スポーツ科学部4年 固城 侑美(こじょう ゆみ)
今秋、韓国の仁川で行われた第17回アジア競技大会では数々のドラマが生まれた。大会初出場ながら銀メダルを手にした水球女子の活躍もその一つ。早大水泳部水球部門女子の主将であり、水球女子日本代表でもある固城さんは、この快挙に胸を張る。
「水球女子日本代表は国際大会での実績はありませんが、世界に通用するチームだと信じていました」。
大会前、日本水泳連盟からは「男子は金メダル、女子はメダル獲得を目指してほしい」と目標に差をつけられた。選手にプレッシャーを与えないための配慮とはいえ、女子選手は自分たちへの期待の低さを感じたという。
「その悔しさをばねに選手一丸となって『絶対に金メダルを取る』という気持ちで大会に臨みました。それが今回の結果につながったのだと思います」。
競技用プールで7人編成のチーム同士が得点を競う水球は、「水中の格闘技」と形容されるほど激しい競技。その過酷な世界に人生の半分以上を捧げてきたからこそ、固城さんには揺るぎない自信があったのだ。
「小学校3年で姉と一緒に水球を習い始めて以来なので競技歴は13年になります。本格的に取り組むことになったのは高校から。中学校2年のときに出場した全国大会で、水球強豪校の藤村女子高校の監督からスカウトされたんです」。
高校の部活はハードの一言。監督の厳しい指導の下、2kmの泳ぎ込み、スクワットやベンチプレスなどの筋力トレーニングを日課とし、戦術やシュートテクニックなどにも磨きをかけた。
鍛え抜いた実力を遺憾なく発揮したのは高校2年のとき。ジュニアの日本代表に選ばれ、4カ国の代表が集うアジアエイジ選手権で優勝。その実力が買われ、複数の大学からスカウトが届くが、進学先は姉の妃美(ひみ)さんも通う早稲田大学に決めた。ところが高校との競技環境の違いに戸惑ってしまう。
「早稲田の水泳部水球部門女子は、2010年に発足したばかり。監督不在の学生主体チームで試行錯誤が続き、試合で結果を残せないことが続きました」。
苦悩が続く固城さんを立ち直らせたのは二つの出来事だった。一つは大学2年次に水球女子日本代表に選出されたこと。世界のレベルを肌で感じたことで代表選手としての自覚が芽生え、人一倍多くの練習をこなすようになった。もう一つは、早大水泳部のOBが水球女子の監督に就任することになり、固城さんを勇気づけた。
新監督の下、部内には個々の能力を生かすチームワークが生まれ、チームの変化に結果もついてきた。インカレ初出場の2010年5位から毎年一つずつ順位を上げ、今年はわずか1点差で優勝を逃したものの、2年連続で準優勝を果たした。そして、チームをけん引してきた固城さんの奮闘は、アジア競技大会銀メダルという形で結実する。
有終の美を飾った固城さんは、今年限りで競技生活から離れる。「私が果たせなかったインカレ優勝は、後輩に達成してほしい」。水球部門女子希代のエースは、来年はOGとして、入部以来の夢が実現する日を待ち望んでいる。
第604回