皆さんには、苦手だと思ったりして敬遠していた食べ物が、いざ食べてみたらおいしいと思ったことがあるだろうか。私にはそのような経験がある。
人間にはどこか食わず嫌いなところがある。それは生い立ちや置かれている社会環境などに規定された二項対立的で単線的な価値観に基づいて物事を見ているからであろう。それはまた、自分が属すると考える「集団」とは区別される(と思い込んでいる)外の世界や異なるものに対する一種の排他的な立場にも繋(つな)がりやすい。
筆者は来日20年の中国人である。その間、日中関係はさまざまに変化してきた。日中国交正常化が実現された1970年代の「蜜月」とでもいうべき関係から、今の相互不信の状態を考えると、隔世の感を禁じ得ない。仲良くなってほしいという願望はさて置き、その原因を探ってみると、このような変化にはお互いさまの面も大きいと思う。すぐ手に入る目に見えるものばかりに囚(とら)われ、それをもって相手を知った気になるのでは前には進まないのではないか。すぐには見えてこないものこそがより大切なものではなかろうか。そのためには相手を知ろうとする思いが何より大事であり、立場の交換可能な対話があってこそ、変わるものと変わらないものや、変えられるものと変えられないものがより鮮明に見えてくるのではないか。ただの食わず嫌いから、共に知る「共知」へと変化すべきではないか。これは日中関係に限らず、日韓関係などにも当てはまると思う。皆さんにはぜひ、相手のことを知ろうとする思いを大切にして共知へ突き進んでほしい。
(W)
第1119回