一時期、家族を訪ね毎夏ヨーロッパ「大陸」で過ごしたことがある。私が留学していた英国では人々は海峡の向こうの国々を「大陸」と呼び、そこにはどこか見下しているような調子があった。研究対象が英米であったためにアングロサクソン優越論に少し毒されていた私も、「大陸」への見方が変わった。なにせ滞在したのが最初の夏はプラハ、翌年以降はパリだ。プラハを訪れたことのある人が必ず「プラハに行け」と言い、世界中の人々がパリに恋をする、その理由が分かった気がした。両都市は中世からのヨーロッパの西と東の中心都市であり、科学、芸術、個人主義、理想の揺籃(ようらん)場だ。住民は町を愛し、誇りに思うこと限りなく、この点で匹敵するのはニューヨークぐらいか。
さて、二つの都市にはいともたやすくヒトラーのドイツ軍に占領されたという共通点がある。当時の政治家たちの恥辱の選択によって二つの都市は破壊を免れ、今も私たちは都市が昔の姿で息づくのを感じることができる。最近、そこに叡智(えいち)の働きがなかったか、と考えるようになった。都市を守るために戦うことはよく語られるが、都市を守るために戦いをやめることがもっと語られてもよい。それはどのような政治思想に基礎付けられ得るのか、ここしばらく考えている。
(I.T.)
第1127回