Waseda Weekly早稲田ウィークリー

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日系米国人・LGBT…差別をどう乗り越えたのか? ジョージ・タケイ氏 、早大で語る

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(左から)学生らの声援に応えるジョージ・タケイ氏と、ミュージカル出演女優のエレナ・ワン氏、プロデューサーのロレンゾ・シオーネ氏

ハリウッドやブロードウェイなどで活躍する俳優で、LGBT当事者であるジョージ・タケイ氏が11月8日、早稲田大学の大隈記念講堂で講演し、「日系アメリカ人」であり「LGBT当事者」でもあるという二つのマイノリティとして、苦悩を乗り越えてきた人生を語りました。

ICCやGSセンター職員からの質問に答える方式で行われた講演

5歳のとき、日米開戦により「日系」であることを理由に、米国内の日系人強制収容所に送られたタケイ氏は、家族と共に監視付きの有刺鉄線に囲まれた収容所で、自由も民主主義もない生活を強いられました。このときの体験を元に日系人家族の人生を描いたブロードウェイ・ミュージカル『アリージャンス-忠誠-』は米国で大きな評判となり、公演を収録した映画の日本初公開に合わせてタケイ氏が来日。早稲田大学ICC(異文化交流センター)同GSセンターの共催により、今回のイベントが行われました。

タケイ氏の講演後は、同ミュージカル出演女優のエレナ・ワン氏が劇中の楽曲『Higher』を披露。早稲田大学公認のミュージカルサークル「SEIREN」も舞台に上がり、いじめを受けている10代の青少年に対して「今置かれている環境は永続的なものではなく、より良い未来がある」というメッセージを込めた『It Gets Better』を歌いました。

 

「Ally(仲間)」の力に気が付いた

_DSC0535私が10歳のときでした。私は次第に自分は他の人たちと違う、人は見かけだけじゃないと気付き始めたんです。例えば同級生が「サリーってキュートだよね!」って言ったときに、私は「うん、まあ、ナイスだよね」としか感じませんでした。高校生になると成熟の早かったモニカという女の子がいて、同級生は「モニカってホットだよね!」って言っていたんですが、私は「まあ、ナイスだな」としか思えない。実は私はボビーがキュートだなと感じてたんですね。

しかし、私はみんなと同じように振る舞うことを選びました。人種・外見が違うだけで自分は罰を受けるんだということを日系人強制収容所で過ごした子供時代に経験していたからです。幸いセクシュアリティというのは顔のように外に見えるものではないので、隠すことができます。みんなと一緒になるために、私は自分のセクシュアリティを隠してきたのです。

「自分自身」であることが罪?

私が俳優としてのキャリアをスタートしたころも同じです。もし、「自分はゲイだ」と公にしたら、私の俳優としてのキャリアが成立しませんでした。またそのころ、ゲイバーの存在を知りました。常日頃からゲイであることが露見しないかと、不安を抱え続けていたのですが、ゲイバーでは自分と同じような境遇の人たちと、打ち解けることができたのです。

_DSC0117しかし、ゲイバーでも必ずしも安心してはいられませんでした。ある店で会った人はこう言いました。「いいかい、気をつけた方がいいよ。たまにゲイバーには警察が来て、全員をワゴン車に乗せて警察署に運び、指紋と写真をとってリストを作る」。ゲイであることを仮に自分の職場の人に知られたら、仕事を失うこともあるだろうし、家族が知ったら自分の身内にさえ拒否されるかもしれない。このような葛藤を抱えた仲間の中には、自らの命を絶つ者もいました。

そのとき思い出したのは、日系アメリカ人として強制収容所に入れられた経験です。われわれは何も悪いことをしているわけでもなければ、誰に迷惑を掛けているわけでもない。にもかかわらず、まるで犯罪者のような扱いをされたわけです。「自分自身である」というだけでこのような扱いを受けるというのはアンフェアであり、不正義だと、大きな憤りを感じていました。にもかかわらず、私は大人になっても沈黙を続けました。自分のキャリアを保ちたかったからです。

沈黙から戦いへ

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劇中歌『Higher』を熱唱するエレナ・ワン氏

その後にアメリカで起きたのは、エイズのまん延です。われわれの仲間たちが突然、極端に体重が減った後に死んでいく。恐ろしい状況が起こっていました。しかし、その時期に、ゲイに対して関心を持ってもらおうと、犠牲覚悟で立ち上がる人も出てきました。けれども、私は沈黙を続けた。社会的な正義のために立ち上がりたいという気持ちもあったので、私は罪悪感で心が引き裂かれるような思いを抱えてきました。

キャリアや家族を犠牲にしてまで、LGBTへの理解を深めるための活動をしてくれた仲間のおかげで、一般社会の理解が深まっていきました。私自身は寄付などで援助はしましたが、沈黙を続けていました。こうした活動の成果は、次第に目に見える形になっていきました。その最初の例として2003年、マサチューセッツ州は同性婚の権利を認めました。2005年にはカリフォルニア州が同性婚の法案を審議して、知事の同意があれば法案成立までいったのです。シュワルツェネッガー知事(当時)は俳優としての仲間ですし、当然、LGBTへの理解者であろうとみていたので、私は州知事にしようと彼に投票したのです。しかし、彼は共和党の基盤を失いたくないために最後の最後になって、この法案に拒否権を発動したのです。

誰もが怒りをあらわにしました。「これは私としても自分自身でそろそろ“ルール”というものを作るべきだ」と、夫と話し合って決めました。その後、私はプレスに対してカミングアウトしたのです。

日本にも大きな希望

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「SEIREN」も負けずに美声を披露した

ゲイのイベントやツアーも行いました。このような活動から気付いたのは「Ally(アライ、仲間)の数を増やす」ということです。ここでいうAllyは必ずしも同じゲイの仲間ということを指していません。当然、LGBTの人には親も子供もいるわけで、そのような仲間、理解者がいればいいのです。私たちも社会の一員であり、人の親でもあれば、兄弟、家族であるわけです。

私は、LGBTの人々が暮らしやすい社会を目指すイベントが日本でも行われているのを知っています。また、東京都の渋谷区では、同性婚を認めるのに近いような条例を作りました。私は渋谷区長の長谷部健氏と実際に会ってきたのですが、素晴らしいリーダーですね。このようなリーダーが東京都にいるということは、日本にも大きな希望があると感じています。

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