「多摩サイ」=多摩川サイクリングロードへ出掛けた。前回は子供が生まれる前なのでなんと10年ぶりだ。
思ったより人は多いがいい感じだ。しかし、かつてはいつも海まで行っていたが挫折した。
凧揚(たこあ)げをしている父子がいた。きっと生まれて初めて凧を揚げるのだろう。父親に揚げてもらうが、糸巻きを渡されると大喜びで凧に走り寄り、落ちてしまう。
あれはゲイラカイトだ。自分が小学生の時、ケーキ屋の景品で貰(もら)って初めて遊んだ。高く飛んで、糸巻きごとさらに高く飛んで、飛んでいってしまった。泣きながら自転車で追いかけて探したが見つからなかった。いろいろあって、母がまたケーキを買ってくれた。
ゲイラカイトって、ああ、あんな形、そうか、蝶(ちょう)の形だったか。デザインも、蝶の紋様だったんだな。子供の時大好きであんなに執着したのに、気付いていなかった。40年以上記憶の中にあったイメージの真実に、今、気が付いたのか。
調べてみると、今でも買えるようだ。しかし、蝶じゃない。紋様も目ん玉で全然蝶じゃない。はははは。
結局老人(?)の悦楽とは、過去の記憶や感興を「もてあそぶ」のが可能になることではないか。それは「初めての体験」とか「衝撃的な出会い」といった、経験を得ることの喜びとはまた異なり、記憶の中を旅すること、記憶を巡りながら自己の不覚に気付くこと、そこに味わい深い面白みがある。これは「初めての経験」「衝撃的な出会い」に日々胸躍らせている学生たちを前にしたやっかみなどではない。むしろやがてそれが衰える諸君に手向けたエールなのだ。
(K)
第1093回