2015年度 創立記念特集
卒業生や校友(名誉教授を含む)の中には、「初めて」や「一番」を成し遂げたパイオニアが多くいます。ここではそんな先人を紹介します。
アジア初の地下鉄「東京地下鉄道」創業
早川 徳次(はやかわ のりつぐ)
(1881年~1942年)
1908年早稲田大学法学部卒業。その後南満州鉄道を経て鉄道院に入局し、1914年に国際事情視察のため、欧州を訪問。ロンドンの発達した地下鉄を目の当たりにし、これからは東京にも地下鉄が必要であると考え、地下鉄建設を決意。1927年、銀座線の浅草~上野間が開通となった。「日本の地下鉄の父」と呼ばれる。
東京タワーを設計 自立式鉄塔当時高さ世界一
内藤 多仲(ないとう たちゅう)
(1886年~1970年)
1910年東京帝国大学(現東京大学)を卒業後、1913年より早稲田大学教授。1917年より1年間アメリカへ留学し、帰国後、耐震壁による耐震構造理論を考案。この理論を用いた設計を実施し「耐震構造の父」と呼ばれる。戦後、東京タワーなど多数の鉄骨構造の設計を手掛けたことで、「塔博士」の異名も持つ。
世界初のフルスケール人間型ロボット「WABOT – 1」開発
加藤 一郎(かとう いちろう)
(1925年~1994年)
1950年早稲田大学理工学部卒業。電気工学を学んだ後、千葉工業大学で当時珍しかった自動制御についての研究を進め、その後、早稲田大学に戻り、義手、二足歩行ロボット、人型ロボットの研究にまい進。1973年に世界初のフルスケール人間型ロボット「WABOT-1」を開発し「世界のロボット開発の父」と称えられた。
男女普通選挙制度の下 女性初の代議士
園田 天光光(そのだ てんこうこう)
(1919年~2015年)
1942年早稲田大学法学部卒業。その後海軍省報道部嘱託を務め、カウンセラーをしていた。戦後、男女普通選挙制度の下で女性被選挙権が認められた初の選挙となった1946 年の第22回衆議院議員総選挙において「餓死防衛同盟」の代表として立候補し、当選。日本初の女性代議士の一人として活躍した。
日本初のプロサッカーリーグ「Jリーグ」創設
川淵 三郎(かわぶち さぶろう)
(1936年~)
1961年早稲田大学第二商学部卒業。在学時はア式蹴球部でプレーし、関東大学リーグ優勝、日本代表選手としても活躍。現役引退後は古河電気工業サッカー部コーチや日本代表監督を歴任。1991年社団法人日本プロサッカーリーグ(J リーグ)設立、初代チェアマンに就任した。日本サッカー協会殿堂入りも果たしている。
世界長者番付日本一「ファーストリテイリング」会長兼社長
柳井 正(やない ただし)
(1949年~)
1971年早稲田大学政治経済学部卒業。実家の小郡商事に入社し、1984年社長に就任。同年6月に「ユニーク・クロージング・ウエアハウス(略称ユニクロ)」第一号店を開店。1991年に社名を「ファーストリテイリング」に変更し、その後店舗を拡大。2015年の世界長者番付(『フォーブス』誌発表)で日本人1位になった。
世界が選んだ若手リーダー「NGOユイマール」代表
照屋 朋子(てるや ともこ)
(1984年~)
2007年早稲田大学法学部卒業。その後「NGOユイマール」設立。社会的に困難な状況で暮らしているモンゴルの孤児たちの自立支援を行う。2011年、世界経済フォーラムが選出する若手リーダー30人に選出された。2015年に開催されたダボス会議には、若手リーダーの中から日本人としてただ一人参加した。
東証1部史上最年少上場「リブセンス」社長
村上 太一(むらかみ たいち)
(1986年~)
2008年早稲田大学政治経済学部卒業。在学中の2006年に株式会社「リブセンス」を設立し、同年4月よりアルバイト情報を掲載するWebサイト「ジョブセンス」を開設。2011年東証マザーズ上場、2012年東京証券取引所市場第1部へ市場変更。東証マザーズ上場時年齢は25歳。自社株式を公開した者として史上最年少だった。