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白隠「すたすた坊主」の意味は? 會津八一記念博物館で親しむシュールな禅画

芸術の秋、皆さんはどんなアートに触れていますか? 早稲田大学には、国内大学では珍しく、学内に2つの博物館があります。「エンパク」の愛称で知られる演劇博物館、そして會津八一記念博物館です。シェイクスピア時代の劇場を模した建物も特徴的なエンパクに比べて、何となく入りにくい會津八一記念博物館ですが、実は貴重な歴史的資料の宝庫だとご存じでしたか? 今回は、在学生と一緒に會津八一記念博物館を訪れて、学芸員の方に解説していただきながら、知られざる「アイハク」の魅力にせまりました。

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左から、會津八一記念博物館助手の柏崎諒さん、會津八一記念博物館主任研究員の下野玲子さん、文学部3年の柴崎香那さん、中山栞さん

「ぶらぶらアイハク」をご案内いただいたのは、會津八一記念博物館主任研究員の下野玲子さん(専門:仏教美術史・東洋美術史)と助手の柏崎諒さん(専門:日本絵画史)。共に文学部美術史コース在籍で学芸員資格講座を履修中の柴崎香那さん、中山栞さんと回りました。

文学部3年 柴崎 香那(しばさき・かな)美術史コースに在籍。公認サークル「古美術研究会」所属。ミュシャなどの西洋絵画が好きだったが、最近美術史コースの奈良旅行をきっかけに日本美術に目覚めた。特に障壁画に興味がある。将来は学芸員を目指している。

文学部3年 中山 栞(なかやま・しおり)美術史コースに在籍。公認サークル「古美術研究会」所属。小さいころから親と一緒によく美術館に行っていた。西洋美術が好きで、お気に入りは印象派。好きな美術館は東京・丸の内にある三菱一号館美術館。

おしゃれな玄関ホール

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下野:まずは建物から見てみましょう。會津八一記念博物館のある2号館は、1925年に中央図書館として建てられた、キャンパス内の建物では2番目に古いもので、当時理工学部の教授だった今井兼次先生が設計しました。その後蔵書が増えて中央図書館は移転することになり、この建物を博物館として改めて公開しようということで、會津八一記念博物館ができました。會津八一先生が集めた学術資料を基にした美術館ですので、その名が付いています。

柏崎:今井先生はスペインの世界的建築家のガウディを日本に紹介した方で、ガウディっぽい所も随所に見られますね。つまり、派手なんです。装飾が多くて、ステンドグラスや透かし彫りがあったり、ドアもわざわざアーチ型になっているなど、とても手が込んでいます。

柴崎:おしゃれ! エンパクと同じように建物自体も見どころになっているんですね。

戦火をくぐり抜けて再び日の目を見た珍品

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執金剛神像

執金剛神像 岡崎雪聲鋳造 1892年ごろ 鋳銅製

下野:このホールには彫刻作品などを常設展示しています。こちらは、仏法を守る神様の銅像です。明治時代の作品で、原型の作者は不明ですが、岡崎雪聲(おかざき・せっせい。1854~1921年)の鋳造によるものです。鋳造技術の専門家で、例えば上野公園の西郷隆盛像、あれは高村光雲が原型を作りましたが、それを鋳造したのが岡崎です。この像はシカゴ万博に出展された後、大隈重信邸を経て大学の所蔵となりましたが、第2次世界大戦のときに戦火で焼け、その後しばらくは大学の地下室で忘れ去られていたんです。平成になって再発見されて、壊れていたところを修復して展示してあります。

中山:どこを直したかは、一見すると分からないです。

下野:学芸員課程で修復の講義をするときに、資料として使ったりもしていますね。赤い部分は、戦災に遭ったことが分かるようにあえて残しています。目の玉もちょっと溶けてしまっていますね。

3,000円で描かれた大観・観山の大作「明暗」

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明暗 横山大観・下村観山筆 1927年 紙、墨・金銀泥

柏崎:このホールから、會津八一記念博物館の象徴ともいえる「明暗」を見ることができます。近代日本を代表する画家で、早稲田大学の校賓である横山大観(1868~1958年)、下村観山(1873~1930年)の合作です。「この場所は、日本の未来を背負う学生が勉強するのにふさわしい壁画にしたい」として、当代一流の画家を探したのですがなかなか見つからず、そのときの高田早苗総長が両人に依頼をして、材料費にも満たない3,000円(当時)という謝金で描いてもらったものです。10cmほどもある分厚い和紙に、金・銀・墨で夜明けの太陽が描かれています。「いっぱい勉強して頑張ってほしい」という学生に宛てたメッセージなんですよ。

中山:そこは天日が入って明るいんですね。

下野:図書館として設計されたために、本が読みやすいように日光がたくさん入るようになっているんですが、実は博物館として、とても都合が悪いんです(笑)。博物館・美術館では、展示物の保護のために湿度や温度、照明を細かく調整する必要があって、普通は自然光や外気が入らないようになっています。図書館時代はこのホールが正面玄関だったのですが、今使われていないのはそのせいです。この建物を博物館として使うためには苦労が多々あるのですが(笑)、それはともかく、次の「富岡重憲コレクション展示室」に進みましょうか。

在りし日の文豪を見てきた菩薩像

下野:「富岡美術館」という私立美術館が2004年に閉館になり、およそ900点もの収蔵品が全て早稲田大学に寄贈されたのですが、そのコレクションを公開するということで設けられた専用の展示室です。年に5、6回展示替えをしています。

柏崎:大正時代、実業家の間で茶道が大変はやり、骨董(こっとう)品を集めるのが教養とされた時期がありました。日本重化学工業株式会社の初代社長、富岡重憲さんのコレクションです。

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菩薩立像 木像彩色 平安時代(11世紀前半)

下野:この部屋には、常設の立像菩薩(ぼさつ)があります。もともと谷崎潤一郎が所有していて、それから志賀直哉の手に渡り、その後富岡さんがお買い上げになったという経歴の、平安時代(11世紀前半)のものです。志賀直哉邸では床の間に飾ってあったとか。

柴崎:文豪の手を渡ってきた木像なんですね。衣服の模様が面白いです。

下野:升形みたいなものの上に立っています。かつては蓮華座(れんげざ)があったはずですが、これは建築資材が転用されたようですね。色も白い下地が少し残っているだけで、ほとんど消えています。どこのお寺にあったものかは分からないです。明治期に神仏分離令が出された時期に多くのお寺が廃絶して、たくさんの仏像が流出しました。そのころに出たものかもしれないですね。

いないのにいる? 留守文様

下野:今はこの部屋で「近世の禅書画―白隠とその会下(えか)―」〔開催中~11月19日(土)〕という展示をしています。白隠慧鶴(はくいん・えかく。1685~1768年)は“臨済宗中興の祖”といわれている偉いお坊さんで、その方とお弟子さんが禅の教えについて描いたものを並べました。白隠さんは、難解な禅の教えを、分かりやすくユーモラスな絵で表現して民衆に親しまれたんです。美術品としても、今も大変人気があります。

中山:禅の教材の一つということなんですか。

下野:はい。でも、いくら分かりやすいとはいっても、禅についての知識がないと何が描いてあるか分からないですよね。例えば、これは何だと思いますか?

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禅A140_六祖図(東嶺圓慈)

六祖図 東嶺圓慈筆 紙本墨画 江戸時代

柴崎・中山:全然分からないです…。

下野:唐臼(からうす)と言って、米などの脱穀をするために使われた道具です。禅宗で唐臼といえば、中国・唐代の六祖慧能(ろくそ・えのう。638~713年)という人のことを指します。というのも、この人はもとからお坊さんだったわけではなくて、お寺で寺男(雑用をする人)をしていて唐臼を踏んでいたことから、それがトレードマークになったんです。「六祖大師はお昼に出掛けて、ここにはいませんよ」と書いてあります。

柏崎:江戸時代に流行した「留守文様(るすもんよう)」というものです。サークルの部室などでも、帽子とかかばんとか、物だけで絶対その人のだって分かることがありますよね。留守文様というのは、それを絵で行っているんです。本人が描かれていなくても、その人を表現している。

柴崎:親しみやすいことが書いてあることに驚きました。

「巻物とほうき」といえば…

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禅A060_寒山拾得図(遂翁元盧)

寒山拾得図 遂翁元盧筆 紙本墨画 江戸時代

中山:西洋美術でも、特定の人物を象徴する物を指して「アトリビュート」といいますね。

柏崎:日本美術では、「持物(じもつ)」と呼んでいます。例えば、“巻物”と“ほうき”を持っていれば、寒山・拾得(かんざん・じっとく。生没年不詳)のことを表します。寒山・拾得は中国・唐代にいたとされる風変わりなお坊さんですが、仏教ではとても人気のある画題です。

下野:禅宗では「不立文字(ふりゅうもんじ)」、つまり文字に頼らずに悟りなさいという教えがありますが、それにしては文字がたくさん書いてありますよね(笑)。昔のお坊さんの故事を引用しているものが多いのですが、意味がよく分からないものもたくさんあります。例えばこの軸、「東壁掛胡蘆(とうへきにころをかける)」、東の壁にヒョウタンを掛けると書いてあります。禅宗では、師からの問い掛けに答える「問答」という修行がありますが、禅宗の開祖、達磨(だるま。生没年不詳)がインドから中国に来て伝えようとしたことは何か、という問いに対して、趙州(じょうしゅう。778~897年)というお坊さんが「東の壁にヒョウタンを掛けてあるが、ではそれはいつからあるのか」と問い返したという。

柏崎:そうしたら、師から「君は悟った! 合格!」などと言われるわけです(笑)。そういうシュールな頓知のようなものが、禅宗では大事な問答集として尊ばれているというのが面白いところです。

オチはなし 不思議な禅の教え

禅A203_倶胝図(春叢紹珠)

倶胝図 春叢紹珠筆 紙本墨画 1832年

下野:この人は倶胝(ぐてい。生没年不詳)という唐代のお坊さんで、あるとき尼さんに尋ねられたことに答えられず、ショックを受けて修行の旅に出たところ、一指禅というものを教わって悟りを開き、その後は誰に何を聞かれても指を一本立てるだけだったという。しかし後に、自分には一指禅を使いこなせなかったと述懐しているんです(笑)。

禅A202_南泉一円相図(弘巌玄猊)

南泉一円相図 弘巌玄猊画 一道宗等ら賛 絹本墨画 1798年ごろ

またこの絵は「南泉一円相図(なんせんいちえんそうず)」というものです。あるとき3人のお坊さんが、偉いお坊さんに会いに出掛けたんですが、そのうちの一人、南泉普願(なんせん・ふがん。748~835年)という人が道中で地面に円を描き、「これに対して“答えて”みろ」と言い出した。「俺が納得できる答えが出せなかったら行くのはやめだ」と。そうしたら、一人がその円の中に座り、もう一人が「女人拝(にょにんはい)」といって女性のかんざしが落ちないくらいの浅い礼をした。それを見た南泉は、「みんなよく分かっているじゃないか」と、偉いお坊さんに会いに行くのはやめて帰ったという。

柴崎:オチがよく分からないというか、オチがないというか…。

白隠「布袋すたすた坊主」その絵に込められた意図は

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下野:禅宗では問いに対して自分で答えを出すことが肝要みたいです。では次に、白隠の掛け軸を見てみましょうか。これは今、うちで一番人気のある軸で(笑)、「布袋(ほてい)すたすた坊主」といいます。布袋(ほてい。生没年不詳)は唐代に実在したとされるお坊さんで、町に出掛けて説法する(仏教の教義を説き聞かせる)のが好きで、供物がたくさん入った袋を持って歩いていたのでその名が付いたといわれています。日本では七福神の一人として有名ですね。白隠は、布袋を自分の分身として描いていることが多いようです。

禅A175_布袋すたすた坊主(白隠慧鶴)

布袋すたすた坊主図 白隠慧鶴筆 紙本墨画 江戸時代

「すたすた坊主」というのは、江戸時代にいた、忙しい人々の代わりに神仏にお参りに行くと称して、芸を見せたりしてお金をもらっていた人たちのことです。「来た来たまた来た いつも参らぬさひさひ参らぬ すたすた坊主夕部(ゆんべ)も三百はりこんだ それからはだかの代参り」などと書いてありますが、実際にこんなことを唱えながら、持っている竹で自分の体にぴしゃぴしゃ水を掛けながら水垢離(みずごり)などをしていたようです。白隠はその様子を布袋さんに見立てて描いたわけですね。

布袋は、弥勒菩薩(みろくぼさつ)、つまりお釈迦(しゃか)様に代わって遠い将来に人々を救ってくれる仏の化身といわれるくらい尊ばれている存在ですが、そんなすごい人に「三百はりこんだ」、つまり、ばくちで負けたと言わせてしまっているところが面白いところです。

中山:この絵で白隠は何を伝えたかったのでしょうか?

下野:右側に「布袋どらをぶち すたすた坊主なる所」とあります。「どらをぶつ」とは、道楽のこと。布袋さんにとっての道楽、つまり説法が過ぎてすたすた坊主になってしまっても、皆さんの福を祈りましょうという意味だろうと解釈されています。

柴崎:かわいいし、挿絵のような感じで面白いから、仏教のこともすっと入ってきます。ユニークな教えが多いですし。

中山:普段なじみのない禅書画にも興味が湧きました。でもやっぱり、前提の知識がないと難しい。私の好きな西洋美術も、ギリシャ神話やキリスト教の知識がないと分からないことが多いですが、禅書画も同じなんですね。

柏崎:当時の人は、こういう絵を見ながら、気軽に仏の教えについておしゃべりしていたのかもしれません。今と昔では人々が共有していた常識も違うので、私たちとは違う感覚で見ていたんでしょう。

コレクションに込められた會津八一の思い

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下野:會津八一記念博物館では、説明は最小限にという展示方針があるので、この部屋にはワークシートなどを置いて作品の解説をしています。博物館・美術館の中には内容解説をあまり付けない所がありますが、それには作品そのものを見てもらいたいという意図があるんです。

會津八一先生は、学生たちに実際に物に触れながら勉強してほしいという考えを持っていました。書物だけではなくて、車の両輪のように実物と文献、どちらも学ぶことが大切なのだと。そのために時には坪内逍遙先生や市島春城先生(初代図書館館長)に借金すらしながら、私財をなげうってこつこつと集めたものが今、會津八一記念博物館のコレクションになっているんです。だから、学生の方にはぜひ會津八一記念博物館で実物を見て学んでほしいですね。

2階の常設展示室では、そんな會津八一コレクションの他、多くの方から寄贈された作品を見ることができます。展示台には椅子が付いていて、座って展示物をじっくり眺められるようになっていたり、図録が設置されているなど、数々の工夫が凝らされています。

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柴崎:普通、展示物は壁に並んでいることが多いですが、ここは展示ケースが島になっているから、どこからでも見られて動線も自由なところがいいですね。

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下野:會津先生のコレクションで最も充実しているものは、古代中国の「明器(めいき)」という副葬品です。古代中国では、死後の世界で生前と変わらず幸せに暮らせるよう、キッチングッズや井戸など、生活に必要なもののミニチュアをお墓にたくさん入れたんです。會津先生は古代中国の風俗を知るために集めていたようです。中国には今もそれに近い風習が残っていて、先祖の供養のときには偽物のお金や紙製の家財道具を燃やすんです。煙となって、天国に届くように。1,500年以上もの時を経ても、家族を思う人々の思いは変わっていないことも面白いですね。

竈

竈(かまど) 漢

そんなふうに、興味を持った物については、自分でもどんどん調べてみてください。当館の収蔵品は2万点ほどで、他にも面白い物がたくさんありますし、會津八一記念博物館での出合いが、皆さんの学びを深く、広くするきっかけづくりとなればうれしいです。

柴崎:将来は学芸員になりたいと思っているのですが、今日はためになるお話がたくさん聞けました。これからの学習に生かしていきたいです。

中山:初めて知ったことも多くて、とても楽しかったです。會津八一記念博物館もまた訪れたいと思います。どうもありがとうございました。

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