「有無を言わせないくらいの“絶対”を求めて」
創造理工学部 3年 石田 彩果(いしだ・あやか)
建築界のルーキー発掘の場として定評のある「建築新人戦2018」で優秀新人賞を受賞した創造理工学部建築学科3年の石田彩果さん。目を凝らさないと見えないくらいの緻密な線を引き、他とは一線を画す作品を構想する一方で、「建築には興味なし」とも語る石田さんに、その真意や建築の道に進んだきっかけ、今後の展望などについて聞きました。
――建築に興味を持ったきっかけは何ですか?
私の場合、完成した建築物に興味があるというよりは、ものづくりの過程のほうに強い関心があります。あくまで建築はものづくりのジャンルの一つと捉えているため、有名な建築物や建築家などに対しての知識・関心は、同じ学科の友人たちと比べると圧倒的に低いんです。物心つく前から工作が好きで、デザインには興味があったため、高校進学の時期から美術系の学校に行くことも考えていました。本庄高等学院へ進学したのは、受験勉強を頑張っていた分、早く自由になりたかったからです。ところが、実際に入学してみたら本当に自由過ぎて、楽しくて遊びまくってしまいました(笑)。 何か頑張ろうとしたときに自由な環境だと、何にも取り組めないのが自分だということが高校生活を通して分かりました。なので逆に、大学に進学する際には課題が厳しいと言われている創造理工学部の建築学科を選びました。親には政治経済学部を勧められましたが、あまのじゃくな性格なので、親への反発の意味も大いにあったと思います(笑)。
後付けの理由としては、私は長生きするのが夢で、自分の命を守る「家」というものを他の誰かには任せられない思いがあり、ノアの方舟のような、核爆発があっても生き残れる自分用のシェルターを自分で建てる、という壮大な夢を持っているからです。そのために建築学科で目の前のことに一生懸命取り組んでいます。
――優秀新人賞を受賞されたという「建築新人戦2018」について聞かせてください。
建築新人戦は年に一度、おのおのが所属する学校で課題として作成した設計を出品して、全国の学校からの応募者と競う約500人規模のコンテストです。私の出品した作品は、「東京・湯島にある旧岩崎邸庭園の敷地でカルチュラルコンデンサー(文化凝縮複合施設)を設計しなさい」という課題に対して作成した設計でした。旧岩崎邸庭園の煉瓦塀(れんがべい)は、日本では組積(そせき)が禁止されているため一部だけが本物の煉瓦で、他の部分は地震などで倒れないように補強されたフェイク素材が使われています。私の設計した作品「刻塀(こくへい)」では、「人・文化・時を刻む塀」をコンセプトに、本物の煉瓦塀を庭の中にも取り込み、あえて現代では禁止されている組積造にできるだけ近い設計をすることで、構造的に制約を受けた独特な形状が、逆に多様な文化的凝縮を生む空間として機能することを意図しました。岩崎邸はその昔、学問を人に与える場所でしたが、今では受動的な、ただ保護されているだけの場所になっているように思ったので、塀と塀のあいだの空間や、そこを行き来することで生じる人間と場所との相互向上的な関係を生み出すことを目的に設計しました。
――作品へのこだわりや、作品を制作する上で心掛けていることはどんなことですか?
建物を切断した断面図で部材や寸法の詳細を表した図のことを矩計図(かなばかりず)と言いますが、これだけ細かく描いているのは、早稲田では私だけだと自負しています。一般的に建築が評価されるのは「形」の要素が大きく、私の作品もそうした単なるデザイン面で評価していただくことが多いのですが、自分の作るものはデザインを重視しているわけではなく、材質の良しあしや通気性などの「機能」や「性能」を突き詰めて制作した結果、必然的にそのデザインになっただけと感じています。デザインは好き・嫌いで語られる恣意(しい)的なものですが、機能はもっと絶対的な、有無を言わせぬ領域に属していると考えています。
――好きな建築物はありますか?
いわゆる万人に開かれた建築物に好きなものはありません。「形」に信用を置いていないので、例えば教授が「この建築のこういう形の解放感が良い」というような抽象的なことを話されたときに、それは機能ではなくて個人の趣味だと感じてしまう自分がいます。私は住宅の方が好きです。個々の住宅はそこに住む人だけのために作られたものなので、その人の感受性という絶対的なよりどころがあるからだと思います。
「形」「形式」の話につなげると、建築の課題に対する講評にしても、難しくそれっぽいことをコメントしていれば済むと考えているタイプが苦手で、同様に学歴主義的な考え方にも違和感を覚えます。早稲田大学という名前も結局、私自身の性質には本来的に属しているものではないため、何をするにも「早稲田大学の看板を除いても通用するかどうか」という視点は高校生のときから意識していました。
これまで建築学科の授業で提出した課題作品
(左)「畳む」:布にある畳むという行為を糸にも応用した作品
(右)「妄想絵日記」:ピラミッドに埋葬されているのは王ではなく自分の夫だという、妻による秘密の絵日記壁画作品
――自分に対する気付きが早いですね。そうした影響はどこからきていると感じますか?
そこは母親譲りです。母は世間の評価には流されずに物事を判断できる人で、たとえ小さくてもそこにしかない独特な良さを見つけることができる感受性を持っています。そんな母にはまわりくどい説明は通用しないため、課題を作ったらまずは母に見せて意見を聞くことにしており、その反応で作品の良しあしを客観的に計っています。
逆に父親は、理性的な部分が強い人です。建築学科に進む際も、政治経済学部を勧める父を説得するために、政治経済学部には入らない理由と建築学科に進むのであればこういったことを達成するという決意表明をレポートとして提出しました。当初は反対していた父ですが、進学先が正式に決まった翌日には、建築家になるための本をプレゼントしてくれたので、今は少しは応援してくれているのだと思います。両親からは場面に合わせて良い影響をもらっていると思います。
――建築学科は課題も多いと聞きますが、苦労している点はありますか?
課題が与えられたら、まずその敷地が持つ歴史や文化的背景、その周辺を通るのがどんな人なのかといった生活背景など、これが絶対に良いと言える条件をあぶり出すため徹底的に調査します。締め切りがある中で、それらを踏まえ自分が納得できる水準まで徹底的に考えるので、そこは毎回苦労しているところです。
苦労の比較はできませんが、少なくとも睡眠は他のみんなよりとっていると思います。みんなは課題が大詰めになると徹夜することもあるようですが、私は徹夜は絶対に嫌なので、睡眠を確保するために頑張っているところがあります(笑)。エンドレスに続けていると、作ったものに対して冷静になる時間も、新しいアイデアを思いつく時間もなくなってしまうので…。通学時間が長いため、その時間を自分の頭の中を整理することに充てていて、自分にはそのやり方が合っているかなと思っています。
――今後の展望について聞かせてください。
正直、建築を続けるかどうかは悩んでいます。これまで私は建築に興味がなく、人より著しく知識に乏しいために、多くの人がやらないようなことをたまたまやってきたことで評価された面があると思います。もし今後も建築を続けるとしたら、他の人が当たり前に思っている法律や材料などを、ゼロから見直していきたいと考えています。建築業界は先が見えず苦しいということはいろいろな先生方が口にするところですが、なぜその状況を改革しようと頑張らないのだろう、なぜ苦しいままでやって行っているのだろうかと常々思っているので、私がそれを打開できればと思います。
一生懸命考えて、自分で出した答えはこれだ、というところまで持っていけたときにはすごい快感があるので、何かものを作ったり提案したりすることは今後も続けていきたいと思っています。
第721回
千葉県出身。早稲田大学本庄高等学院卒業。
座右の銘は「Try not to become a man of success but rather to become a man of value.」(Albert Einstein)。最近では宗教や古代などプリミティブなもの、神秘的なものに引かれるという。雑多な雰囲気の場所も好きで、工場が建ち並ぶ風景や、治安の悪い場所に描かれている落書きなどを見るとインスピレーションをかき立てられるそう。