「大学生活では結果を気にせず、無駄な努力もしてほしい」
元ラグビー女子日本代表/早稲田大学ラグビー蹴球部女子部ヘッドコーチ
横尾 千里(よこお・ちさと)

早稲田大学上井草グラウンドにて
春、新たな挑戦へと一歩踏みだす季節。1年前の春、まさに歴史的な一歩を踏み出したのが「早稲田大学ラグビー蹴球部女子部」だ。日本のラグビー界をけん引してきた早稲田大学が「女子ラグビーに新たな選択肢」と注目を集めた。そのチームで「初代ヘッドコーチ」を担うのは、社会科学部出身の横尾千里さん。彼女もまた、学生時代から先人のいない「新たな一歩」を踏み続けてきた人物だった。
ラグビー色の大学生活。キャンパスが憩いの時間
ラガーマンだった祖父の影響で、小学1年生からラグビーに夢中だった横尾さん。女子の競技人口は決して多くはないため、男子とプレーするのが当たり前だった。
「中学でも男子と一緒にプレーしていましたし、早稲田ラグビーにも自然と憧れを抱いていました。ただ、高校の部活で男子との接触プレーは認められない、と初めて言われてしまい、『それはもうラグビーじゃない。みんなと同じ道には進めないんだ』と気付きました」
それでも横尾さんの中でラグビーを諦める選択肢はなかった。高校時代、平日は母校の中学ラグビー部の練習に参加し、土日は女子のクラブチームで腕を磨くラグビー漬けの日々を送った。
「ラグビーを辞めようと思ったことは一度もなかったですね。そして、私の通っていた高校からは早稲田でラグビーを続ける男子選手が何人もいました。私はラグビーを大学の部活ではできないけれど、同じ道を進みたいと思って早稲田大学を受験しました」
こうして2011年に早稲田大学に入学した横尾さん。折しも女子ラグビー界は、リオデジャネイロ2016オリンピックでの7人制ラグビー採用が決まった直後。女子日本代表候補となった横尾さんの学生生活は、「オリンピックで金メダル」の目標成就のため、ラグビー色に染まっていった。
「年間265日は合宿生活で、大学にはその合間を縫って、ジャージ姿でボールを持って通っていました。授業が終わればそのままグラウンドに向かい、練習が終われば合宿所へ、という日々。プライベートも何もなく、勉強とラグビーしかない大学生活でしたね」

「ワールドラグビーHSBCセブンズシリーズ2013」での一枚。試合や合宿のため世界各国を回っていた。右端が横尾さん
ただ、当時のラグビー女子日本代表は15人制が主流で、7人制のノウハウはまだ発展途上の時代。横尾さん自身も、代表チームとしても、7人制で金メダルを獲得するためには何をすればいいのか五里霧中であり、無我夢中の日々だった。
「当時は指導者側も手探り状態だからこそ、しんどいことをやっておけば大丈夫、という安心感を手に入れようとしたんでしょうね。ボールも持たずに走ったり、自衛隊の訓練を受けたり、本当に過酷なものばかり。今考えると、非効率な内容も多かったです」
そんな過酷な状況だからこそ、キャンパスでの日々が横尾さんにとって憩いの時間となった。
「学部では『異文化コミュニケーション』のゼミに入っていて、ラグビーと関係のない人たちとの交流は楽しかったです。自分は女子ラグビーというマイノリティー側の意識でずっと生きてきましたが、意外と普通なんだと気付けて。もっと変わった人がたくさんいて刺激になりました。将来を考えたとき、ラグビー以外のことにも視野を持ちたいと発見できたことは、大学生活での収穫でした」

2011年3月の東日本大震災の影響で入学式はなかった。「そんな中できた友人に支えてもらう毎日だった」と横尾さん(写真左)は振り返る
『誰かのための時間』は、いつかきっと自分のためになる
卒業翌年の2016年に迎えたリオデジャネイロオリンピック。日本代表は1勝4敗、目標の金メダルには遠く及ばず、12チーム中10位に終わる。その絶望感から、横尾さんはオリンピック後の約1年、ラグビーも仕事もできず、家に引きこもる程の精神的ダメージを負った。
「みんな当たり前のように『目指すなら金メダル』と考え、それ以外の選択肢を持っていなかった。だから、10位という結果には悔しいという感情以前に、受け入れられないというか…。出場メンバーともその後4、5年はリオデジャネイロオリンピックの話ができないほどショックは大きかったです」
改めて、敗因は何だったのか?
「選手全員が努力したことは自信を持って言えます。本当にきつい、つらい日々を過ごしました。でも、努力の仕方を間違えていた。努力自体は大事なことだけれど、正しい努力でなければ結果に結び付かないと痛感しました。個人としても、女子ラグビーにとっても大きな挫折でした」
そこから奮起し、次の東京2020オリンピック出場を目指した横尾さん。もう一度ラグビーと向き合えるようになったのはなぜなのか?
「信じて待ってくれたスタッフがいたからです。日本代表は自分がやりたいと思ってやれるものじゃない。声を掛けてもらっても、そもそもメンバー選考で落ちるかもしれない。『自分で勝手に決めるのではなく、求められているなら頑張ろう』と思えたんです」
卒業後ラグビー選手を続けながら、全日本空輸(ANA)で働き始めた横尾さん
写真左:2019年大けがからの復帰戦に、同僚が横断幕を作って応援に来てくれた
写真右:ANAのフライトオペレーションセンターにて運航乗務員と活動計画を企画する業務を行っている
結果的には度重なるけがもあり、東京2020オリンピック直前に現役引退を決断。そこからは一転、仕事に励む日々が始まるのだが、「求められるなら頑張ろう」の姿勢が、母校の新設女子部のヘッドコーチ就任、という思いもよらぬ未来へとつながっていった。
「当初はお断りしました。ラグビーの指導経験はなかったですし、女子ラグビー部を創部しようと、ずっと尽力されてきた方は他にもいらっしゃいますから。でも、何度もお声掛けされるうちに、その気になったというか。ラグビーの技術を教えること以上に、何もないところから女子がプレーできる環境作りをすることは、私自身が経験したことであり、貢献できることがきっとあるはずだ、と」
こうして2024年4月に誕生した早稲田大学ラグビー蹴球部女子部。この1年の活動をどのように振り返るのか。
「今、部員の半分は未経験者ですが、その子たちの成長を日ごとに実感できています。彼女たちの頭の中には私の発した単語がそのまま入ってしまいます。言葉選びや伝え方、自分の指導方針がブレないことが大事だと痛感する毎日です」
ラグビー蹴球部女子部への指導風景。「彼女たちのおかげで自分の決断は正しかったと思えます」と横尾さんは語る
日々学生と接し、その成長を見守る横尾さん。コーチとしての経験、そして自身の学生時代も振り返りながら、「早稲田で過ごす時間」で大切にしてほしいことがあるという。
「友人なのか、仲間なのか、表現はそれぞれですけど、その人たちのために使う時間を大事にしてほしい。他人のために時間を使えることは、時間に余裕がある学生ならではの特権です。その『誰かのための時間』は、いつかきっと自分のためになるはず。その気持ちで、時間を有意義に使ってほしいです」
そしてもう一つ、リオデジャネイロオリンピックでの惨敗から「正しい努力」の重要性を学んだ横尾さんらしいアドバイスももらった。
「何が正しい努力なのか、最初は分からないと思います。だからこそ、大学生のうちは結果を気にせず、無駄な努力もたくさんしてほしい。経験から学ぶことが一番の財産になります。いろんな失敗も重ねて、『正しい努力なら報われる』という結論にたどり着いてほしいです」
取材・文:オグマナオト(2002年第二文学部卒業)
撮影:布川 航太
【プロフィール】
1992年生まれ、東京都出身。早稲田大学社会科学部を2015年に卒業。同年、全日本空輸(以下、ANA)に入社。在学中からラグビー女子日本代表として活躍し、卒業翌年の2016年リオデジャネイロオリンピックに7人制ラグビー女子日本代表として出場を果たす。2021年に現役を引退。現在はANAにフルタイム勤務する傍ら、早稲田大学ラグビー蹴球部女子部のヘッドコーチとして選手育成やチームマネジメントに力を注いでいる。