言語の地位の平等化を参考に考える
教育・総合科学学術院 教授 前田 耕司(まえだ こうじ)
メルボルン大学リサーチフェロー、国士舘大学文学部助教授等を経て、現職。博士(教育学)。専攻は多文化教育論。日本国際教育学会会長、日本学習社会学会会長、藤沢市生涯学習大学副学長等を歴任。現在、モナシュ大学アフィリエイト。近著にNonformal Education and Civil Society in Japan (co-authorship, 2016, Routledge)など。
日本のアイヌ語をはじめ、世界中の先住・少数言語が消滅の危機にさらされている。その課題解決に向けてヒントとなりそうなのが言語の地位の平等化の考えを反映したオーストラリアの取り組みだ。
国際的な枠組みの設定
国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)は、2009年に世界で6,000前後あるといわれる言語のうち、2,465の言語が消滅の危機にさらされているとの調査結果を発表した。その多くが文字を持たない先住民族の言語とされる。日本では、アイヌ語が最も深刻な「絶滅危惧」(critically endangered)言語と分類され、八丈語を加えた琉球諸語(奄美語・国頭語・沖縄語・宮古語・八重山語・与那国語)の計8言語が絶滅の恐れのある危機言語のリストに加えられた(UNESCO Atlas of the World’s Languages in Danger)。
さかのぼること2年、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」(2007年)が国連総会で採択された。法的拘束力はないが、消滅が危惧される先住民族言語・文化の維持・復興の必要性を示唆したグローバルな規範的枠組みである。とりわけ14条の、先住民族との連携を基本軸にして先住民族のアイデンティティー形成の基盤となる民族独自の言語・文化による教育を受ける権利の保障を規定する1項と言語権の保障の範囲を共同体以外にも拡大しようとする2項は特筆に値しよう。特に後者は、5,000人を超えるともいわれる首都圏で暮らすディアスポラ(Diaspora ※)なアイヌ民族を想定した条項で、日本全域で暮らすアイヌ民族や琉球・沖縄民族の言語・文化権などの権利回復を目指す法的な枠組みの構築の必要性を志向している。
※ギリシア語で「散らされた者」と意味し、原住地を離れ、移住すること
消滅の危機に瀕するアイヌ語の復興
アイヌ語には、かつて樺太方言や千島方言が存在していたが、現在、母語話者が確認できるのは北海道方言としてのアイヌ語のみである。北海道環境生活部が1999年に発表した調査結果『北海道ウタリ生活実態調査報告書』によると、会話ができるとされるアイヌは60歳以上で3.2%、50代で1.2%でしかなく、それ以外にアイヌ語の母語話者は確認されない。アイヌ語が「絶滅危惧」言語とされるゆえんであろう。こうした文脈の背景には、植民地化や北海道開拓等を通して国家体系に不本意に編入され、近代学校制度の発展過程の中で日本語による標準化が進められてきたという歴史的な経緯がある。それは、日本語推進のために、小中学校で琉球諸語の使用者に罰として首から掛けさせた沖縄の「方言札」の問題とも重なる。
これまでも、1997年施行の「アイヌ文化振興法」に基づき設置されたアイヌ文化振興・研究推進機構の事業の一環としてアイヌ語教育事業やアイヌ語普及事業が展開されている。しかしながら、このようなアイヌ語学習は社会教育・生涯学習の観点からの取り組みであるものの、学校の教育課程に位置づくものではなく、一部の学校を除いて公立の学校へのアイヌ語学習の導入は図られていない。
600もの言語が存在したオーストラリアのアボリジニ社会
参考となりそうなのが、オーストラリアにおける取り組みだ。

西オーストラリア州の公立の小学校では、およそ20年前からアボリジニ語の授業が行われている
オーストラリアの先住民族アボリジニの社会は単一の言語・文化で形成されていたわけではなく、およそ270種類の多様な言語から成り立っていた。そこに、英語話者とアボリジニとの接触時に意思疎通の手段として生まれたいわゆるピジン英語や、隔離政策により多数話者の言語と少数話者の言語が混ざり合いそのまま定着したクレオール(混成語)、英語の方言形態としてのアボリジニ英語など多数の方言が加わった。
すべて合わせると、600もの言語が存在していたと推測されよう。しかし、これらの多くは、親子分離政策により伝統言語の使用が禁止されるなど、アングロ社会への同化を目的とした強制的な文化変容の過程の中で今日ではおよそ150種類に減少したといわれる。しかも、そのうちのおよそ100の言語は存続の危機にある。
「すべての言語が同じ価値を持つ」という考え方
こうした中、オーストラリアにおいては、英語ともう1つの言語(地域によってはさらにもう2つの言語)として、伝統的なアボリジニ諸語やアボリジニ英語の教育プログラムが「英語以外の言語教育(LOTE)」の一環としてアボリジニの多い西オーストラリア州の公立学校を中心に1992年より展開されている。そうした理念の根底にあるのは、オーストラリア英語を1つの方言と位置づけ、英語もそれ以外の言語も同じコミュ二ティーで生活している人々の言語と考える言語観だ。そこには英語もアボリジニの言語も同じ価値を持つのだという言語の地位の平等化を目指す考え方が反映されている。
また授業における支援体制もチームティーチングを基本軸として、アボリジニの教員と非アボリジニの教員のコラボレーションによる双方向的2方言アプローチが行われている。今日ではこうしたアボリジニ諸語教育が州により多少の違いがあるにしても全豪レベルで展開されている。
いずれにせよ、オーストラリアの取り組みは、消滅化の危機に瀕(ひん)する先住・少数民族の言語の維持・復興にとって示唆的なモデルとなり得るのではないだろうか。

2016年8月、オーストラリアのモナシュ大学教育学部滞在中に撮影。左から、アボリジニ教育研究の第一人者、Zane Ma Rhea准教授、私、モナシュ大学先住民族諮問委員会副議長で、オーストラリア先住民族にルーツをもつアボリジニのPeter Anderson上級講師。同学部では、双方向型の先住民族主体の教員養成の仕組みが構築されている
(『新鐘』No.83掲載記事より)
※記事の内容、登場する教員の職位などは取材当時(2016年)のものです。