湖沼の堆積物が語る地球の姿
理工学術院 教授 香村 一夫 (かむら・かずお)
早稲田大学理工学部・同大学院修士課程修了。博士(理学)。公設研究機関研究員として、20年以上環境問題の最前線の研究に従事。2006年環境資源工学科教授に就任。地圏環境学が専門。フィールドデータと実験室でのデータの相関を常に意識しながら研究を進めている。
グローバル化しているのは、人・カネ・モノだけではない。環境問題もグローバル化し、複雑化している。持続可能な地球のために、今、私たちに求められる視点は何だろうか。
環境問題の変遷
地球は46億年の歴史をもつ。一方、その環境は産業革命以後のわずか200年の間にドラスチックに変化した。地球の年齢を1年間(365日)にたとえると、新しい年が来る前のわずか1秒程度の間に大きな変革がもたらされたことになる。
その原因は、人間の飽くなき欲求から生じた人々の暮らしの変容にある。この間、鉱業・工業等の産業が発展・多様化するとともに、社会は消費型へと変化した。そして、それらの副産物として鉱害・公害・各種環境汚染・廃棄物問題が生じた。しかし、1970年代のオイルショックを契機として、この風潮を見直す動きが表れ、現在では持続的な発展を目指す方向へと舵(かじ)が取られている。
さて、皆さんはレイチェル・カーソンという人物をご存じだろうか? 彼女の著した『沈黙の春』は、人間の作った「合成化学物質」が自然の生態系を壊し、ひいては人間の生命にも危険を及ぼすことを警告した書であり、環境問題の古典といわれる。これまで人間は自然界にはないさまざまな物質を作り社会の発展に寄与してきたが、その中には物質自体が有害であり、その取り扱いを間違えば自然破壊につながるものもある。
国境を越える汚染物質
汚染物質の一つとして、「残留性有機汚染物質(POPs)」と呼ばれる一群がある。これらの物質は、分解性が低く長期に残留する利点を生かし、農薬などに広く利用されてきた。しかし、近年ではPOPsを利用していない極地に棲むアザラシやイルカの体内からこのような物質が高濃度で検出されている。世界の中緯度や熱帯地域の農業生産で使われた物質が長距離を移動したことになる。これは、POPsが低揮発性であり、大気中で蒸発・凝縮を繰り返しながら拡散した結果である。この現象は、飛び跳ねて移動するバッタの動きに似ていることから「バッタ効果」と呼ばれる。
一方、工業の盛んな国からその周辺の国へ汚染物質が運ばれ、被害を出すといった国境を越える環境汚染も問題となっている。欧州や北米における酸性雨、中欧の多国間を流れる国際河川における水質汚濁、海洋の汚染などがその例である。
湖沼堆積物による環境解析
ここで現代日本に目を向けよう。1960年代のわが国は高度経済成長期の真っ只中にあり、各地で大気汚染や水質汚濁などの公害問題が生じたが、その後のさまざまな規制や技術の進歩により沈静化した。一方、昨今、偏西風にのって、中国大陸から飛来する汚染物質が問題となっている。微小粒子状物質を示す「PM2.5」という用語も話題となった。これらの汚染については、現在リアルタイムで監視されている。
では、いつ頃からこのような影響が出始めたのだろうか。私たちの研究室では、日本・韓国・中国に存在する湖沼の堆積物を利用してそれらの解明を試みてきた(写真1・2)。河川の流入や流出の少ない静穏な湖沼の底には、上空から落下した物質が順序よく積もっていく。すなわち、その堆積物の下部は古く、上部は新しい。このような堆積物をサンプラーで鉛直方向に採取した後、深度方向2㎝間隔で切断し、分析試料とする。通常の湖沼では長さ50㎝~ 100㎝の柱状堆積物が採取できる。
そして各試料中の汚染物質の濃度を分析し、それぞれの物質について深度に伴う濃度トレンドを作成する(図)。また、試料中の放射性物質を分析することにより、その堆積時期が算出でき、トレンドに時間軸が入る。そして、さまざまな検討を経て、中国大陸からわが国への汚染が顕著になりだしたのは1980年代初頭であることが判明した。
環境問題を解く鍵
人間活動は地球環境に多大な影響を与えてきた。これは「人と自然との関わり合い」であり、その反動としてさまざまな環境問題と向き合うこととなった。換言すると、人間は地球そのものを対象にして実験をしてきたともいえる。この実験と正面から向き合うことにより、持続可能な地球への展望が生まれてくるものと考えている。さらに、環境問題は多様化・広域化・複雑化しており、「人と自然」ばかりでなく「人と人」との関わり合いも解決のための鍵となる。とはいえ、多くの人々が環境について考え行動することこそが最も重要であることはいうまでもない。
(『新鐘』No.83掲載記事より)
※記事の内容、教員の職位などは取材当時(2016年)のものです。