複言語・複文化社会に生きるパラグアイの日系人にとっての「日本語」とは
大学院日本語教育研究科 修士課程 2年
田中 康予(たなか・やすよ)
皆さんは「日本語を学んでいる人」と聞くと、どのような人をイメージしますか? 例えば、日本では外国人留学生や就労者、海外では趣味や教養として日本語を学ぶ人など、多様な学び手の姿が思い浮かぶのではないかと思います。では、彼らは何のために「日本語」を学び、「日本語」を通して、何を実現しようとしているのでしょうか。
私が研究をしているのは、日本と南米を往還するパラグアイの日系人家庭の言語政策と「日本語」の意味付けについてです。日本から飛行機で約24時間、地球の裏側ともいえるパラグアイには、今から85年前に日本から移住した日本人の子孫である日系人たちが現在7,000人ほど生活をしています。公用語はスペイン語とグアラニー語ですが、日系人の間では、家庭や地域で日本語も使われています。また日系社会の中では、子どもたちにルーツである日本を継承していくために、日本語学校が運営されています。そこでは、ひな祭りや七夕などの日本の伝統行事や、朝会や掃除の時間などの日本的な習慣を通して、子どもたちが日本語を学んでいます。
私は以前、日本語教師として、日本国内だけではなく、海外の教育現場でも経験を積みたいと思い、ボランティア活動に参加しました。その派遣先のパラグアイの町や日本語学校で、子どもや孫に日本語を学んでほしいと願う日系人の親や家族たちと出会いました。その中には、仕事のために、日本とパラグアイを往還する家族や、日本への渡航経験がなくても日本在住の親戚を通して日本とつながりを持ち続ける家族が存在していました。彼らとの出会いを通して、なぜ日本から遠く離れたパラグアイの日系人たちは、世代が変わる中でも子どもへ日本語を継承していきたいと思うのか、複言語・複文化社会に生きる彼らにとって「日本語」はどのような意味を持っているのかに興味を持つようになりました。
近年はグローバル化などの影響により、国境を越えた移動が常態化した時代となりました。移動とともに生活拠点が変わり、使用言語も変化する中で、人はことばの学びをどう捉えているのでしょうか。夢をかなえるために日本語を学ぶ留学生、日本で生き抜いていくために日本語を学ぶ難民家族、自分の意思ではなく日本にやってきた子どもたち、子どもと意思の疎通ができるようにと日本語を学ぶ母親など、今まで日本語教師として、日本語を学ぶ多様な人たちと接してきました。その中で、日本語を学ぶことは、ただ語彙(ごい)や文法を身に付けるだけではなく、彼らの生活や未来につながっていることに気付きました。そしてことばは、他者とのつながりを生み出したり、自信や可能性を広げたり、アイデンティティーを形成していくなど、その人自身と未来を創っているのだと考えるようになりました。
では、今を生きるパラグアイの日系人たちは、日本との往還を通して、先祖のことばであった「日本語」にどのような意味や思いを抱いているのか。そして「日本語」によって、子どもに何を継承していきたいのか? これらを探ることは、どのような人を育てていきたいのかにつながり、学習環境や授業のデザインなど、日本語教育に新たな可能性を見いだすことができるのではないかと考えています。
日本語教育研究科では、今まで日本語教育実践者として何気なくしていたことの意味を再考させられたり、「常識」と思い込んでいた前提に気付かされたりと、頭を揺さぶられる日々です。例えば、授業内での学習者への言葉かけ一つにしても、練習や活動にしても、そこにどのような目的や意味があり、なぜ行うのかを、授業や活動の目的に立ち返り、考えることを意識するようになりました。大学院での学びや研究、実践を通して、日本語でどのような人や社会、未来を創っていきたいのか、そのために日本語教育からどのようなアプローチができるのかを考え続けていきたいです。
ある日のスケジュール
- 07:30 起床、朝食
- 09:00 日本語教室の授業担当(オンラインや対面で、日本語学校や地域の日本語クラスを担当しています)
- 12:00 昼食
- 13:00 大学院の授業(オンライン)
- 15:00 授業の振り返り・課題
- 18:00 犬と散歩・庭仕事(良い気分転換になります)
- 19:00 夕食
- 20:00 研究活動(映画やドラマを見たり、Zoomなどで友人と話すこともあります)
- 25:00 就寝