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“可能性が広がる早稲田”で育んだ「恐竜の研究者になる」という狭き道

時には失敗したっていい。自分の興味のあることに夢中になってほしい

福井県立恐竜博物館 研究員 関谷 透(せきや・とおる)

中国・内モンゴル自治区の恐竜化石産地に近い村の入口付近に立つモニュメントと

恐竜・化石にまつわる世界有数の博物館である、福井県立恐竜博物館。恐竜好きなら誰もが憧れるこの地で日々、化石の発掘や研究などにいそしむ研究員、関谷透さんは早稲田大学教育学部出身だ。国内では恐竜を専門的に研究できる環境が少ない中、関谷さんが早稲田を志した出発点、そして研究を続ける過程での岐路には、父や恩師からのさまざまな後押しがあった。

※インタビューはオンラインで行いました。

進路に迷ったとき、背中を押してくれた父と恩師

「こんな神秘的な生き物がいたんだ…」

小学生のとき、東京・上野の国立科学博物館で初めて恐竜の骨格を見たその瞬間から、恐竜にのめり込んだ関谷さん。中学3年のある日、進路指導の教師から「そんなに恐竜が好きなら“研究者”という道もあるんじゃないか?」と提案され、「恐竜研究者」になる夢を意識し始めたという。

だが、恐竜を学べる場も、恐竜を専門とする研究者も国内には少なく、どうすればなれるのかも分からない日々。そんな中、関谷さんの父親が購入してくれたのが国立科学博物館の冨田幸光名誉研究員の本だった。「研究者になりたいなら相談してみろ。本の後ろに連絡先が載ってるから」と背中を押してくれたのだ。

「思い切って冨田先生に電話をかけて相談したところ、『まずは日本の大学で古生物学と地質学の基礎を学び、その上で海外の大学院に留学するのがいいでしょう。古生物学を学べる大学は、日本だと東大や京大などのいわゆる旧帝大。あとは…早稲田の教育学部にも(教授が)いるなぁ』と教えていただき、目指すべき進路が絞れました」

学生時代の2003年8月、埼玉・秩父での地質調査の様子(本人提供)

結果的に早稲田大学に進学した関谷さんは、将来の恐竜研究に必要な地質学、古生物学、堆積学などの勉強にまい進。さらに、古生物学の第一人者・平野弘道教授(故人、早稲田大学名誉教授)に師事して学びを深めていった。

卒業論文では、アンモナイトが専門だった平野教授に倣い、北海道の朱鞠内湖(しゅまりないこ)にある白亜紀(※)の地層から、アンモナイトや二枚貝の化石を調べるフィールドワークを2カ月にわたって実施。その発表を終えてからしばらくたったころ、平野教授から提案を受けたのが中国の大学院への留学だった。

(※)地球の地質時代の一つである中生代(約2億5,200万年前から6,600万年前の、いわゆる恐竜が繁栄した時代)を古い方から分割して、三畳紀・ジュラ紀・白亜紀という。白亜紀は約1億4,500万年前から6,600万年前を指す。

「平野先生がわざわざ、『関谷というのが恐竜の研究をやりたがっている。面倒を見てくれないか』と、つてのある中国の先生方に相談し、話を進めてくださいました。ただ、恐竜の研究をする場合、ほとんどがアメリカやヨーロッパの大学院を留学先に選ぶため、中国への留学は日本人としては私が初めて。少し迷う部分もありました」

そんな迷いを吹き飛ばしてくれたのは、またも父親だった。

「実家でふと、『中国で学んでも職につながるか分からない…』というようなことを口にしたところ、父親に『あぁ、ビビってるんだな』と言われたんです。父はきっと、発破を掛けようとしてくれたんでしょう。僕もまんまと『なんだと…。よし、見てろよ!』と思ったわけです(笑)。もちろん、他にも留学の決め手はありましたが、また父に背中を押してもらう形になりましたね」

大学4年の2004年9月、フィールドワークで訪れた北海道にて

研究者、研究所、恩師、ゼミ仲間…つながりこそが財産

前例のない中国への“恐竜留学”。言葉の壁はもちろん、生活習慣や考え方のギャップに苦労するだけでなく、留学先の大学院は東北部に位置する吉林省にあるのに、研究・発掘する際は南西部の雲南省へと4,000km近い距離を大移動。それでも地質図を作成するため山野を歩き回ったり、化石に関するデータを収集するなど精力的に取り組んだ。

「大変でしたが、そのおかげで人とのつながりは大きく広がりました。中国には恐竜の研究者がとても多く、さまざまな大学や研究所にいる研究者たちと知り合うことができたのは大きな財産です。今でも連絡を取り合ったり、『この恐竜について一緒に研究しないか』という話をもらったりと刺激を受けています」

2015年、福井県立恐竜博物館の開館15周年記念特別展「南アジアの恐竜時代」の準備風景

5年弱の留学を経たタイミングで福井県立恐竜博物館の職員募集があり、応募した関谷さん。だが、この時は不採用となり、再び中国に渡って四川省の自貢恐竜博物館の研究職員に。2年半の研究を重ねた後、再び職員募集のチャンスが巡ってきたのだ。

「福井県は、非常に多くの恐竜化石が発掘される場所で、私自身も留学期間中に福井の発掘に参加させていただきました。そして、福井県立恐竜博物館自体が中国のさまざまな博物館や研究者と密接な関わりを持ち、共同発掘や共同研究も盛ん。この環境で、自分もきっと役に立てることがあるはず。やっぱり福井で働きたい! その一念で受けてみた結果、受かることができました」

2013年に晴れて職員となり、現在は、発掘した化石の分類などを調べる他に、標本の登録・管理といったデータベース整備や、発掘現場近くに建設された野外恐竜博物館での発掘体験補助、福井県内外でのPR展示…と、実にさまざまな業務に従事している関谷さん。時にはテレビ番組に出演することもあり、その様子を、かつて背中を押してくれた父親も喜んで見てくれているという。

「恐竜が大好きな子どもと接する機会も多いです。『恐竜の研究者です』と言うと、目を輝かせてくれるのはうれしいですね。大人になるにつれて興味は変わってしまうかもしれませんが、できればずっと恐竜を好きでいてほしい。仮に恐竜でなくても、自分の興味のあることに夢中になってほしい。そんな思いで接しています」

(左)2019年6月に博物館で行われた、恐竜ふれあい教室「親子で化石のレプリカをつくろう!」にて
(右)2019年11月の博物館セミナー「恐竜の個体差」で講師を務めた際の関谷さん

好きなものを夢中で探求し続けることで、「恐竜の研究者になる」という夢をかなえた関谷さん。そして今、現在進行形で未来を夢見る子どもたちと接しているからこそ、早稲田の学生にも「可能性が広がることをしてほしい」とメッセージをくれた。

「早稲田は学生も先生方もたくさんいるし、数が多いだけじゃなく、多様な考え方に触れることができる『可能性が広がる場所』。私の場合は平野先生に出会えたこと、平野ゼミや学部同期の仲間と先生方に出会えたことが大きな財産です。皆さんも今の環境を有効活用して、たくさんのことに興味を持ち、首を突っ込んでみてください。そうすることで自分の可能性は広がるはず。時には失敗したっていいと思うんです。失敗しないと学ばないのが人間ですから」

福井県立恐竜博物館内にて

写真提供:福井県立恐竜博物館

取材・文=オグマナオト(2002年、第二文学部卒)

【プロフィール】

埼玉県出身。2005年教育学部理学科地球科学専修卒業。同年秋から中国に留学。2010年中国吉林大学研究生院地球科学学部博士課程修了。四川省・自貢恐竜博物館の研究職員を経て、2013年から福井県立恐竜博物館に勤務。主に福井県や中国の雲南省と四川省、タイで産出した恐竜化石(特に竜脚形類)を研究している。(写真は2019年12月、タイでの発掘調査)

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