが見据える、これからの目標は?
「子どもを産んでより一層思うようになったのは、家庭でも職場でも、素晴らしいリーダーになりたい、ということ。それはポジションとしてではなく、一緒にいる人たちが生き生きと、前向きに成果を出せる環境を作ること。それが自分にとってもモチベーションアップになるんです。そんな“キラキラしている人”を増やせる人間になりたいと思っています。また、『一番搾り』の担当になって、前にも増して思うのは、ビールの魅力をもっと広げて、社会における価値を高めたいということ。お酒は、適切に、うれしいシーンで使うことで、人生をより豊かにしてくれるツールであり、文化だと思うんです。多くの方の生活に、幸せでおいしい瞬間を提供していきたいです」
最後に、京谷さんが考える、マーケターに必要な資質とは?
「売れる仕組みを作ることが本来のマーケティングなんですけど、これからの世の中、仕組みだけ考えても、お客さまを幸せにできないし、利益も生み出せない。むしろ、マーケティングを『未来を作る仕事』と捉えるのなら、自分自身もこれまでとは違うチャレンジをし、日々成長することが求められる。そんな“成長への意欲がある人”はマーケターに向いている気がします。また、私が知る限り、早稲田には周囲に刺激を与え刺激をもらいながら楽しめる人が本当に多かったので、今もそういうタイプの人と仕事で会うとワクワクしますし、そんな人と一緒に仕事をしていけたらいいですね」

取材・文:オグマナオト(2002年、第二文学部卒)
撮影:布川航太
【プロフィール】
1990年、東京都出身。2013年に早稲田大学文学部を卒業し、キリンビールに入社。関西地区での営業経験を経て、2016年からキリンビールマーケティング部に着任。さまざまな商品を手掛け、2018年には新ジャンル商品「本麒麟」の開発・マーケティングを担当し、過去10年で最大のヒットに導く。出産・育児休業を経て、現在はキリンビールのフラッグシップブランドである「一番搾り」を担当。