
新記念会堂(仮称)の完成予想図
早稲田史に自分の痕跡を 応募期限は6月30日(木)
建て替え工事が進められている戸山キャンパスの新記念会堂(仮称)の名称募集が始まり、6月30日(木)の応募期限が迫っています。旧記念会堂はスポーツ施設としてだけでなく、卒業式・入学式など大学の式典会場、また早稲田祭の最も大きな舞台として、多くの学生に親しまれてきた建物で、1957年の早稲田大学創立75周年を記念して建てられたことから「記念会堂」と名付けられました。新記念会堂(仮称)は地下2階地上4階建てのスポーツミュージアムや学習スペースなども併設した多機能型スポーツアリーナで、地上1階部分には緑豊かな丘状の広場を設けられるなど、戸山キャンパスの景観を大きく変える早稲田大学のシンボルの1つとなることが期待されます。新記念会堂(仮称)の名称に採用された方には総額20万円分の図書カードが贈呈されます。早稲田史に自分の痕跡を残すことができる貴重な機会ですので、学生の皆さんはぜひ応募してください。
※応募期限を7月31日(日)に延長しました。(6/28追記)
新記念会堂(仮称)概要
・建物構造:地下2階地上4階、鉄骨鉄筋コンクリート造り、鉄骨造り、鉄筋コンクリート造り
・延べ床面積:14,037㎡
・収容人数:6,136人(式典時)1,824席(可動式観客席) ※旧記念会堂収容人数:5,150人(式典時)
・建物用途:アリーナ、拳法道場、運動施設、ラーニングコモンズ、スポーツミュージアムなど
エコで先進的な建物 緑広がる小高い広場 募集されている2つの名称
- スポーツアリーナの完成予想図
- 広場も名称募集の対象になっている
名称が募集されているのは、スポーツアリーナを主要施設とする新記念会堂(仮称)と、その屋上部に当たる、緑化された小高い広場の2カ所です。
2019 年 3月に完成する予定で、スポーツアリーナを地下2階地上1階に配置し、地上4階建ての高層棟には交流ラウンジやスポーツミュージアム、学生たちがディスカッションを行うラーニングコモンズが設置されます。正課授業や体育各部のホームコートとして利用されるだけでなく、入学式や卒業式などの式典や、早稲田祭や校友を招いてのホームカミングデーの会場など、多目的に活用することが予定されています。
また、スポーツアリーナを地下に置くことで地熱を利用した空調システムや雨水の循環システム、太陽光発電システムなどを組み合わせた「スーパーゼロエミッションビルディング」と「ゼロエネルギーアリーナ」の実現を目指します。災害などの非常時には防災施設としての役割も果たし、周辺地域にも貢献していきます。
ガガーリンの講演 1964年東京五輪会場 ジャイアント馬場によるプロレスも
- 1964年東京五輪フェンシングの優勝者銘板の前で記念撮影するフェンシング金メダリスト4名
- 記念会堂前で傘でおどけるシーンも
記念会堂は、大隈記念講堂と並ぶ“大学の顔”と呼べる建物で、1962年5月には、人類史上初めて宇宙空間へ出て「地球は青かった」の名言を残したユーリ イ・ガガーリンが「宇宙旅行の準備を!」と題した講演を行い、約1万4000人の学生たちが詰め掛けました。1964年の東京オリンピックでは、フェンシ ング会場にもなりました。2014年10月には、同大会の「フェンシング男女(個人・団体)」の金メダリスト4名が記念会堂を訪れ、自分の名が刻まれた 1964年東京五輪のフェンシング優勝者銘板を見て、当時を懐かしんでいました。
また、「日本レスリング界の父」と言われた、早稲田大学レスリング部創設者の故・八田一郎(1932年 政治経済学部卒)の計らいで、1975年6月に開催された全日本レスリング選手権大会のエキシビションマッチとして、ジャイアント馬場やデストロイヤー、ジャンボ鶴田など当時の人気レスラーによるプロレス試合が行われたこともあります。
記念会堂最後のイベントは2015年8月2日に行われた「さよなら記念会堂」です。多くの公認サークルが、歌、踊りなどのパフォーマンスを行い、熱気に包まれた会場には、約3000名の学生・校友が集まりました。
舞い散る桜 夢と汗 学生たちがつなぐ思い
多くの学生たちが汗を流してきた記念会堂。普段の練習場として使っていたバドミントン部の部員や、記念会堂最後のイベントとなった「さよなら記念会堂」に関わった、広告研究会や「早稲田祭2015」運営スタッフの学生に、新記念会堂(仮称)への期待を聞きました。
【バドミントン部】
男子主将・政治経済学部 4年
井上 博貴(いのうえ・ひろき)
記念会堂は、毎日のように練習していたコート。いろいろな体育各部が切磋琢磨(せっさたくま)して頑張っていました。今は早稲田大学高等学院の体育館を使わせてもらっていますが、やはり他の部の声が聞こえないのは寂しい。新記念会堂(仮称)も、にぎやかな体育館になってほしいですね。
女子副主将・スポーツ科学部 4年
我妻 美沙紀(わがつま・みさき)
記念会堂は春になると、天井から桜が舞い落ちる風流な体育館でした。バドミントンコートは5面あったのですが、強い雨が降ると3面が雨漏りで使えなくなることもありました。離れて思い出すと、そんなところもかわいく思えます。応援部や空手部も練習していて、友達も増えました。新記念会堂(仮称)は、また、体育各部同士の交流が生まれる施設になってほしいです。
「早稲田祭2015」運営スタッフ第二副代表・文化構想学部 4年
植松 英之(うえまつ・ひでゆき)
記念会堂は早稲田祭の最後を飾る「Ending Festival」で使用していた会場で、早稲田大学で最も大きな夢の舞台でした。昨年8月の「さよなら記念会堂」では、大学側との折衝を担当したのですが、すぐに取り壊し工事に入るということで、とても自由に使わせてもらったことを感謝しています。スポーツアリーナというと体育各部が使うというイメージですが、新記念会堂(仮称)は、文化系サークルも使える「夢の舞台」であり続けてほしいです。
広告研究会幹事長・商学部 4年
十文字 拓也(じゅうもんじ・たくや)
多くの学生にとって、入学式や卒業式でしか縁のない建物だったかもしれませんが、企画系サークルにとっては早稲田祭などで、年間の活動の集大成を見せる施設でした。大きな会場だからこそ行える企画があり、来てもらえるアーティストもいました。「さよなら記念会堂」は自分たちで作ったイベントで、記念会堂の最後を飾れるよう全力を尽くしました。新記念会堂(仮称)は、どんな学生にとってもより身近な存在に感じられる施設になってほしいと思います。