「生活と権利が保障され、誰もが自分で未来を決められる社会、不条理のない世界を実現したい」。このような思いを込めて2017年5月、アフリカ・南スーダンの難民支援などの国際協力活動を行うNGO(非政府組織)「コンフロントワールド」を設立した原貫太さん。大学1年の春、就職活動の話題作りと思って参加したフィリピンのスタディーツアーでスラム街の現状調査などを体験し、物乞いをする少女と出会いました。そのときに感じた悲しみ・憤りから始まった「世界の不条理に対する挑戦」という国際協力活動は、新聞・テレビでも大きく取り上げられ、自著も出版、さらにブログやSNS、Webメディア『ハフポスト』でも積極的に情報を発信しています。一般企業への就職はせず、国際協力活動の事業化へ向けて動いている23歳の大学生の横顔とは?
「不条理のない世界」実現のために活動を事業化
文学部 5年 原 貫太(はら・かんた)
――2014年の大学2年次に学生NGOを設立し、貧困にあえぐバングラデシュの子供たちの支援活動をしてきました。新たに「コンフロントワールド」を設立した理由を教えてください。
大学3年の2016年1月、京都市にあるNPO(特定非営利活動)法人の助けを借りてアフリカ・ウガンダで、内戦の被害者といえる元少女兵にインタビューしました。その後、そのNPO法人のインターン生となって、再びウガンダで2カ月間にわたり、元子ども兵の社会復帰支援活動や南スーダン難民のニーズを聞く調査活動をしてきました。現地では目の前で両親を銃殺された女の子や、親がいなくて子どもたちだけで生活している家庭など、今この瞬間を苦しんでいる人々を見てきました。
南スーダン難民居住区に暮らす子どもたちです。
気温35度の炎天下、昼食を取る暇もなく難民の家庭を一軒一軒訪問し、ニーズを聞く調査活動は非常にタフさを求められます。
けど、子どもたちの笑顔を見ていると、少しだけ疲れが癒される気がします。 pic.twitter.com/bdd6VBYbOp— 原貫太 Kanta Hara (@kantahara) 2017年8月27日
活動の中で二つ感じたことがあります。一つは世界の不条理・負の存在に目を向け続けてきたからこそ、大学を卒業して社会へ出て行くにあたって、自分はどういう世界を創りたいのだろうということを、あらためて考えるべきだと思ったこと。もう一つが、「就職して3年間はスキルを磨きます」「大学院で専門性を身に付けます」などと準備している間に、世界の不条理がどんどん生み出され、多くの人が苦しめられている。これを無視してよいのか、という葛藤が生まれたことです。この二つの思いを形にする「手段」として、すぐに行動を起こして今できる最大限の国際協力をする「コンフロントワールド」を設立し、今後、NPO法人化して事業として行っていくことを決断しました。すでに今夏には、南スーダン難民への生活に必要な物資の緊急支援やクラウドファンディングを活用したサッカーチーム設立支援を実施しています。
――不安はありませんでしたか。
正直に言うとありました。まず、仲間に対して。強い思いを持って起業しても、自分と同じ熱量でやっていける人たちが集まるのかなという不安です。ところが、起業するということを自分で情報発信するようになったら、ODA(政府開発援助)の分野で10年、NGOで25年以上、国際協力活動を行ってきたという社会人の方が協力してくれて、すでに大学を卒業して会社員となっていた友人も手伝ってくれるようになりました。仲間が少しずつ集まってきて、今は社会人スタッフ5名に学生スタッフ16名になり、こうした不安を乗り越えることができました。また、海外の現場で事業をゼロから作ることにも、すごく不安がありました。しかし、僕がインターンシップをしていたNPO法人のスタッフが色んな情報提供をしてくれるなど、背中を押してくれて、ようやく軌道に乗り始めたと思っています。
――国際協力活動を「仕事にする」とは?
「コンフロントワールド」の現状の組織形態は、基本的に全てボランティアです。しかし、2018年3月に僕が大学を卒業した後は、まず僕が正規職員となって運営していく予定です。そのための資金調達は今、さまざまな方法で行っています。日本だと「国際協力=ボランティア」「NPO=ボランティア」と捉えている人がすごく多いと思いますが、そこは違うんです。ボランティアは、国際協力活動を行う上での一つの形式に過ぎません。僕の周りでも学生時代は国際協力活動をしているけれど、あくまでもボランティアであり、卒業後は全く関係ない分野に就職していくという学生がすごく多い。あんなに情熱を注いでいたのに、就職を機にやめるのって、すごくもったいないと思います。
その原因の一つに「国際協力活動を仕事にすること」についての情報が圧倒的に不足しているということがあります。しかし、僕は十分な給料をもらいながら、国際協力活動を仕事にしていくこともできるということを、SNSやブログ、講演など色んな場所で伝えています。今の時代は、収入を得る方法はたくさんある。多様な収入源があれば、国際協力活動だって仕事にできるんです。大学新卒でも仕事にして生きていけるんだということを、示していきます。
――どのように持続可能な活動にしていくのでしょうか?
寄付とか会費だけに頼るスタイルだと持続性はあまりありません。また、事業にしないと活動の規模を広げていけないと思います。ただ、この事業だけで食べていこうという気はありません。僕は大学卒業までに収入源を七つにしようと思っています。現在、本を書いたり、ブログをやったり、有料マガジンを発行したり、講演を行ったり、国際協力活動のコンサルタント的なことも請け負っています。これら五つにプラスして、コンフロントワールドの給与と、もう一つ何かを作ろうと思っています。それぞれの月収は数千円から数万円であっても多様な収入源があれば、僕個人としては会社が倒産したら終わりの会社員よりも、よっぽど安定していると思います。収入源が多様化した現代の新しい生き方だと思います。
――事業化にあたって、重視していることは?
絶対に必要なことが情報の発信力です。学生時代は「人生の夏休み」とやゆされることもありますが、本当に純粋な動機で社会のためになる活動をしている学生は多い。しかし、情報発信をして届かなければ、社会的には認められません。社会で認知されなければ存在しないのと一緒だと思っています。SNSをやっていると、フォロワーが寄付してくださったり、自分の本を買ってくれたり、講演を依頼されたりすることがあります。世界的な有名人に関心を持ってもらったこともあります。価値あることを発信すれば、それをマネタイズ(収益事業化)する方法は、後からいくらでも生まれてくる。ところが、国際協力活動の分野ではまだまだ発信力のある人が足りない。僕らの世代も、上の世代も。国際協力活動に新しい風を吹かそうと思っています。
――早稲田大学で学んだこと、経験したことは役に立ちましたか。
授業が活動に直接役に立ったとは言えませんが、その前提となる知識を得られました。自分の専攻以外の分野を学べる副専攻が充実していて、平和学やグローバルリーダーシップに関するものを学びました。早稲田はマンモス大学なので、自分で積極的に動かない限りは、何事も中途半端に終わってしまうと思っています。それでも、それなりに良い企業に就職して、それなりに生きていけるかもしれません。しかし、早稲田では自ら足を動かせば、チャンスはたくさん落ちています。「国際協力活動」には入学当初は全く興味なかったですし、全く知りませんでした。教員免許をとって教員になろうと思っていましたから。早稲田には僕の活動を応援してくれる教授もいます。落ちていたチャンスを生かしたという事を振り返ると、早稲田に来ていなかったら、僕は今の活動はしてなかったのではないかとも思います。
写真提供:原貫太
【プロフィール】神奈川県出身。逗子開成高等学校卒業。コンフロントワールド代表。大学3年の夏から春にかけて、早稲田大学の交換留学プログラムでカリフォルニア州立大学チコ校に留学した。インターネットの格安オンライン英会話サービスを利用して英語力を磨いた上で留学したという。2017年3月、『世界を無視しない大人になるために 僕がアフリカで見た「本当の」国際支援』を出版。ブログでは活動を紹介するほか、「大学生がアルバイトではなくブログで1円でも稼ぐべき”本当の”理由」「リゾート地なんていつでも行ける。社会に出る前の卒業旅行くらい、大学生は途上国へ行こう」「大学生は就職活動に一回失敗するくらいがちょうどいいんじゃない?という話。」などと、同年代に向けた刺激的なメッセージも並ぶ。