技術ではなく知の総力戦こそ、復活の鍵
商学学術院 教授 長内 厚(おさない・あつし)
京都大学大学院経済学研究科修了。博士(経済学)。ソニー株式会社、神戸大学経済経営研究所を経て2011年に早稲田大学商学学術院准教授着任、2016年から現職。日本台湾交流協会日台ビジネスアライアンス委員、組織学会評議員。主な著書に『台湾エレクトロニクス産業のものづくり』(白桃書房)。
かつて世界で大きな存在感を放っていた日本の家電も、今やその人気は下火だ。先進的技術を生み出しつづけているのにもかかわらず、確固たる地位を確立することができない現状には、どのような背景があるのだろうか。
日本の家電メーカーの海外戦略2つの過ち

米国の家電量販店では、韓国家電が売り場を占拠している
日本の家電産業が振るわないといわれて10年ぐらいになる。高度経済成長期に自動車産業と並んで世界にその名を轟(とどろ)かせた日本の家電業界。1980年代には米国や欧州と貿易摩擦が生じるほど世界に恐れられた。しかし、その面影は今はない。
筆者は現在、ハーバード大学客員研究員として米国に住んでいる。米国の家電量販店を覗(のぞ)くと、日本の存在感のなさが目立つ。スマホやテレビの売り場には一つか二つ日本ブランドがあるだけで、売り場の大きな面積は韓国や台湾・中国メーカーの製品が並ぶ。洗濯機や冷蔵庫といった白物家電に至っては、日本ブランドはほぼ皆無といって良い。なぜこのような状況になっているのか。
そこには2 つの大きな要因がある。一つは技術力の高さを過信して、その時その時のハイテク製品だけを海外に輸出し、海外で総合家電メーカーとしてのブランドを築かなかったからだ。日本ではパナソニック、日立、東芝、シャープなど、AV機器から白物家電まで総合家電メーカーの同じブランドが家電量販店のあらゆる売り場で目にすることができる。しかし、これらの企業は、海外では技術による付加価値の高いテレビ、ビデオ、FAXなどの製品だけを輸出し、それ以外の付加価値の低い製品の輸出を熱心にしてこなかった。一方韓国の2大家電メーカー、サムスンとLGは、儲けの多い製品も少ない製品も含めて総合ラインアップで欧米市場に「ブランド」を浸透させてきた。欧米の消費者は韓国ブランドこそが総合家電であり、安心できる大企業だと思うようになった。もう一つの過ちは、技術を過度に過信したことである。技術力さえあれば売れる。業績の悪い今日も、技術力の向上で付加価値を上げ利益率を上げようとしている企業も少なくない。しかしそれは間違いである。

a点は過去の日本企業の状況。技術が消費者の認知レベル以 下なので技術開発によって付加価値が容易に創造できる。 b点は現在の状況。消費者はこれ以上の技術レベルを必要 としないか認知できないので、これ以上の技術開発は付加 価値につながらない
売るのは「技術」ではなく「製品」
結論から言えば、日本の家電業界の技術力は低下したわけではない。企業が技術開発に投資をするのは差異化戦略によってより多くの付加価値、利益を得ようとするためだ。しかし、技術が高度に進みすぎると図にあるように消費者の認知レベルを超えた技術向上になってしまう。技術力に差があったとしても消費者が必要としない、あるいは認知不可能なレベルでの企業間技術競争は無意味である。いわゆる過剰品質の問題である。かつてガラケー全盛期に「全部入りケータイ」と呼ばれた高機能ケータイが日本市場で一世を風靡(ふうび)したが、その後登場したiPhoneにあっという間に市場から閉め出された。iPhoneは機能・性能を向上させたわけではない。「全部入りケータイ」に比較すれば、ワンセグもラジオもおサイフケータイも入っていない、機能的には「あれこれないケータイ」である。しかし、iPhoneが持つ新たな操作性、ライフスタイルなどが消費者の心を掴んだ。エレクトロニクスは技術の領域である。しかし、企業は「技術」そのものを売っているのではない。「製品」を売っているのだ。全てを技術で解決しようというのが日本企業に共通した過ちなのである。

iPhoneは、デザインやライフスタイルに合った新たな操作性で人気。 日本での販売シェアはハイスペックなAndroidを上回っている
総合大学である早稲田の知の結集こそが解決の糸口
日本の「ものづくり」を復活させる鍵は、技術の問題を技術領域だけで捉える姿勢を改めることである。冒頭で述べた韓国メーカーは、世界各地の市場に社員を送り込み、現地の社会や文化を学ばせ、何がその地域で必要な製品なのかを考えるヒントにしたという。各国で異なる法規制や政治制度にも巧みに対応していった。また、技術だけで解決できないところは、戦略やマーケティングによって補っていった。日本は韓国メーカーに技術力で負けたのではない。「知の総力戦」に負けたのだ。しかし、日本にはまだまだ潜在的な技術力の高さがある。今こそ日本も知の総力戦で世界市場に打って出るべきである。
早稲田大学を卒業するということは、単に自分の学部の知識を身に付けるということだけではない。中高校生を生徒、大学では学生と呼び分ける。これは昔のイギリスでは高校生以下をPupil、大学生をStudentと呼んでいた名残である。生徒と学生を分ける最大のポイントは、高校までの授業が受動的に教わる勉強であったのに対し、大学の学生は自ら学び取る自主性にある。多くの早稲田生も他学部の授業に関心を持ったり、サークルや部活動で多くの他学部生と交流を持つと思う。そうした、領域横断的な活動こそが知の総力戦には必要になってくる。全てを自分の専門分野だけで解決しようとしないということが大切だ。早稲田大学という総合大学で学ぶからこそ得られる学際的な知識やネットワークを社会に出てからも活用し、知の総力戦でこれからの日本を盛り上げていってほしい。
(『新鐘』No.83掲載記事より)
※記事の内容、教員の職位などは取材当時(2016年)のものです。