世界が抱える紛争や貧困といった問題と向き合い、 平和構築や経済開発、人々の生活を支援する国際協力。ここでは国際協力論を専門とする山田満教授(社会科学総合学術院)の下、 難民や途上国支援を行う非政府組織(NGO)などに参加する3人の学生たちに集まってもらい、国際協力を始めたきっかけや活動を通じて感じたことなどを話してもらいました。
社会科学総合学術院 教授 山田 満(やまだ・みつる)
オハイオ大学大学院で修士号を取得。帰国後、高校の教員を務めながら市民運動に従事。東京都立大学大学院博士課程(政治学)を経て、1995年から大学教員となる。日本各地の大学で教えながら、アジアの選挙監視活動に十数回参加。2009年より現職となり、国際協力論を専門に、東ティモールなどでフィールドワークを重視した教育・研究活動を行っている。
学生メンバー(左から)
社会科学部 3年 宮鍋 誠(みやなべ・まこと):山田教授の専門科目を履修。日本で難民問題を身近に感じてもらうための広報啓発活動を行う「難民かけはしプロジェクト 2017」の代表を務めるとともに、NGO団体「JANIC」のインターンシップにも参加。
法学部 2年 内田 ひかる(うちだ・ひかる):難民問題を扱うNGOやサークルに参加。国際協力の取り組みや将来の進路など、学部を越えて山田教授に相談に乗ってもらっている。
社会科学部 3年 金山 真也(かなやま・まや):山田ゼミを専攻し、2016年夏にはフィールドワークで東ティモールへ。国際的なNGO団体「ケア・インターナショナルジャパン」 のインターンシップにも参加。
国際協力との出会い
山田教授
今日は、あらためて国際協力というものを君たちがどう捉えているか聞かせてもらいたいと思います。それぞれ、この分野に興味を持ったきっかけは何だったのかな。
金山
僕が興味を持ったのは高校生の時です。吹奏楽部で『ミス・サイゴン』(※1) など、紛争やテロを背景にした作品に取り組んだことがきっかけでした。世界が抱える問題に対して、自分に何ができるか考えるようになった頃、たまたま高校に山田先生が講演に来られたんです。 先生のお話を聞いて、早稲田大学に進学して山田ゼミに入ろうと決めました。大学入学以降は、「AIMS 7」(※2のプログラムでマレーシアに行ったり、スタディーツアーでベトナムを訪れたり、途上国に触れる機会を意識的につくってきました。
※1 『ミス・サイゴン』:ベトナム戦争末期の1970年代を舞台に、戦争孤児として育った ベトナム人女性とアメリカ軍兵士の運命を描いたミュージカル作品。
※2 「AIMS 7」:文部科学省が推進する「大学の世界展開力強化事業」(AIMSプログラム)に採択された「多言語・多文化共生プログラム」のこと。留学などを通じて、日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国の学生が交流する。
内田
私は、小学校時代に父の仕事の関係で、海外で暮らしたことが今につながる原体験になっています。 特に、一番長く住んでいたタイには ストリートチルドレンがたくさんいて、外出する度に、路上で物乞いをする子たちと車の中にいる自分と何が違うんだろうと。心にひっかかりが生まれ、それで高校時代に貧困や難民、環境といったことについて調べるようになったんです。今では法学部で国際法を勉強しながら、 難民問題を扱う非政府組織(NGO)やサークルに参加しています。
宮鍋
僕は二人と違って、大学に入ってからも国際協力というものに全く興味がありませんでした。 でも、2年前に日本で暮らす難民の支援を行う学生企画に参加していた友達に誘われ、お手伝い感覚で活動に参加した時、固定概念が覆される新鮮な体験をしたんです。難民と呼ばれる人々は、日本で生まれた 2世の方もいて、日本語はペラペラだし、僕らと同じように恋愛もする。 以前は「かわいそうな人」だと思っていたのですが、そんな言葉でひとくくりにできない存在だと知りました。一方で、彼らが難民として生きづらさを感じていることも事実です。その複雑な世界に興味が湧いて、それから継続的に活動に参加するようになり、今ではその学生企画の代表を務めています。また2016 年にはスタディーツアーでミャンマーを訪問しました。
異文化とまっすぐに向き合う
山田教授
私は若い頃にバックパッカーをしながら、アフガニスタンなど世界中を見て回ったことがあって、その経験が後の生き方に大きく影響しています。みんなも途上国に行ったり、支援活動をしたりしていますが、その中でどんなことが印象に残っているかな。
金山
僕はイスラム教の国であるマレーシアで、現地の大学生と交流したことが印象に残っています。 ムスリムの人々と接するのはその時が初めて。イメージが先行して、 女子学生と話していいのかとか、アルコールの話題は出しちゃいけないのかとか、事前に考えすぎて、か なり緊張しました。でも、学生たちと話してみると、そんな気遣いなんて全く必要なくて、僕たちと何ら変わらないことを実感しました。
内田
そう、ほんの一歩を踏み出すだけで分かり合えることって、本当はたくさんあるんですよね。イスラムといえば私はつい最近、日本最大のモスクといわれる東京ジャーミィを見学させてもらいました。男女で礼拝所が分かれているのは、女性を守るための知恵で、例えるなら日本の女性専用車両と同じ。そんな説明を聞いて素直に共感できたんです。私たちは「異文化だから」 と線引きするところがありますが、 まっすぐ相手と向き合うことで、お互いにもっと理解し合えるんじゃないでしょうか。
宮鍋
僕はミャンマーの田舎を移動中に目にした、川遊びをしている人々の姿が印象に残っています。 すごく楽しそうにしている彼らを見て、日本政府などが行っている開発支援が本当に彼らが求めているものなのか、疑問が湧きました。ただ、一緒にミャンマーに行ったメンバーの1人が言った「少なくとも機会は平等であるべきじゃないか。 何をどう選択するかは現地の人々次第」という言葉が、今の僕にとっては一つの指針になっています。
>> 後編へ続く(5月12日掲載予定)
(『新鐘』No.83掲載記事より)
※記事の内容、登場する教員の職位および学生の所属・学年などは取材当時(2016年)のものです。