重要なのは、誰と出会い、どんな思い出を作るか
国際教養学部 1年 パク ダニエル ジェイウォン
「なぜ日本に来たの?」
もしこの質問を受けるたびに100円をもらえるなら、そのお金だけで大学の授業料が払えるかもしれません(早稲田だから半額分くらいかも)。でも、正直なところ、この質問にどう答えたらいいのかは、いまだに分かりません。オーストラリアは比較的住みやすい国だと思います。他の国と同じように問題はありますが、生活の質(QOL)はどこにも負けません。だからこそ「なぜ日本に来たのか」という質問は、「なぜオーストラリアを離れたのか」と聞かれているような気がします。
私はオーストラリアの大学を中退し、何をしたいかを模索していました。そんな中、アデレードで開催された「日本の“こどもの日”」というイベントでボランティアをしたときに、留学中だった国際教養学部(SILS)の学生と友達になりました。今から2年以上前のことですが、当時は、まさか自分が早稲田に留学するとは思ってもいませんでした。話を盛り上げるために普段はこのような話をするのですが、実は、母が私の人生をあまりに心配し、その心配がピークに達したことで、私は衝動的に日本へ行こうと決めたのです。母のことを愛していますが、母は母、自分は自分です。これは多くの人に共感してもらえると思います。
私は韓国で生まれ、幼いころに、より良い教育を受けるためにオーストラリアに渡りました。現在の私のパスポートはオーストラリアから発行されたものなので、自分の出身を説明する際には、しばし立ち止まって考えます。オーストラリア人の友人には韓国人、韓国人の友人にはオーストラリア人、中国人の友人には中国人みたいだと言われ、日本人の友人には風変わりな存在だと思われがちです。結局のところ、出身や見た目は重要ではなく、私たちが自分を表現するために用いがちな「ラベル」が、お互いの違いを生み出しているだけなのです。韓国、オーストラリア、日本と住んでみて気付いたのは、文化の違いは私たちが思っているほど大きなものではないということです。
オーストラリアにて。親友との一枚(左)と、早稲田から留学で来ていた友人たち(右)と
新しい場所へ行くのは挑戦的なことでしょう。言葉の壁や文化の違い、はざまに現れるあらゆる物事…。海外へ行くときに最も重要なのは、どこに行くかではなく、誰と出会い、どんな思い出を作るかだと思います。それは、新しい環境に身を置いて自分自身を深く知るチャンスなのです。私は、日本で素晴らしい人々に出会えたことをとても幸運に思っています。私は日本での生活をシェアハウスで始め、語学学校で日本語を学びました。その間、クラスメイトや一緒に住んでいた人たちとのすてきな思い出ができました。
写真左:シェアハウスの仲間と参加したフットサル大会にて(後列左端が筆者)
写真右:語学学校での思い出の一つ、クリスマスパーティー(左端が筆者)
私の早稲田大学での学生生活は、コロナ禍において始まりました。多くの新入生にとっては大変で、理想的な環境ではなかったと思いますが、私は小さなことでも楽しもうと考えるようにしました。SILSの英語による授業のおかげで心を落ち着かせることができたとも思います。オンラインの日本語クラスでは、クラスメイトと個人的な話をして仲良くなった気がしていたのに、いざキャンパスで彼らと初めて顔を合わせると、見知らぬ人のように感じたこともありました。だから、対面で行われた「セミナーB(First Year Seminar B)」と「歴史入門(Introduction to History)」の授業が好きでした。そこではとても親切な友人ができました。私は“面白い”と“風変わり”の境界にいる人間なので、親切で理解のある友人がいると助かります。また、大学の同級生たちの中では、私はかなり年上なので、若い友人たちに良い影響を与えないのではと心配になるときもあります。
私は早稲田で学ぶことができ、とてもラッキーです。高校やオーストラリアで工学を学んでいたときの先生は、正しい答えの導き方を教えてくれました。一方で、高校の歴史の先生に「Googleですぐに答えが出てくるような質問は、間違った質問だ」と言われたことがあるのですが、SILSの教授たちは、“適切な質問”をする能力を身に付けさせようとしてくれるのです。大学では、各分野のトップレベルの教授と話をする機会があると思いますが、まさに素晴らしい教授や仲間の学生たちと交流できています。これからの学生生活でも、できるだけ多くの教授や学生と会い、さまざまな考え方を吸収したいと思っています。そして、将来自分が何をしたいのか、どんな人になりたいのかを見つけたいです。

早稲田キャンパス11号館にて
~日本に来て驚いたこと~

お台場にて
驚いたのは、東京の人の多さです。コストコを訪れた際、入るために20分もの行列に並ばされた揚げ句、倉庫のベルトコンベヤーの上に乗せられ、カートでテトリスをさせられているような感覚になりました。電車の中では高齢者の方に席を譲ることがよくありますし、また、スーパーで商品を少しだけ持っている人に順番を譲ることもあります。しかし、既に3~4人が並んでいるのに1人だけを前に行かせるのは親切なことなのかと思い巡らすのです。日本に住んでみて、私は自分が思っていたより親切ではなかったことに気付きました。私はただ快適に過ごしていて、ちょっとゆとりがあっただけでした。電車の中やスーパーの列で、私は単に、失礼のないようにしようとしているだけなのです。そして、そればかりを気にして、本当の意味での親切を忘れてしまいがちです。観光客として日本に来たとき、日本人はとても親切だとシンプルに思いましたが、実際に暮らしていると、接客業の人たちが日々経験する「感情労働」のことが心配になります。また、私は空気を読めない性格なのですが、日本に住んだおかげで、少し改善されたように思います。