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日本の司法制度は、本当に被災者を救えるか

教員、学生、卒業生が進める、法務での被災地支援

法学学術院教授・須網隆夫教授は、早稲田大学東日本大震災復興支援法務プロジェクトの代表を務め、被災地の法的支援や現地調査を、学生や卒業生とともに進めてきた。「東日本大震災を通じて見えてきたのは、日本の司法制度の脆弱性、特異性です」。法の力は、東北においてどのように機能してきたのか。法務プロジェクトのメンバーが意見を交える。

Profile
須網 隆夫
大学院法務研究科教授
1954年東京都生まれ。1979年東京大学法学部卒業。1981年弁護士登録。1988年米国コーネル大学ロースクール修士。1988~94年ベルギーにて弁護士活動。1993年(ベルギー)カトリック・ルーヴァン大学大学院修士。横浜国立大学大学院助教授を経て、現在、早稲田大学法学学術院教授。
取材協力:岡田正則法学学術院教授)、鈴木敏宏法学学術院教授)、我妻由香莉(弁護士・2013年卒業)、鈴木麻里奈(弁護士・2019年卒業)、山田悠(大学院法務研究科修了)、岡部真典(*大学院法務研究科3年)、尾川佳奈(*大学院法務研究科3年)、小松真優(*大学院法務研究科3年)、渡邊桃子(*大学院法務研究科2年) [*取材当時の所属]

教員が連携し法務プロジェクトを立ち上げ

東日本大震災発生直後、早稲田大学では、法学学術院所属の教員により、「早稲田大学東日本大震災復興支援法務プロジェクト(以下、法務プロジェクト)」が結成された。その目的は、法科大学院の特性をいかした復興支援と研究活動。弁護士としての活動経験を持つ須網教授は、立ち上げ以来、同プロジェクトで活動してきた。

「福島第一原発周辺の地域住民のほとんどは、避難生活を余儀なくされました。しかし、原発事故における損害賠償は、その範囲や構造が極めて複雑です。専門家の立場から被災者を法務面でサポートすることが必要だと考え、取り組んできました」

2012年3月、須網教授と法務プロジェクトに所属する学生3名は、福島県浪江町の馬場有町長(当時)と面会した。浪江町は「警戒区域」「計画的避難区域」に指定され、全ての町民が避難した地域。町役場は、同県二本松市に移転していた。
※写真右:浪江町内の様子

「法律面で協力できないかと打診したところ、馬場町長に賛同していただきました。以来、浪江町とは定期的に会合を開いています。町が抱える問題に対し、法務プロジェクトが解決案を提示し、議論するのです」

浪江町の集団申し立てと司法システムの課題

法務プロジェクトが最も注力してきた課題が、避難町民の精神的損害に対する損害賠償だ。町民と東京電力の和解仲介を担う組織「原子力損害賠償紛争審査会」は、2011年8月に賠償額の目安を含んだ指針を公表した。
※写真左:町民への聞き取り調査

「当時定められた原発事故後6カ月間の賠償額は、月額10万円が目安でした。十分な実態調査の上で設定されたとはいえません。また、事故後6カ月の精神的苦痛が大きく、その後は低減されるという前提に立っています。参考にされたのは交通事故の賠償基準だったこともあり、とても住民の理解を得られるものではありませんでした」

被害が正しく理解されていないことに不満を強め、増額を求める浪江町の住民だが、個々人が具体的な行動をとるのは困難だった。そこで法務プロジェクトは、町役場に支援策を提案する。集団による申し立ての代理人に、町がなることだ。この方法はこれまでどの自治体も試したことがなかった。

「集団申し立てのニーズは高まっていたので、町役場もすぐに決定してくれました。対象は、原子力損害賠償紛争審査会の下部組織であり、仲介の実務を担う『原子力損害賠償紛争解決センター』です」
※写真右:イオン浪江店ゲリラ調査

法務プロジェクトは、弁護団の結成、避難町民への聞き取り調査、報告書の作成、シンポジウムの開催などで浪江町をバックアップ。2013年5月、浪江町は東京電力を相手方として、原子力損害賠償紛争解決センターに和解仲介手続を申し立てた。申し立て総数は1万5000人以上、町民の約7割に匹敵する。その結果、翌年には原子力損害賠償紛争解決センターが増額などを含んだ和解案を提示。しかし、東京電力はその後4年間にわたって受諾を拒否。2018年、浪江町は和解仲介手続の打ち切りを原子力損害賠償紛争解決センターより通達される。
※写真左:南相馬市立総合病院

「浪江町の集団申し立てにおける一連の経緯は、日本の司法制度に示唆を与えているのではないでしょうか。例えば、弁護士人口の不足。集団申立に至るほどの需要がある一方で、弁護士はそれを満たすことができなかったわけです。また、アメリカのように多数の当事者が合理的に訴訟する仕組みも確立していません。日本における『法の支配』には、多くの課題が残されています」

法務プロジェクトは、現在も福島県浜通り地域を中心に、賠償をめぐる諸課題の解決に取り組んでいる。

福島県浜通りの現地調査活動

法務プロジェクトは、毎年、福島県浜通り地域で現地調査を行なっている。調査内容は、震災や原発事故による被害の実状、復興の進捗と課題、各自治体の方針、原子力損害賠償への考え方など、多岐にわたる。活動には、異なるバックグラウンドを持つ、法務研究科の大学院生たちが多数関わっている。

「震災発生当時、薬剤師として勤務していました。被災地のボランティアに行こうとしたのですが、東京の薬剤師も不足しており、参加することができずにもどかしさを感じていました。法曹を志して早稲田に入り、法務プロジェクトのことを知って、ようやく被災地に貢献できると思い参加を決めました」(岡部真典さん)

「緊急時避難準備区域に指定された福島県広野町の出身で、震災発生当時は中学生でした。原発事故によって変貌してしまった地元のために何かしたいと思い、法務の視点から貢献しようと、法務プロジェクトに参加しました」(小松真優さん)

「震災発生当時は神奈川県の中学校に通っていました。辛い思いをしている同世代の人たちをテレビで見て、役に立ちたいと思い、弁護士を目指しました。現地で一番問題だと感じたのは、学校の生徒数が激減し、学習環境が他の地域と大きく異なってしまっていることです」(渡邊桃子さん)

「NGOで東北の復興支援をしていましたが、2016年に法曹の道に進むために退職し、早稲田大学に入学しました。『東京では東日本大震災のことは風化しているのだろう』と考えながら移住してきたのですが、ずっと活動を続ける法務プロジェクトのことを知って感銘を受けました」(山田悠さん)

法務プロジェクトの教育的意義

参加者の一人である尾川佳奈さんは、法務研究科に進む以前は法律事務所に勤務しながら原発事故問題に関わっていた。法務プロジェクトで被災地の人々の声を聞き、考えが変わったという。

「法律事務所時代は、賠償という形でしか地元住民の方を救えないと考えていました。しかし、法務プロジェクトに参加し、現地の方々の話を聞く中で、賠償だけは解決できない問題もあることに気づきました。例えば、地元を支えようとする事業者への法務面でのサポート、農業従事者の補償のサポートなど、法曹にできることは他にもたくさんあります。現地に貢献できる、新しい方法を考えることも、私たちの重要な仕事だと思っています」
※写真右:一般社団法人えこえね南相馬研究機構

2021年1月より弁護士の活動を始めた鈴木麻里奈さんは、現在、浪江町の支援弁護団にも所属している。

「法務研究科に進む前に、再生可能エネルギーを研究していたこともあり、昔から原発問題に関心がありました。在学中に浪江町の皆さんの話を伺い、まだまだ解決されていない問題が多いと感じ、弁護士になってからも現地で活動をしたいと考え、現在に至っています」

2013年に卒業した弁護士・我妻由香莉さんは、アメリカのロースクールに留学した。海外から日本を見つめ、賠償を巡る問題に対する打開策を模索してきた。

「『国内の司法制度が機能しない時は、国際機関を利用すればいい』という話を、他国の留学生から聞いた時、日本は遅れていると感じました。海外の力を借りながら、国内の問題に取り組む。そのような仕組みができるように、若い弁護士が動かなければならないと思っています」
※写真右:なみえ創成小・中学校

検察庁からの派遣で、早稲田大学の教壇に立つ鈴木敏宏教授は、2019年より法務プロジェクトに関わっている。法務プロジェクトの教育的意義について、どのように考えているのだろうか。

「私たち法曹の原点は、困った人を助けにいくことです。法務プロジェクトに関わり、学生たちの強い気持ちに触れ、自分自身も原点回帰をしたように思います。プロジェクトの教育的意義は非常に大きいのではないでしょうか」

次世代に託される日本の司法制度

法務プロジェクトの教員メンバーの一人、行政法を専門とする岡田正則教授は、新たな問題が被災地に現れ始めているという。

「被災地では、自治体の存続自体も危ぶまれています。人々の故郷がなくなってしまうことは、国のあり方としても大問題です。放射能被害のような長期にわたる問題は、長期にわたり地域を維持する法制度が必要です。しかし現在の法制度は、応急処置のようなもの。永続的に機能する仕組みになっていないことが課題だと感じています」
※写真右:あすびと福島(高校生との交流・法教育の実施)

須網教授は、研究者として、教育者として、日本の法制度のあり方を変えようとしている。

「もちろん賠償は重要です。しかし賠償に区切りがつけば、被災地の問題が全て解決されるわけではありません。いろいろな被害がお金に換算されてしまうことが、日本の司法の課題なのではないでしょうか。日本の司法は形式的であり、弁護士も賠償という枠組みにとらわれがちです。そんな慣習を変えられるのは、若い人材しかいません。訴訟の枠組みをいかにアップデートしていくか、未来の法曹たちにかかっています」