早稲田大学歴史館非常勤嘱託 大門 泰子(おおかど・やすこ)
未整理の資料から見つかった、早稲田大学がまだ東京専門学校だった明治時代の一枚の粗末な文書。その中には「学費免除願」「地方震災」「品行方正学業勉励」など、気になる言葉が並んでいます。調査の結果、三つのことが明らかになりました。
学費免除願
「学費免除願」と題された一枚の東京専門学校の便箋。邦語法律科2年生・伊東明が、東京専門学校幹事として校務を統括していた市島謙吉に宛てた文書です。

東京専門学校用箋に記された学費免除願
少々乱雑な書き方で、写しなのか、実際に提出されて受理されたのか、結果がどうであったのか、判断はつきません。そこで、資料の文脈から読み取れる氏名や年月、震災という言葉を手掛かりに、その先を追い掛けてみました。まずは該当年(明治27年)に近い数年分の東京専門学校卒業生名簿を確認しましたが、残念ながら伊東明の名前はありませんでした。卒業はできなかったということのようです。
庄内地震発生
文書の冒頭に「地方震災」と記されています。この「地方震災」とは、いつどこで発生した震災を指すのでしょうか。文脈から推測される明治27(1894)年10月頃に発生した地震を『東京朝日新聞』で探ると、明治27年10月22日17時40分に山形県下で大地震があったことが分かりました。
被害は現在の酒田市付近が最も甚大でした。11月に山形県知事が内務大臣に宛てた報告にはあまたの余震があったことの他、死者739人、負傷者1,009人、家屋全壊2,968戸、 半壊1,751戸、破壊6,003戸、焼失1,520戸、土地の陥没や隆起、亀裂は幾千百と震災の概況が記されています(『山形県史 資料編19』)。しかし、これだけでは学生との関係は分かりません。

明治27年10月22日夕刻に発生した地震の第一報 『東京朝日新聞』明治27年10月24日

酒田市方面の大きな被災状況が記されている 『東京朝日新聞』明治27年10月25日
学費領収簿から分かったこと
では、伊東明という人物の在籍記録はあるのでしょうか。学生の在籍状況の確認は親族や遺族など特別な関係者のみが請求できる情報ですから、学籍を管轄する早稲田大学教務部に依頼することはできません。このようなとき、歴史館アーカイブズでは、当館で所蔵している三号館旧蔵資料群にある「学費領収簿」という資料を頼りにします。この資料は当時在籍した学生の学費納入の帳簿なので、そこから在籍情報を得ることができます。
当時、学年の始まりは9月で、「学期ノ始ニ於テ学費ヲ全納シ得ザルトキハ特ニ毎月金壹圓八十銭ヅヽ分納(学期初めに学費の全額を納入できない場合は、月々1円80銭の分割払いとする)」とあり、「学費ヲ分納スルトキハ毎月三日ヲ限リ事務所ニ納ムベシ(授業料を分割で納入する場合は、毎月3日までに事務所で納めるものとする)」と学校に直接納入することになっていました。『明治27年9月 法学部学費・舎費・月俸領収簿〔イ~ナ〕』の簿冊を取り出すと、伊東明の名前を確認することができました。
写真:『明治27年9月法学部学費・舎費・月俸領収簿〔イ~ナ〕』(三号館旧蔵資料60-0104)
出身地の記載はありませんが、摘要欄に朱筆で「山形秋田地方震災ノ為メ全戸焼失ニ付学資金送付出来兼趣国元ヨリ申参リ学資免除ノ儀保証人及友人連署ニテ出願ノ処幹事之ヲ許可シ本月ヨリ来ル廿八年七月マテ免除ノ儀申渡サル 廿七年十一月十三日(山形・秋田地方の震災により学資金を送ることができないと伝えられたため、保証人と友人の連名で学費免除を申請し、認められました 明治27年11月13日)」と記されていました。つまり、学費免除の願い出は受理されたようです。
思い掛けないことに、このつづりの袋閉じになっている部分から、伊東の提出した「学費免除願」の現物が出てきたのです。一字一字丁寧に書かれた文面は先に発見された文書と同じで、こちらには日付の記載も押印もあります。冒頭でご紹介した文書は、これを書き写したものだったのです。
袋閉じ部分から発見された、伊東明の正式な「学費免除願」
ところで当時の「東京専門学校規則」には、災害や学費免除に関わる言及はありません。幹事の市島謙吉が「拙者在学中品行方正学業勉励ヲ主トスルハ勿論御校々則監ク相守(在学中は、もちろん学校の規則を守り、品行方正を保ち、勉学に励みます)」という伊東明の決意に速やかに免除の判断を下し、用紙は領収簿の間に挟み込まれたのでしょう。
歴史館アーカイブズに保存されている明治27年までの学費領収簿からは、病気や徴兵を理由にした学費免除はありましたが、私の知る限り、自然災害を理由に学費免除の計らいを受けている学生はいませんでした。
しかしその後、大正12(1923)年の関東大震災の後には、罹災(りさい)学生356名に対し学費免除などの措置が取られました(『早稲田大学百年史』第三巻)。昭和23(1948)年の北陸震災の際には、罹災学生に対し学費半減を通知する文書を掲示しています(早稲田大学本部書類5-067-414)。他にも、災害時には適宜、調査の上対応を取ってきたようです。
現在は2003年11月に制定された「災害等の被災学生および生徒等の学費等減免に関する細則」の下、被災学生には学費減免や奨学金などによる修学支援を行い、被災地からの入学志願者に対しても入学検定料・入学金の免除、学費などの減免制度を用意しています。
大門 泰子(おおかど・やすこ)/早稲田大学歴史館非常勤嘱託
日本女子大学大学院文学研究科修士課程修了。日本女子大学成瀬記念館での学園史アーカイブズ業務と並行して、田無市、小平市、中野区、杉並区で自治体史・女性史編纂事業等に従事。2020年10月より現職。国立公文書館認証アーキビスト。