「社会的インパクトを残したい」
社会科学部 4年 田所 輝(たどころ・ひかる)
早稲田大学では年間4,000人を超える学生が海外へ留学しており、田所輝さんもその一人です。田所さんは1年間のカナダ留学後、インターンシップのためにメキシコへと渡り、なんとその地で水泳教室を立ち上げました。大学では「早稲田大学フィンスイミングチームSIX BEAT」(公認サークル)の幹事長経験があり、世界大会に出場するほどの実力者。最初は4年で卒業し就職するつもりで、留学する気はなかったという田所さんが、なぜ留学や海外インターンシップを決意し、さらには海外で水泳教室を立ち上げるまでに至ったのでしょうか?
――大学ではフィンスイミングサークルに所属しているようですね。
3歳から水泳を始めて中学3年で初めて日本一も経験したのですが、高校ではけがもあって伸び悩み、劣等感を抱くようになりました。大学入学後、新たに自分が輝けるフィールドを探す中で出合ったのがフィンスイミングです。けがをしたのは肩だったので、足を主に使うなら大丈夫だろうという安易な考え(笑)と、競技人口が少なく、ある程度上を目指せるのではと考えました。マイナー競技でこれから盛り上げていこうというマインドにも引かれました。
サークルで幹事長だった時は、自分たちの練習管理だけでなく、高校などを訪ねて知名度を上げる活動もしました。僕が入った時は30人ほどだったサークル員も、今では100人を超え、後輩がどんどん育っています。
――充実した学生生活を送っていたようですが、カナダに留学したきっかけを教えてください。
3年生の時に「紛争解決論実習」という夏季集中授業で東ティモールへ行ったのが転機でした。一緒に参加した学生は、留学や海外インターンシップ経験者が多く、英語で大使館の職員との交渉やレポート作成をこなしていました。こうした意識もレベルも高い人たちと同時期に就職活動をするのかと思ったときに、自分の社会的価値の低さを感じて、少なくとも彼らに追い付いてから社会に出たいと思い、留学を決めました。
留学先はアメリカ英語に憧れがあったという少しミーハーな理由(笑)と、アメリカよりは物価が安いからと、カナダのトロントにしました。ただ、僕の英語は交換留学といった大学の制度で留学できるレベルにはなかったので、休学し、私費の語学留学という形で最初の半年は語学学校、その後カレッジに通い国際ビジネスを学びました。
――カナダでの生活はどうでしたか? また、約1年の留学後、帰国せずにメキシコに行ったのはなぜですか?
カナダでは日本や他国からの留学生とも仲良くなりましたが、ネイティブと話す機会を増やしたくて、カレッジではネイティブがたくさん集まるであろうスペイン語の授業を取りました。ただ、スペイン語は初心者で、英語での説明についていくだけで必死でした(笑)。でも、ラテン系の友達とコミュニケーションを取れるようになるのが楽しかったですね。
(写真左)カナダで通っていた語学学校のクラスメートと(田所さんは後列右から4人目)
(写真右)カナダで訪れたアルゴンキン州立公園。紅葉を背景に撮影した一枚
実は、当初は語学留学とインターンシップで1年間の計画でしたが、英語が上達したことで勉強意欲が湧き、予定を変更してカレッジに通ったんです。でもインターンシップも諦めきれず、滞在を1年延ばしました。親もやりたいならと応援してくれました。
インターンシップは英語のアウトプットのためと位置付け、アフリカのウガンダにある日本の中古車販売を行う企業に行く予定でした。でも諸事情で受け入れが延期になったため、学んだスペイン語が使えるメキシコへ渡り、日本食にフォーカスしたグルメサイトを運営する日系ベンチャー企業でインターンシップをすることに。現地の日本食レストランへの掲載依頼やYouTuberへの動画作成依頼など、主に営業やマーケティングを担当しました。
――では、メキシコでインターンシップをする中で水泳教室を開くに至った経緯は?
インターンシップで一緒だった日本人学生2人が、メキシコ国内でレストラン経営や起業を計画していたので、自分も何かできないか考えていたところ、現地に暮らす日本人から治安が悪くて子どもだけで外では遊ばせられないという話を聞きました。そこで教育関係のビジネスに着目し、水泳教室を立ち上げることにしました。自分の経験が生かせますし、場所は借りることができるので自分で用意するのはビート板くらい。失敗してもリスクが少ないというのも大きかったです。水泳教室を始めた時点でメキシコに1年いる覚悟を決め、教室に集中するためにインターンシップも2カ月ほどで辞めたのですが、インターン先の人も起業を応援してくれたので有り難かったです。
――水泳教室は一人で運営していたのでしょうか?
はい、チラシを作成して学校で配ったり、メディアに売り込んだり…とにかく試行錯誤の繰り返しでした。ターゲットはメキシコシティ在住の日本人に絞り、彼らが住むマンションのプールをメインに、市内のプールも1カ所使用しました。プログラムは現地の教室では少ない技術面の指導に重点を置き、価格はレッスン内容や相場などを勘案し、あえて現地の教室の3~4倍に設定しました。最初はそれがネックで人が集まりませんでしたが、生徒が10人を超えて信頼を得ていくと口コミで生徒数は増え、レッスンの様子を見ていたメキシコ人や他の国の人たちからも依頼を受けるようになりました。最終的に生徒数は50人位になり、そのうち2、3割が外国人でした。
――それだけ盛況だと帰国に際して皆さん残念がったのでは? 誰かに引き継いだのでしょうか?
少しでもメキシコシティの水泳教室の在り方が変わればという思いから、フリーランスのインストラクターや、場所を提供してくれたクラブのコーチに教授法の指導はしました。現在、彼らに教わっている子もいるので、引き継げた部分がある反面、まだまだ足りていない部分があるとも思っています。僕自身、子どもたちの成長をもっと見たいし、水泳を通して達成感や成功体験をもっと積んでほしいと思っているので、就活が終わったら夏にメキシコへ戻ろうと思っています。子どもに教えるのはもちろん、コーチへの指導に一層注力したいです。
――最後に、今後の展望を教えてください。
現在就活中ですが、水泳教室は単独運営、インターンシップ先も少人数のベンチャー企業だったこともあり、組織体系が整った企業でも働いてみたいです。
この2年で貴重な経験が積めたと思いますし、成長できている自覚があります。そして感じたのは「環境が人を変える」ということ。僕は東ティモールへ行って考え方が変わり、メキシコでの経験を通じて仕事に対するマインド設定もできました。一方で、環境を選ぶのも自分自身だと思っているので、自分が成長できる環境を見定められるようになりたいです。そして、将来的にはもっともっと人に違う世界を見せることができる人間になって社会的インパクトを残したいです。
第724回
【プロフィール】
神奈川県出身。湘南工科大学附属高等学校卒業。フィンスイミングでは世界大会に出場し、早稲田大学学生文化賞を受賞。趣味は旅行やサッカーなど。海外はアフリカ8カ国、ヨーロッパ10カ国、アジア5カ国など30カ国以上訪問しており、今夏には中南米を回って留学時代の友達に会いたいと語る。また、東ティモールの実習で知り合った人の中でも特に影響を受けたのが、アフリカでファッションブランドを立ち上げた根津朋子さん(2017年社会科学部卒)。今も時々連絡を取り、近況を報告し合っているという。