Waseda Weekly早稲田ウィークリー

2025年6月30日公開

夏になるとなぜか聞きたくなる怖い話”

いにしえの怪談から令和のヒット作まで、いつの時代も私たちの身の回りにはホラー文化が息付いてきました。

日本だけでなく海外の芸術や神話に目を向けても、“恐怖”はさまざまな形で描かれており、怖いものに触れたくなる心理は、万国共通です。

では、なぜ私たちは怖いものに惹かれてしまうのでしょうか?

そんな疑問に向き合うため、怪談・オカルト研究家の吉田悠軌さんと、美術書『怖い絵』シリーズの著者として知られる中野京子さんが登場。

令和のホラーブームから見えてくるものとは?
日本と海外で“怖いもの”は異なるのか?

さまざまな問いを手掛かりに“怖さ”の正体をひもといていきましょう。

怪談・オカルト研究家 吉田悠軌(よしだ・ゆうき)さんの横顔を映した写真

燃中のホラーブーム。
いったい何が起きている?

燃中のホラーブーム。
いったい何が起きている?

2025年夏、発行部数35万部を超えた小説『近畿地方のある場所について』背筋(KADOKAWA)が映画化。他にも2021年には『変な家』雨穴(飛鳥新社)、2022年には『かわいそ笑』梨(イースト・プレス)といった書籍や、YouTubeチャンネル『フェイクドキュメンタリー「Q」』が話題を集めるなど、今、ホラーブームが巻き起こっています。実話怪談(※1)の語り手として活躍する吉田悠軌さんによると、これらのコンテンツには「共通する特徴がある」そうです。
(※1)実際に起きた不思議な体験を取材し、構成された怪談。

『近畿地方のある場所について』の書影画像

『近畿地方のある場所について』(KADOKAWA)。主人公のライター(背筋)が、近畿地方のある場所にまつわる怪談を集めるうちに、恐ろしい事実が浮かび上がる

吉田

近年注目されているのは、ホラーの中でも「フェイクドキュメンタリー」というジャンルです。私が専門とする実話怪談とは異なり、その名の通り架空の出来事をドキュメンタリー形式で語る演出手法で、新聞の記事やビデオテープ、インターネットの投稿といった「架空の資料」を基に物語を構成していきます。根本は創作であるにもかかわらず、いざドキュメンタリー形式で語られると、受け手は「本当にあったのではないか」と感じてしまう。多くの創作ホラーでは得られない“リアルな手触り”が、ブームの中心にあるのでしょう。

吉田悠軌(よしだ・ゆうき)さんと作家/ドイツ文学者 中野 京子(なかの・きょうこ)さんが会談する様子の写真
怪談・オカルト研究家
吉田 悠軌(よしだ・ゆうき)

1980年東京都生まれ。2003年早稲田大学第一文学部卒業後、ライター・編集者として活動を開始。怪談の収集・調査を行いながら、同人誌『怪処』を自主制作するなど、オカルトや怪談の研究をライフワークとする。

中野

“ホラーブーム”とはよく耳にしますが、ホラーっていつの時代もはやっていませんか? 人間ってなぜかホラーが好きですよね。

吉田

おっしゃる通り、むしろ全くホラーがない時代というのは、おそらく人類史の中でもないでしょう。ただしホラーにもさまざまな種類があり、時代によって注目されるジャンルが入れ替わります。スティーブン・キング(※2)のような独創的かつ重厚な世界観のホラーが流行する時代もあれば、実話怪談のようなリアリティーを求める時代もある。フェイクドキュメンタリー自体も実は新しいものではなく、1980年代には確立されていました。その中でのホラー作品として、映画『邪願霊』は先駆的存在です。

(※2)1947年生まれの米国の作家。『キャリー』(1974年)『シャイニング』(1977年)『ファイアスターター』(1980年)『IT』(1986年)『ミザリー』(1987年)など多数の作品を発表し、「ホラー時代の教祖」とも呼ばれる。

『邪願霊』の画像

『邪願霊』各配信サービスで配信中(C)1988コスモオフィス。株式会社彩プロ(1988年)制作の日本映画。アイドルのプロモーション撮影中に不可解な事故が続出、テレビ局の取材班は真相究明に乗り出すが、カメラに写ったのは恐ろしい亡霊の姿だったというストーリー。吉田さんお勧めの作品

中野

あえて「本当」ではなく、「本当っぽいもの」を楽しむことには、どのような意味があるのでしょうか。実話怪談では満たされない何かがあるのでしょうか?

吉田

「実際にあったことでないと楽しめない」という感覚がある一方で、「実際にあったことのように見える作り物だからこそ、安心して楽しめる」という感覚もあるのでしょう。さらに、実社会において「リアルかフェイクか」という区別が難しくなってきた現代の状況も、ブームに少なからず影響を与えているはずです。

中野

SNSの影響は大きいですよね。さまざまな人の声を集められるようになった今、情報もリアルとフェイクが混ざり合っている。

吉田

物事の見え方も、人によってバラバラです。立場を変えることで、リアルとフェイクが逆転することもある。リアルとフェイクの境界線が曖昧になった今だからこそ、その絶妙な組み合わせが、人気を集めるのでしょう。

中野京子さんの写真

画を見つめるとき、
浮き上がる怖い世界

画を見つめるとき、
浮き上がる怖い世界

――怖いという心理は、怪談やホラーにとどまりません。中野京子さんの著書『怖い絵』シリーズは、名画に潜む怖さや真実を解説し、新しい美術の鑑賞法を開拓した一冊です。絵画の世界にも、「怪談」のようなものは存在するのでしょうか?

中野

不気味なエピソードが出てくることはありますね。例えば、ルーマニアの画家・ブローネルの『自画像』にまつわる話は、まさに「怪談」そのものです。

ヴィクトル・ブローネル『眼球を摘出した自画像』の画像

ヴィクトル・ブローネル『眼球を摘出した自画像』(1931年)。画家は鏡を見ながら自画像を描くため、絵の中の右目は、本人の左目と推定される(写真提供:ユニフォトプレス)

中野

全体としてはリアリズムのタッチで描かれており、片目がえぐられ、血が流れているように見えますね。「普通の自画像ではつまらない」ということでこのような表現をしたそうなのですが、注目すべきは7年後に起こる悲劇。ブローネルは友人同士のけんかに居合わせるのですが、飛んできたガラスの破片が彼の左目に突き刺さり、眼球を摘出するに至りました。つまり、虚構として描いたはずの自画像が、現実と化してしまったのです。

中野京子さんと吉田悠軌さんが会談する様子の写真
作家/ドイツ文学者
中野 京子(なかの・きょうこ)

北海道生まれ。早稲田大学大学院文学研究科修士課程ドイツ文学専攻修了。西洋の歴史や芸術に関する雑誌連載、書籍などの執筆の他、講演、テレビ出演など幅広く活躍。著書に『怖い絵』シリーズ(KADOKAWA)など多数。2017年『怖い絵』展、2022年『星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム』を監修。

吉田

恐ろしいエピソードですね。「絵にまつわる怪談」といえば、 1980年代イギリスの『泣く少年(The Crying Boy)』は有名です。大量生産品でイギリスでは多くの家庭に飾られていた絵画なのですが、火事が頻発するある地方で消防隊が駆け付けると、その絵がいつも焼け残っていたとの噂が流れる。そのことを『The Sun』というタブロイド誌が取り上げたところ、「呪いの絵」として風評が広がり、生産元に大量の『泣く少年』が送り返され、おたき上げをした…という騒動です。この話を聞くと、確かに作品を不気味に感じますが、作者自身は怖い絵として描いたわけではない。こうした不思議さもありますね。

中野

『怖い絵』で紹介する絵の中で、ブローネルの『自画像』は変化球。他の多くの作品では、一見すると恐ろしい要素は描かれていないんです。掘り下げていくことで気付く「実は怖い」ことが、この本のコンセプトになっています。

吉田

「パッと見」では分からない恐ろしさが、面白いポイントですよね。エドガー・ドガの『踊りの花形(エトワール、または舞台の踊り子)』なんかは、一見すると何も怖くない。

中野

美しい踊り子の絵に見えますよね。

エドガー・ドガ『踊りの花形(エトワール、または舞台の踊り子)』の画像

エドガー・ドガ『踊りの花形(エトワール、または舞台の踊り子)』。「エトワール」は「スター」を意味するフランス語。一見華やかなバレエ界も、見方を変えると暗部が見えてくる(写真提供:ユニフォトプレス)

中野

しかし、よく見ると後方に黒い夜会服を着た男性がたたずんでいますね。実はこの男性は、エトワールのパトロンです。現代人である私たちは「バレリーナは実力でなるもの」と捉えがちですが、当時はパトロンの影響力が大きかったのです。

吉田

時代背景を知ると、男性の意味や踊り子の表情が全く違って見えてきますね。

中野

当時の人々からすれば、きっと一目瞭然だったのでしょう。でも現代の私たちには分からない。この時代背景のギャップが、怖さにつながるのでしょう。そして、その怖さもまた、美術鑑賞の魅力の一つでもあります。

吉田

『怖い絵』は、絵を見てから解説を読んで再び絵を見ると、「怖い」と感じるのが魅力です。最大の醍醐味(だいごみ)は、一枚の絵であること。物語性が凝縮されているからこそ、見え方が変わる瞬間に大きなダイナミズムが生まれるんです。

中野京子さんの写真

代や地域を超え、
全人類が恐れるものとは?

代や地域を超え、
全人類が恐れるものとは?

――怪談や怖い絵は、さまざまな国に存在します。時代や地域を超えた、人類に共通する怖さは、どのようなものでしょうか? 例えば、お二人の著書には共通して“子殺し”というテーマが登場します。

中野

“子殺し”は世界中の神話で描かれているテーマです。ギリシア・ローマ神話のサトゥルヌス(クロノス)は、父・ウラノスを殺すのですが、ウラノスは最期に「お前もまた、自分の子どもに殺されるだろう」という予言を残す。サトゥルヌスはおびえ、その後に生まれた子を次々とのみ込んでいきます。そして最終的には、6番目の子であるユピテル(ゼウス)に殺される。“親が子を食う”というサトゥルヌスの題材は、後世で、多くの画家たちによって描かれてきました。

フランシスコ・デ・ゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』の画像

フランシスコ・デ・ゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』。頭と右腕が食いちぎられた子ども、サトゥルヌスの表情が恐怖を抱かせる(写真提供:ユニフォトプレス)

吉田

子を追放したために自分が殺されるパターンは、世界中で見られますね。父親の潜在的な恐怖を反映しているのでしょう。

中野

恐怖の根源は、権力の交代かもしれません。王者の長男が優秀な大人に成長すると、父親は「地位が脅かされる」と感じてしまう。そうした現実世界の心理が、神話として表れているのでしょう。一方、母親が子を殺すパターンもあります。こちらは「子どもを育てられない」という、避妊技術のない時代の心理が根幹にある。どこか切なく、怖さの毛色も変わってきます。

吉田

日本においても江戸時代以前は、新生児の間引きが現代ほど重罪と考えられていませんでした。生活のためには仕方のない、バースコントロールの一種と捉えられていたのでしょう。ただし、本来は庇護すべき出産直後の赤子を殺すわけですから、当然避けるべき事象ではある。この微妙な感覚は、「子殺しは絶対悪」と考える現代人にとって、怪談として映ります。私個人も、子殺しこそが現代において最大の恐怖と考えています。各時代の社会的な価値観も、怖さに影響するのでしょう。

『子孫繁昌手引草』の画像

江戸時代後期の教諭書『子孫繁昌手引草』(東京大学総合図書館所蔵)には、母親が赤子を圧殺する光景が描かれている。この時期には間引きの禁止政策が発令されるが、啓発の対象となるほど間引きが行われていたと考えられる

中野京子さんと吉田悠軌さんが会談する様子の写真

本の怖さ、西洋の怖さ。
ホラーと宗教の深い関係

本の怖さ、西洋の怖さ。
ホラーと宗教の深い関係

――人類に共通の怖さがある一方で、地域固有の怖さもあるようです。 何が影響するのでしょうか?

中野

西洋特有の恐怖というと、代表的なのは「悪魔」でしょうか。善・悪の二元論が浸透する西洋では、「悪魔の誘惑に負ける」ことを極端に恐れるそうですよ。誘惑に負けると、自分自身が悪と化す。悪に落ちたものは、死後に魂を取られる。そんな考え方があるんです。

吉田

幽霊や怨霊を怖がる日本とはかなり感覚が異なりますね。

中野

宗教観も違いますよね。同じキリスト教でも、カトリックとプロテスタントの対立で戦争に発展したこともある。こうした一神教特有の怖さは、多神教的な価値観に親しんできた日本人には理解しがたいものがあります。

吉田

現代に近づくにつれ、宗教に対する敬虔(けいけん)さは薄れてきていると思います。それでもハリウッド映画などを見ていると、キリスト教の精神が今でも文化に根付いているのを感じますよね。

中野京子さんの写真

幼少期から絵が好きだったという中野さん。 西洋の歴史や文学、宗教にも精通し、早稲田大学でも講義を担当した経験がある

吉田

日本の怖さの特徴は、“因果応報”にあります。怨霊には、過去を語るツールとしての側面があり、歴史の中でも重要な役割を果たしてきました。奈良時代、藤原氏の陰謀で自害した長屋王は病疫となって世を襲い、大宰府に左遷された菅原道真は雷神となって宮中を襲ったとされています。きっと誰かが「自分たちの政治判断が原因だったのか」と、この現象をたたりとして、恐れるようになったのでしょう。そして、祀ることで自分たちや国を守ってもらおうとするのです。恐れる対象は神ではなく、現実に生きた人間なのですが、この発想は西洋の一神教からは出ないでしょう。

中野

因果応報の怖さは、現代にも受け継がれているのでしょうか?

吉田

因果応報の怪談が目立つのは、明治時代の初期までです。例えば、「自分の身に不幸なことが起きた。それは前世で悪いことをしてしまったからだ」なんていう怪談、現代の日本人で納得しない人は多いですよね。

中野

確かに(笑)。

吉田

現代人の多くは生まれ変わりの概念自体をあまり信じていませんし、そこにアイデンティティーを見いだすこともないからです。近代以降の日本では祖先や共同体とのつながりが希薄になり、自我や個人の概念が発達します。そして、地域や親族との関係がアイデンティティーではなくなると、よりどころにできるのは親子しかない。子殺しが現在でも大きな恐怖になるのは、そうした背景があるのかもしれません…。

中野京子さんと吉田悠軌さんが会談する様子の写真

いのに、触れたい」
ホラーをもっと楽しむために

いのに、触れたい」
ホラーをもっと楽しむために

――古代から現代に至るまで、なぜ私たちは、怖いものにわざわざ触れたくなるのでしょうか?

吉田

ある種のロマンがあるからではないでしょうか。「私たちが生きる世界には、本当は“あちら側”があるのかもしれない」という期待、あるいは「ここではないどこか」への憧れとも言えます。それが死後の世界なのか、異次元なのかは分かりません。けれど、怪談を求める背景には、別の世界に触れてみたいという心理が潜んでいるのだと思います。

中野

「非日常」を味わいたいのだと思いますよ。ほんの少し日常から離れて、非日常を体験してみる。そして再び戻ってきたとき、「あぁ、帰ってきた」って日常をより濃く感じられる。そうしたコンテンツは、いつの時代も求められますよね。逆に、ホラーやオカルト現象を「全て勘違いだ」と頭ごなしに否定する人がいますが、それはそれでロマンがない(笑)。

吉田

そうしたタイプの人は、実は怖さの感度が高いんです。人一倍恐怖心があるから、シャットダウンしないとやってられない。私自身、霊感は全くありませんし、幽霊が見られるものなら見たいといった距離感で接しています。でも、だからこそ、専門家として活動できているのかもしれません。

中野

真実というもの自体、見る人によって捉え方が変わるものです。人それぞれに見方があるからこそ、恐怖の感じ方も多様で面白い。異なる地域や時代の恐怖を楽しめるのも、そのためでしょう。

吉田

私も、怪談も絵画も、前提知識によって見方が変わるのが面白いと思っています。一見何でもないような出来事も、実は怖いものかもしれません。皆さんも、身近な事象や作品を、さまざまな角度から見つめ直してみてはいかがでしょうか。

中野京子さんと吉田悠軌さんが会談する様子の写真

お二人の“怖い”世界観を、もっと知りたい方はこちら!

『現代怪談考』の書影画像

『現代怪談考』吉田 悠軌(晶文社)

「赤い女」をはじめ、怪談から現代史を読み解く一冊。子殺しに関するさまざまなエピソードも深掘りされている。

『怖い絵』の書影画像

『怖い絵』中野 京子
(KADOKAWA /角川文庫)

『怖い絵』シリーズの第1弾。ドガ『踊りの花形(エトワール、または舞台の踊り子)』、ゴヤ『我が子を食らうサトゥルヌス』など、20点の名画の“怖さ"を解説。



取材・文
相澤 優太(2010年第一文学部卒)

撮影
小泉 賢一郎(2000年政治経済学部卒)

編集
株式会社KWC

デザイン・コーディング
株式会社shiftkey

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