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特集

【創立記念特集】米名門大、2人の日本人教授

2015年度 創立記念特集

米国名門大学の教壇に立った2人の日本人学者

戦前、アメリカの名門大学で教壇に立ち、日本の歴史や文化を世界に紹介。その後に続く「日本研究」の礎をつくった、2人の日本人学者がいました。イェール大の朝河貫一、コロンビア大の角田柳作の功績は、研究者たちの間で今なお高く評価されています。激動の時代に海を渡り、それぞれの分野の草分けとなった先達の生涯を紹介します。

イェール大学から日本外交に提言を続けた歴史学者、朝河 貫一(あさかわ かんいち)

2回の帰国以外、半世紀をアメリカで過ごし、歴史学者、外交提言者として多大な功績を残した朝河貫一について、朝河貫一研究会の理事で校友の山内晴子さんに伺いました。

東京専門学校(現早稲田大学)を首席で卒業した朝河は、恩師の大西祝(はじめ)、大隈重信、徳富蘇峰、勝海舟などから援助を受け、22歳のときに米国に留学します。イェール大学で中世比較法制史を専門とした朝河は、世界史=欧米史であった時代に、欧米以外で日本にのみ封建制が存在したことを立証して、世界史の中に日本史を確立し、アメリカでの日本人初の正教授となりました。その学問的実績を基に、大隈重信をはじめとする日米の要人に数々の重要な外交提言を行いました。今でいう、国際政治学者でもあったのです。

朝河がアメリカで過ごした半世紀は、日露戦争、第1次世界大戦、日中戦争、第2次世界大戦と、戦争の続いた激動の時代。キリスト教と民主主義に触れ、差異と多様性を奨励する寛容な精神を体得した朝河は、民主主義を外交理念とし、日本が世界で尊敬され役立つ国となるように、日欧米の識者に向けて自分の意見を恐れず発信し続けました。

日露戦争後に発表した外交分析・提言の書『日本の禍機(かき)』では、後の日米開戦・日本の敗戦を予見し、日本のアジア膨張外交を強く批判。その後も日米戦争阻止のために奔走します。1941 年11月末には、天皇への大統領親書草案を執筆し、実際の親書にも一部使われました。さらに、大化改新と明治維新において天皇制度が大きな役割を果たしたとする自身の学説に基づいて、敗戦後の日本が民主主義国家にスムーズに移行するためには天皇制度の存続が鍵であることを米知識人・指導者層に書簡を通じて説得し続け、天皇制民主主義という戦後構想の決定に影響を与えたと考えられます。

朝河は、学問を通して日本と世界に貢献しようという高い志を常に抱いていました。グローバルな視点を持ち、歴史を学び、自分で考え、信念に基づいて行動する。まさに今、早稲田大学の皆さんが求められている姿勢を、朝河の足跡から学べるのではないでしょうか。

山内 晴子 PhD 朝河貫一研究会理事

山内 晴子 PhD 朝河貫一研究会理事

山内 晴子(やまうち はるこ)PhD 

朝河貫一研究会理事
2008年早稲田大学アジア太平洋研究科後期博士課程修了。著書に『朝河貫一論:その学問形成と実践』(早稲田大学学術叢書第7巻早稲田大学出版部2010年)などがある。

朝河貫一略歴

1873 福島県に生まれる
1892 東京専門学校(現早稲田大学)文学部文学科に入学
1893 本郷教会で横井時雄(小楠の長男)牧師から受洗
1895 東京専門学校を首席で卒業
1896 横井の推薦でダートマス大学に留学
1899 イェール大学大学院歴史学科に入学
1902 ダートマス大学講師(東西交渉史)に就任
1906 一時帰国。半年間早稲田大学で講義
1907 イェール大学講師、図書館東アジアコレクション部長に就任
同大学や米国議会図書館などの日本古典書籍収蔵の基礎を確立
1937 同大学助教授、准教授を経て歴史学教授に就任
1942 定年で同大学名誉教授、蔵書5,000冊を図書館に寄贈
1948 米バーモント州ウェスト・ワーズボロの山荘にて死去

歴史学者としての功績

1903 The Early Institutional Life of Japanを英米で出版。大化改新では天皇制度が、唐の制度との異文化融合の鍵となったと分析
1904 The Russo-Japanese Conflictを英米で出版。統計を多用した日露戦争に至る日露関係史
1929 The Document of Irikiを英米で出版。南九州の『入来文書』を基に、日欧の封建制度の比較研究
1931 セリグマン編『社会科学百科事典』にマルク・ブロックと日欧封建制を共同執筆

外交提言者としての活動

1905 ポーツマスに2週間滞在し日露講和会議、ポーツマス条約締結を見守り、締結実現のために日本人でただ一人賠償金に反対
1908
|
1909
大隈重信など政府要人に書簡で日本外交の批判、対策を提言
『日本の禍機(かき)』を出版。日露戦争後の日本の外交を批判。日米開戦へ警鐘を鳴らす
1941 日米開戦阻止のため、ルーズベルト大統領から天皇への親書草案を執筆。その一部は、実際の大統領親書に使われる

コロンビア大学に日本研究の礎を築いた「日本学の父」角田 柳作(つのだ りゅうさく)

角田柳作 (Courtesy of C.V. Starr East Asian Library Columbia University)

角田柳作 (Courtesy of C.V. Starr East Asian Library Columbia University)

角田柳作は、戦前から戦後にかけて、米国の名門コロンビア大学で日本文化を教え、同大の誇る日本関係コレクションの構築に尽力した人物です。東京専門学校卒業後、中学校教員などを経て渡米、ハワイの中学校の校長を務めた後、40歳でコロンビア大学の聴講生となりました。その後ニューヨーク日本人会の要職に就き、さらには米国の人々がより深く日本を理解するための組織として、1929年に「The Japanese Culture Center(日米文化学会)」を創設します。同学会のために角田が日本国内で収集した図書は約5,000冊に上ります。1931年に約1万冊となった収集図書がThe Japanese Collection(日本文庫)としてコロンビア大学に移管されると、角田は図書館主事に就任し、いっそう蔵書の充実を図りました。それらは現在「C.V.スター東アジア図書館」の日本語資料群の中核を成しています。

1962年コロンビア大学名誉文学博士号授与式にて(右から2番目)。左端はキーン氏 (Courtesy of C.V. Starr East Asian Library Columbia University)

1962年コロンビア大学名誉文学博士号授与式にて(右から2番目)。左端はキーン氏 (Courtesy of C.V. Starr East Asian Library Columbia University)

1931年より図書館主事であると同時にコロンビア大学で日本の歴史や文化を教える講師として務めてきた角田は、1941年12月7日(現地時間)日本軍の真珠湾攻撃を機に、「敵性外国人」としてニューヨーク湾内にあるエリス島に連行され、査問を受けました。約4カ月間の収監後、仮釈放され講師に復職したものの、監視は続きました。終戦を迎え、1945年11月15日にようやく監視が解かれると、一層研究に励むとともに、多くの日本学研究者を育てました。1962年には、その長年の功績がたたえられて、同大学から名誉文学博士号を授与されました。

2008年に外国人で初めて日本の文化勲章を授与された日本文学研究者ドナルド・キーン氏も角田の教え子の一人です。キーン氏によれば、初めての講義の際、受講生がキーン氏一人しかいなかったにもかかわらず角田は黒板が真っ白になるほどに板書し、全精力を傾けて講義をしたといいます。「コロンビア大学では“Sensei”と言ったら角田柳作先生のことに定まっている」という言葉には、常に謙虚に学ぶ姿勢を示し、真摯(しんし)に学生と向き合った角田への、親愛を込めた尊敬の念が感じられます。角田柳作が東西の文化の調和を目指し、コロンビア大学で育てた「日本学」は、今、「国際日本学」としてあらためて注目されています。

発表記者会見には、角田の教え子、キーン氏も駆け付けました(右から2番目)

発表記者会見には、角田の教え子、キーン氏も駆け付けました(右から2番目)

出典:角田柳作WEB展(早稲田大学図書館)

角田柳作 略歴

1877 群馬県に生まれる
1896 東京専門学校(現早稲田大学)文学科卒業
1909
|
1912
本派本願寺ハワイ中学校校長に就任
1917 コロンビア大学の聴講生となる
1929 「日米文化学会」を設立
1931 コロンビア大学にて講師および図書館主事に就任
1962 同大学名誉文学博士号を受領
1964 ハワイ州ホノルルにて死去

吉本ばなな作品の翻訳者が語る世界で広がる日本文学研究

日本文学の研究者として、私はよくこんな質問を受ける。「アニメやマンガは海外でもかなり人気があるようだが、日本研究そのものは、バブル期に比べると衰退しているのではないか」と。しかし全くそんなことはない。MLA(注1)という組織の調査(注2)によると、米国の大学で日本語を勉強している学生は、バブル期の1986年には2万3,454人だったそうだ。最新の2013年のデータでは、その数は6万6,740まで増えているらしい。中国語の学習者が2013年には6万1,055人なので、今でも日本語の方が人気があるということになる。それは語学に限った話ではなく、日本文化の授業を受講する学生数も上昇している。大学院生もどんどん博士課程に進学しているし、研究の水準も高まっている。その中で、私の所属先であるUCLAと早稲田大学が「柳井正イニシアティブグローバル・ジャパン・ヒューマニティーズ・プロジェクト」を通じて互いに協力し、これからさまざまな画期的な企画を立ち上げていくことを考えると、むしろ米国においては日本研究の今後、そのさらなる隆盛に期待できそうである。

(注1)the Modern Language Association of America
(注2)www.mla.org/pdf/2013_enrollment_survey.pdf

マイケル・エメリック 撮影:若木信彦

マイケル・エメリック 撮影:若木信彦

マイケル・エメリック

UCLAアジア言語文化学部上級准教授・文化学術院訪問准教授。1975年米国ニューヨーク州生まれ。コロンビア大学で博士号取得。『源氏物語』から現代文学まで、幅広い研究活動を行う日本文学研究者であり、翻訳家としても活躍。主な著書はThe Tale of Genji: Translation, Canonization, World Literature(Columbia University Press, 2013)など。また川端康成、井上靖、高橋源一郎、吉本ばなな、川上弘美などの英訳を手掛ける。

日本学の発信と研究教育の交流を推進する「角田柳作記念国際日本学研究所」発足

国際日本学研究ネットワークの世界的拠点として、人文学分野における日本学研究の発信と交流を推進するため、「角田柳作記念国際日本学研究所」が、2015年1月に文学学術院に開設されました。早稲田大学におけるスーパーグローバル大学事業モデル拠点の一つとして、左記のプロジェクトを進めるほか、コロンビア大学やUCLAと人材交流を含めた研究・教育両面の活動を推進していきます。

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