日本から遠く離れるほど感じる、“早稲田という仲間”がいることのありがたみ
翻訳家/ライター 桑畑 優香(くわはた・ゆか)

東京・神保町にある韓国関連書籍を扱うブックカフェ「CHEKCCORI(チェッコリ)」にて
2023年は、世界的な人気を誇る韓国の音楽グループ・BTSのデビュー10周年。初のオフィシャル・ブック『BEYOND THE STORY:10-YEAR RECORD OF BTS』は世界23の言語で翻訳出版されることも話題になっている。実は、この本の日本語版の監訳を担ったのは早稲田大学の卒業生、桑畑優香さんだ。
くしくも今年は、韓流ブームの火付け役となったドラマ『冬のソナタ』の日本での放送開始から20年、つまり「日本における韓流20周年」でもある。その韓流ブームの初期から日本に韓国の最新情報を届けてきた桑畑さん自身も、聞けばまさにドラマチックな人生を歩んできた。「よく分からないけど、こっちが楽しそう」の思いを常に抱き、人生をいい意味で流浪してきた紆余(うよ)曲折のストーリーを聞いた。
知りたかったのは、メディアが伝える向こう側

入学して間もない頃(後列右から2人目が桑畑さん)
「高校3年のとき、早稲田祭を見に行ったことがあります。小説家の朝井リョウさんはエッセーの中で、人で溢(あふ)れ返った様子を『地獄』と表現していたと思いますが、混沌(こんとん)としたエネルギーがすごいじゃないですか。私もこのエネルギッシュな渦の中に入ってみたいと思ったんです」
こうして早稲田大学を志望した桑畑さん。もともと「本を作る仕事」に憧れがあり、早稲田がマスコミに強く、編集者やジャーナリストを多数輩出していたことも志望理由の一つ。そして、在学中に必ずやると決めていたこと、それが海外留学だった。
「今もエンタメの裏側みたいな記事を書いたり、翻訳したりしているように、昔からメディアが伝えるさらに向こう側の『一見、分からないこと』に興味がありましたし、日本以外の国の物の見方にも触れてみたかったんです」
写真左:今でも仲良しだという同じ寮に住んでいた友人たちと旅行した際の一コマ(左から2人目が桑畑さん)
写真右:所属していたアナウンス研究会(公認サークル)の仲間たちと(右から2人目が桑畑さん)
1990年、大学3年を終えた春に米国・イリノイ州にあるオーガスタナ大学へ留学。折しも時代は世界的な混沌期。1989年には中国で天安門事件が起き、ヨーロッパではベルリンの壁崩壊に続き、ルーマニアをはじめとする東欧革命も。1990年に入ると南アフリカからナミビアが独立。湾岸戦争が始まったのも1990年の夏だった。
「オーガスタナ大学は学生数2,500人くらいの小さな大学なんですけど、ルーマニアや中国から逃げるように米国に留学してきたような学生がいるなど、当時のバブル期の日本では経験できないことだらけ。まさに、世界は動いていると感じる日々でした」
だからこそ、メディアが報じる内容に日米で差があることも肌で実感することができた。
「湾岸戦争について、日本の新聞では自衛隊を派遣するかしないかが大きなテーマ。でも、米国の新聞ではそんなことはほぼ書かれていませんでした。むしろ、普段は戦争や平和運動に無関心なような人たちが兵士の安否と無事の生還を祈って黄色いリボンを付けるシーンを間近で見て、戦争がすぐそこにあることを体感しました」

早稲田大学在学時の米国留学にて(左端が桑畑さん)
1年の留学を終え、日本に帰国すればすぐに就職活動期。マスメディアを志望した桑畑さんは読売新聞社に入社を果たすも、配属は記者職ではなく販売局。いつか書く仕事に携わるためにと、1年半後に新聞社を退職し、再び米国への留学を選択した。
「一つには、自分の専門分野を築くため。また、国際関係を勉強したら就職にもつながるんじゃないかと考え、2年くらい勉強しながら次のステップに進めたらいいな、という展望でした」
もっとも、時代の先が読めないように、桑畑さんの進路も自身が予期せぬ方向へ。ただ、「分からないことを知りたい」という欲求はブレなかった。
「留学先のジョージ・ワシントン大学は、韓国の初代大統領、李承晩さんが留学した大学です。そのため、韓国人の留学生がとても多くて、私の周りも韓国人ばかり。その交流を通じて、『韓国って面白い。もっと知りたい』と思ってしまったんです」
大学生だからこそ、トライできることがある
1994年、桑畑さんはジョージ・ワシントン大学に籍を置いたまま、韓国・ソウルにある延世大学へと交換留学。さらにはソウル大学の大学院に進学し、そのまま韓国で3年の月日を過ごすことになった。
「当時は韓国の民主化運動から数年がたち、ラップやダンスミュージック、恋愛ドラマが人気を博すなど、“韓流の芽”みたいなものがポコポコ芽生えていた時期。知らなかったことがありすぎて、『もっと知りたい』と楽しくなってしまったんです。ジョージ・ワシントン大学の友人からは『あなたは何になりたいの?』とあきれられましたけど(笑)」
学費は奨学金で賄ったが、生活費は潤沢にあるわけではない。そこで、桑畑さんは日本のメディアに向けて韓国や北朝鮮についての記事を寄稿するように。これがライターとしての原点。日本の大手メディアでは扱われない“裏側”がたくさんあり、話題には困らなかった。
「韓国人は日本のことが嫌いと言われがちですが、実は日本語を勉強している人、日本に興味のある人は大勢いました。当時、韓国で暮らす日本人は少なかったこともあってか、すごく良くしてくれましたね」
写真左:韓国留学中の様子。語学を学ぶLL教室にて
写真右:韓国の日本語サークルで知り合った友人たちと(右端が桑畑さん)
日本に帰国後、改めて新聞記者を志望するも、27歳という年齢が影響してか、どの新聞社も最終面接止まり。そこで選んだ進路が「年齢・学歴・性別不問」としていたテレビの世界。番組制作を手掛ける会社に就職し、早稲田の校友(卒業生)でもある久米宏さんがキャスターを務める報道番組『ニュースステーション』(テレビ朝日系列)の制作に携わると、これまで同様に「時代の流れ」が桑畑さんを後押しする。
「90年代後半、ちょうどサッカーの日韓W杯の開催が決まり、金大中大統領が就任して日本の大衆文化開放の施策を出すのもこの時期。韓国に関するトピックがこれからテレビでも必要だと感じて、テレビのことは何も知らない私でも採用してくれたみたいです。迷惑ばかりかけましたけど、先輩と一緒に韓国に関する企画を立てる、アシスタント的な役回りから始めていきました」
こうして、テレビの世界で韓国を紹介する経験を重ねた桑畑さん。やがて、結婚・出産を機に退職することになるのだが、韓国のことを伝えたいという気持ちに変化はなく、子育てと両立できる在宅仕事、と始めたのが韓国語翻訳やライター業務だった。
「2003年に『冬のソナタ』が日本で放送されたのをきっかけに、ヨン様ことペ・ヨンジュンさんがブレークしたとき、それ以前にヨン様が出ていたドラマについて書くと喜ばれました。当時、韓国エンタメを90年代から追っていた人はほとんどいなかったですから。1回書くとまた仕事が来て、それを読んだ人からまた仕事が来て、と次々につながっていきました。最終的に、ヨン様の密着取材もできたのはいい思い出です」
こうして最初の韓流ブームから20年。桑畑さんも翻訳家・ライターとしてのキャリアをどんどん重ねていった。
「当初、BTSについて翻訳書や記事を書いたときは、まさかK-POPアーティストが世界規模の人気を博すとは思いませんでした。日本における韓流の礎を築いたヨン様に続き、韓流の一つの頂点を目撃できました」
写真左:2020年1月、英国・キングストン大学で開かれた第1回BTS学会。約30カ国から集まり、BTSに関して学術的な研究発表が行われ、桑畑さんも参加した
写真右:ある大学でのゲスト講義の様子。最近は大学などで自身のキャリアについて話したり、韓国エンターテインメントに関する講座を開くことも増えている
留学時代を含めれば多国籍のフィールドで生活し、仕事を重ねてきた桑畑さん。日本から遠く離れるほど感じるのは、“早稲田という仲間”がいることのありがたみだった。
「留学時代はソウル稲門会に顔を出し、夫の転勤で香港に2年暮らしたときは香港稲門会にもお世話になりました。実は、娘が現役早大生でカリフォルニアに留学していたのですが、娘は娘でサンフランシスコ稲門会のイベントに参加したと言っていました。日本にいるときは『見えない糸』なんですけど、遠くに行けば行くほど、居場所があること・仲間がいることはありがたいですね」
娘さんの留学から、時代の変化にも気付かされたという桑畑さんが今の学生に伝えたいのは、チャレンジする精神だ。
「私の学生時代と比べると、今は留学先の選択肢が増えてとても充実していますよね。大学生だからこそ楽しめること、トライできることがあると思いますし、“ちゃんと早稲田に戻れる”という保障がある中での留学はすごくいいことだと思います。私の場合は卒業後も紆余曲折な人生を歩んでいますが、今を生きる学生の皆さんには、留学に限らず、卒業したらチャレンジしにくいようなことを学生の間にやってほしいです。早稲田大学はそんな自由な挑戦ができる環境だと思います」

桑畑さんはCHEKCCORIのイベントに時々ゲストとして登壇している
取材・文:オグマナオト(2002年第二文学部卒業)
撮影:布川 航太
【プロフィール】

CHEKCCORIで扱っている書籍の中には桑畑さんが携わったものも
茨城県出身。早稲田大学在学中、1年間休学し米国・オーガスタナ大学へ留学。第一文学部卒業後、新聞社への就職を経て米国・ジョージ・ワシントン大学、韓国・延世大学語学堂、ソウル大学大学院へ留学。帰国後に『ニュースステーション』(テレビ朝日系列)のディレクターを経てフリーに。ドラマ・映画のレビューやK-POPアーティストへのインタビューを中心に『mi-mollet』、『ユリイカ』(青土社)、『AERA』(朝日新聞出版)などに寄稿。主な訳書に『韓国映画100選』(クオン)、『BTSを読む なぜ世界を夢中にさせるのか』(柏書房)、『BTSとARMY わたしたちは連帯する』(イースト・プレス)、『家にいるのに家に帰りたい』(辰巳出版)、『BTS オン・ザ・ロード』(玄光社)など。2023年7月11日に発売された日本語版『BEYOND THE STORY : 10-YEAR RECORD OF BTS』(新潮社)では監訳を担当。慶應義塾大学の公開講座・慶應外語で韓日翻訳講座の講師を務めている。
Twitter:@yuka_kuwahata