Olympic and Paralympic Project Promotion Section早稲田大学 オリンピック・パラリンピック事業推進室

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【開催報告】川淵三郎キャプテン企画 第8回(最終回)早稲田2020講演会

東京2020大会組織委員会橋本聖子会長が登壇。大会の成果、そして未来への展望を語る。

 

早稲田大学特命教授の川淵三郎氏監修のもと、スポーツ界の第一人者を招いて行われてきた連続講義「早稲田2020講演会」。2017年から始まった本企画も、2021年11月29日に行われた第8回をもってついに完結。最後を飾るゲストは、東京オリンピック・パラリンピック競技大会 (東京2020大会)組織委員会会長橋本聖子氏です。

今回の講演はオンラインでの配信に加え、対面での開催が久々に実現。早稲田キャンパス国際会議場・井深大(まさる)記念ホールで聴衆が見守る中、講演に先だち本講演会のコーディネーターでJリーグを創設された川淵三郎キャプテンがご挨拶。川淵氏は当日の日経新聞の一面を引用され「自身の存在意義について常に考えながら行動すべき」との暖かいメッセージを寄せられました。

つづいて橋本会長が本学のキャラクター「ワセダベア」のマスコットを胸ポケットに入れて講演台へ。はじめに、東京2020大会に関する早稲田大学関係者の活動に対して、感謝のお言葉を述べられました。

本講演のテーマは「東京大会の成果と課題・レガシーの展望」。

新型コロナウイルスの感染拡大により、1年延期という今までにない状況下で行われた東京2020大会。そこから得られた知見を、将来の見通しと共にさまざまな観点からお話しいただきました。

世間から心配の声も聞かれた新型コロナウィルス対策については、あらゆる選手や関係者に検査と行動規制を徹底し、クラスターの発生を防いだことをアピール。海外からの入国者が誰ひとり重症化することなく大会を完遂できたという結果を挙げ、適切な備えをすることでコロナ禍でも経済活動を拡大できる可能性を示しました。

世界に誇れるような大会を作り上げるための取り組みは、感染症対策だけではありません。東京2020大会開催が決まった2013年より、ありとあらゆる角度から準備が進められていたのです。

日本選手の競技力向上はもちろん、何億回というサイバー攻撃に耐えるためのセキュリティ強化、非常時を想定した訓練、熱中症防止に伴う柔軟な日程変更、大会後の応用を見据えた新技術の導入、ジェンダー平等の推進、選手に寄り添って迅速なサポートを行う選手村の設置・・・

根底にあるのは、「スポーツが世界を変える」という考え。この大会がきっかけで生み出されたインフラや人々の意識が「レガシー」として残り、日本の発展に寄与していくこと、ひいては日本が世界をリードしていく存在となることにオリンピック・パラリンピックの意義や価値があるのだと、橋本会長は自身の思いを口にしました。

中でも本人が大きな意義を感じているのは、パラリンピックの取り組みだそうです。

自国開催ゆえ、パラスポーツに関する報道も多くなされた今大会。出場者を受け入れた自治体にとっては、公共施設のユニバーサルデザイン化を進める転換点にもなりました。

学校教育との連携も重要だといいます。小さいうちから障がいを持つ人に親しむことは、彼ら彼女らが成長したとき、障がいへの理解を当たり前のこととして捉える土壌になる。そこで、東京大会の開催が決まったときから教育活動を始め、パラアスリートとの交流会実施などといった施策を進めてきたとのことです。

ご本人にとっても予想外だったという、組織委員会会長への就任。大役を務めあげた橋本会長を印象付けるのは、その前向きな人柄です。東京2020大会開催に伴って山積する課題に圧倒されるどころか、むしろ「チャンス」と考え、世界中の注目が集まる中で解決に臨みました。

その前向きさのルーツは、現役時代にあります。

1964年の東京オリンピックが開会する5日前に生まれた橋本会長は、スポーツを愛する父の後押しを受け、スピードスケートで冬季オリンピック出場を目指していました。ところが高校時代、腎臓病に起因する症状で深呼吸ができなくなります。慢性腎炎のため、完治の見込みもありませんでした。回復の見込みのない病気をかかえることになった橋本会長はその後の競技人生で負うことになる「全治3か月」など、完治しうるケガに対しては「いずれ治るんだ!」とむしろ前向きでいられるようになったといいます。深呼吸ができない深刻な症状ですら、最終的には腹式呼吸を完璧に身につけることで代替し克服。オリンピックへの出場も叶いました。

橋本会長は、幅広い分野で前例のないことに挑んできた人物でもあります。オリンピックにおいては、当時の日本ではリスクの高いこととされていた冬季と夏季の両方出場を志願。夏季の種目には自転車競技を選択し、半年間に及ぶ早稲田大学自転車部との練習を経て、日本人初の冬季・夏季オリンピック出場の偉業を果たされました。

政治家としては、参議院議員初の出産をし、参議院の産休制度成立の契機となりました。本人は「誰かが切り拓いていかなければいけないこと」と語るものの、やはりその行動力は簡単に真似できるものではありません。

波乱の人生の中で身につけた前向きな心により、時代の先駆者であり続ける橋本聖子会長。将来の大会に期待することを質問された際には、オリンピック・パラリンピックの長い歴史を守りつつも柔軟に変化していくこと、そして持続可能な社会の実現をはじめとする未来に向けた変革を世界に発信していくことを挙げました。オリ・パラ、そしてスポーツから日本や世界を変える使命を果たすまで、橋本会長の挑戦は終わりません。

文:VIVASEDA広報部門 スポーツ科学部1年 吉真 諒悟

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