2014年9月 政治経済学部卒業
樹原 孝之介 (きはら こうのすけ)
1999年、家庭用ゲーム機「PlayStationR」のソフトで大ヒットしたロールプレーイングゲーム『俺の屍(しかばね)を越えてゆけ』(以下“俺屍”)。今年の7月、ファン待望の第2弾『俺の屍(しかばね)を越えてゆけ2』が発売された。その音楽を担当したのが、9月に政治経済学部を卒業した樹原さん。ゲーム音楽の制作や編曲なども手掛けるプロの作曲家である。
「母が前作の音楽を作曲していた縁で声を掛けてもらったんです」。
樹原さんの母親は作曲家の樹原涼子さん。幼少のころから音楽の英才教育を施してくれたのも涼子さんだった。
中学からは、作曲科のある高校への進学も視野に入れ、和声学などの音楽理論を習った。このとき得た知識が後年、作曲家として生きてくる。大学は音大ではなく、早稲田大学に進学。その理由は「作品に深みを与えるには、文学や社会、政治などの知識が必要だと思ったので」と語る。
大学では学業だけでなく課外活動も充実させた。1年次、高校で目覚めたジャズダンスのサークルに入会。それと並行し、2年からは仲間と一緒に劇団「PUZZLE」を旗揚げ。100人以上の学生で作り上げたミュージカルは、定員約1,200人の世田谷区民会館のホールに立ち見が出るほどの盛況となった。
劇団の活動が一段落したころ、作曲家の足掛かりとなる話が舞い込んできた。“俺屍”PSP版BGMのアレンジ依頼である。プロとしての初仕事をやり遂げ、自信につながった。
そして2年後、今度は“俺屍2”のBGM作曲依頼が届く。楽曲数は作品内のほぼ全てとなる70曲超。大学の授業以外の時間は全て創作活動に充てることにした。
制作に当たって渡された資料は、シナリオとキャラクターの設定、シーンのイメージイラスト数枚。それらを基に各シーンに必要な音楽をイメージする。曲のアイデアが生まれたら使用楽器を決めてパソコンで作り込む、という流れで作業を進めていく。これが思いの外、重労働。毎回一つのパートを作り終えるころには精根尽き果てていた。
もちろん苦労はこれに尽きない。
「曲によっては尺八や三味線など、生楽器を演奏してもらって録音します。その際にはプロのミュージシャンとのやりとり、現場ではディレクションもこなさなければなりません。9時間通しの録音のときなどは、さすがに緊張しっ放しでした」。
制作開始から10カ月。ようやく全曲が完成した。主題歌の歌詞に前作のキーフレーズを使用するなど、細かい仕掛けが随所に盛り込んである。プレーヤーからの評判も上々。「自分にしか作れないものがある」という手応えをつかみ、卒業後はフリーランスの作曲家として活動していくことを決心した。
創作に大切な感性はサークル仲間と過ごした多様な時間からもはぐくまれた。早大生の関心は幅広い。そう感じ続けた学生生活だったからこそ、後輩にはこんな思いを伝えたいと言う。
「進路に迷ったときは、自分には迷うほど多くの可能性があると考えてほしい。関心を目いっぱい広げ、そこから進みたい道を選べばいいと思います」。
第601回