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世代と空間を超え支援の輪を広げていく

早大生のたくましい知性を鍛え、未来社会につなぐために

早稲田大学グローバルエデュケーションセンターの村田信之客員准教授は、岩手県釜石市の復興支援に携わりながら、教育プログラム「『たくましい知性を鍛える』(通称、大隈塾)」で、数々の学生を被災地に送ってきた。そして2020年、東日本大震災から10年を迎える日を前に、釜石に移住し、「次の10年」を現地で支援することを決意する。教育者としてどのような活動をしてきたのか。未来への展望とともに語ってもらった。

Profile
村田 信之
グローバルエデュケーションセンター客員准教授
1966年長崎県生まれ。1993年早稲田大学政治経済学部卒業。2006年早稲田大学大学院公共経営研究科修了。ジャーナリスト・田原総一朗氏のスタッフを経て、2012年より早稲田大学客員准教授。現在、「たくましい知性を鍛える」を担当。

学生が現場で体当たりする大隈塾の復興支援

早稲田大学で、学部横断型の教育プログラムを提供する「グローバル・エデュケーションセンター」。その設置科目の一つ「たくましい知性を鍛える」は、各界で活躍するゲスト講師を迎えた講義の後、学生自らがプロジェクトを企画し、実践する年間プログラムだ。全体の運営を担う村田先生は、同プログラムの前身となる「21世紀日本の構想(通称、大隈塾)」に、2002年より関わっている。

「立ち上げ当時のコンセプトは、『自分のアタマで考え、自分で行動すること』。現在は学生がプロジェクトを通じて学ぶことを念頭に、政治、教育、食、メディアなど、多岐に渡る活動を行っています。その一環として、東日本大震災の被災地における復興支援活動を行ってきました」

大隈塾では、2011年から復興に関わる活動を開始した。最初に学生が派遣されたのは岩手県釜石市。漁業と製鉄業が盛んなこの街は、市中に及んだ津波により、1000人以上の死者・行方不明者が出ている。

ラグビーの街でボランティア活動を開始

村田先生が釜石を訪れたのは2011年5月。きっかけとなったのは、かつて早稲田大学ラグビー蹴球部の監督を務めた、清宮克幸さんの一言だった。釜石への支援を決めた清宮さんは、村田先生に「一緒に行こう」と声をかける。1980年代、新日本製鐵釜石製鉄所ラグビー部の名を日本中に轟かせて以来、釜石には「ラグビーのまち」として歩んできた歴史があった。

「震災発生直後は、学生を簡単に連れて行けない状況だったので、まず個人として活動していました。ラグビーのクラブチーム『釜石シーウェイブス』に支援物資を届けることから始め、中学生だった自分の息子が所属するラグビー部の夏合宿を、釜石で行ったんです。その後、釜石の中学校、横浜のラグビースクール、岩手県の選抜チームも交えた、復興支援のリーグ戦も企画しました」

一方、大隈塾での活動は、慶應義塾大学のプログラム「福澤諭吉記念文明塾」のメンバーたちと共同で、釜石および隣接する岩手県大槌町でスタートした。最初の活動は、「人に会って話をする」ことだったという。

「学生が被災地で見聞きした体験を、SNSなどを通じて東京の学生に広げていくことから始めました。また、オリジナルのシリコンバンドを作って早慶戦などで販売し、活動資金と寄付金に充てていく活動も行いました。釜石と東京の距離は極めて遠いため、とにかく必要になるのが交通費。そこで、クラウドファンディングのように拡散しながら賛同者を募り、資金の調達と復興支援の周知を両立させようと考えたんです。全て学生たちから生まれたアイデアでした」

この活動は現在、東京都立大学の団体に受け継がれている。大学の垣根を超えて、支援の輪が広がっているのだ。

現地に通い地元との関係を深めていく

また、大隈塾の学生は、大槌町のお祭りを映像で記録する活動も行った。撮影が行われたのは、かさ上げがされる以前のこと。現在は見られなくなった、地域の光景を残している。このように小さな活動を積み重ねながら、村田先生は毎月のように現地に足を運び、地元の人々とのつながりを温めていった。

「やはり、現地に行かなければわからないことの方が多いんです。東京で描いた『机上の空論』で、支援活動をしてはならないと思い、なるべく現地に通うようにしていました。現地での活動を重ねるにつれ、だんだんと知り合いが増え、被災地に必要なことがわかっていったように思います」

卒業生のネットワークが学生の活動の起点

1年間のプログラムである大隈塾の参加学生は、毎年変わる。ボランティアのプロジェクトは継続しても、メンバーは再編成されるのだ。学生たちのモチベーションと、現地との関係性を絶やさないようにするのも、村田先生の重要な役目だ。

「メンバーが変わることは悪いことではありません。関わった学生が増えることは、OB・OGも増えるということです。東北で就職する大隈塾の出身者もたくさんいました。彼らと再び交流することで、われわれの活動の幅も広がっていったんです」

早稲田大学には、全国に広がる卒業生のネットワーク「稲門会」がある。稲門会は、地方で活動をする大隈塾の学生にとって欠かせない組織だ。

「大隈塾の地方での活動は、まず稲門会への挨拶から始まります。そして卒業生と協働でプロジェクトを進めます。学生が現地の社会人から学ぶことはもちろん、学生の懸命な活動により稲門会が活性化することも多いんですよ」

W杯からコロナ禍へ次のステップに進む釜石に移住

2019年に日本を沸かせたラグビーワールドカップでは、釜石も開催地の一つになった。試合会場は、釜石鵜住居復興スタジアム。津波で全壊した小中学校の跡地に建設された施設だ。

「大会開催中、外国人の案内など、大隈塾も運営活動に協力しました。ラグビーは釜石における復興の旗印。地元で開催できたことには、大きな意義があったと思います。前述した2011年のリーグ戦は、ラグビーによる復興のきっかけになってほしいという思いもあったので、個人的にもうれしかったです」

そして翌年、村田先生は東京を離れ、釜石に移住する。

「ラグビーワールドカップを終え、釜石は次のステージへと進む気がしました。東日本大震災から10年という節目を前に、新しい10年に向け、『何かしたい』という思いが強くなったんです」

時を同じくして、新たな試練として現れたのが、新型コロナウイルスだ。釜石における、大隈塾の現地活動は全て中止になる。しかし村田先生は、前向きに未来を描いていた。

「オンライン化が進み、東京と東北の距離が縮まりました。地元の人と早稲田の学生が交流する機会は増えると考えています。釜石には大学がないので、大学生がほとんどいません。しかしオンラインでいろいろな学びができるようになり、新たなつながりが生まれれば、現地を訪れる学生も増えるはずです。授業期間中に東北で活動しながら、オンライン授業を受講し、単位を取得することだってできるかもしれません。空間的制約が無くなれば、活動や交流の可能性は、もっと広がっていくのではないでしょうか」

人とつながり、現場で動くのが早稲田大学の魂

世代、地域、職域、大学、そして国境。あらゆる垣根を超え、支援の輪を広げることで、復興支援活動をつづけてきた村田先生。これまでの10年、教育者として何を心がけてきたのだろうか。

「やはり大事なのは、自分の目で見て、手で触り、匂いを嗅ぎながら、頭で考えるということ。そのことを大事にすれば学生でも被災地に貢献できます。社会に出た時の力にもなるはずです。彼らが再び、東北や社会全体のために、たくましくなった知性を役立てられれば、大隈塾も役割を果たせるのでしょう。人とつながり、現場で動き、新たな課題に挑戦する。それが早稲田大学の強みだと思っています」