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地域ぐるみで次世代を育て、唐桑を「夢を広げる装置」に変える

中国のハンセン病快復村での経験を携えて、被災地の現場に飛び込む

東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県気仙沼市唐桑町。その地で、若者の夢を広げる教育事業に携わるのが、一般社団法人まるオフィスの加藤 拓馬さんだ。早稲田大学卒業後にIT企業への入社が決まっていながらも、東日本大震災を契機に「現場に行かなければわからないことがある」と被災地を訪れ、10年にわたって気仙沼のまちづくりに携わってきた。加藤さんを気仙沼へ向かわせた学生時代の原体験と、現在手がける教育事業について伺った。

Profile
加藤 拓馬
一般社団法人まるオフィス 代表理事
2007年早稲田大学入学。在学中はハンセン病問題支援学生NGO「橋~Qiao~」に参加し、中国のハンセン病快復村でワークキャンプ活動を行う。2011年に早稲田大学文化構想学部を卒業し、同年4月に東日本大震災の復興支援で宮城県気仙沼市を訪れたことをきっかけに移住。漁師体験など気仙沼の魅力を発信する活動に携わり、2015年に一般社団法人まるオフィスを設立。現在は、地域ぐるみで次世代を育てる教育事業を軸に、探究学習コーディネーターとして地域と学校の双方に入り、中学生・高校生の実践・挑戦をサポートする。

きっかけは「会社はいつでも入れる」という本気のメッセージ

2011年3月11日、加藤さんは大学の友人と卒業旅行で静岡を訪れていた。突然強い揺れに見舞われた加藤さんは、すぐさまSNSを確認。震源地や被害状況、安否確認に関する情報などが溢れかえっており、ことの重大さを理解するのに時間はかからなかった。

「震災の影響で、静岡でも停電が発生しました。発災当日は家族と連絡を取ることも難しく、情報面での混乱が続くなか一夜を過ごしました。地震から一夜明け、漠とした不安を抱えたまま東京へと向かう帰り道、一通のメールが届きました。
差出人は在学中からお世話になっていた一学年上の先輩で、メールには『東北に行け』と書かれてありました。4月からIT企業で働くことが決まっていたため、一度は断りましたが、『会社はいつでも入れる』という返信内容を見て、本気で私に何かを伝えようとしたメッセージだと気づきました。
当時は、震災を機に、自からの生き方や社会とのつながりについて見つめ直す人が多く、私もその一人でした。このままでいいのだろうか。自分にできることがあるのではないかと何度も考えた末に出した結論が『被災地に行くなら今しかない』ということ。社会人になれば会社を辞めることも簡単にはできませんし、同様に大学3年生であれば大学を辞めることも簡単にはできません。学生とも社会人とも言えないタイミングが後押しとなり、入社予定だった会社を休職。被災地入りすることを決意しました。
このときの決断が正しかったのか、今でも時々考えますが、中国のハンセン病快復村での経験があったからこそ、躊躇することなく『現場に飛び込む』ことができたのだと思います」

なんの力を持っていない大学生が現場の真ん中に飛び込み、社会を変えていく

「現場に飛び込む」ことを重視してきた加藤さんの原体験は、学生時代、中国のハンセン病快復村でのワークキャンプ活動にある。休み期間中に1~2週間滞在し、村人と現地の大学生と共同生活を行いながら、水道、トイレや道路の整備といった労働を通じて交流を深め、現地でハンセン病に対する差別・偏見をなくすための活動を行なっていた。

「中国には、当時約600のハンセン病快復村があり、その多くは劣悪な環境に置かれています。また、ハンセン病は長く差別や偏見の対象となってきたため、周囲の村から孤立しているケースがほとんど。そこで暮らす村人と衣食住をともにしながら、生活インフラの改善を支援する活動を4年間続けてきました。
実際に現地に入ってみると、差別や偏見に晒されてきたとは思えないほど明るい方ばかりで、村人たちの生きる強さや温かさに衝撃を受けたことを覚えています。村人の笑顔から力をもらうことも多く、改めて人間は一人で生きてはならない、生きていけないと身をもって知りました。
活動を続けていると、ある変化に気づきました。何十年もの間、交流が絶たれていた集落に住む人たちが快復村を訪れるようになり、徐々に村人にも慣れ、新たな交流が始まったのです。日本の大学生というなんの力ももっていない『よそ者』でも、現場の真ん中に飛び込み、当事者と信頼関係を築くことで、社会を変えていくことができると気づけた瞬間でした。ボランティアという言葉には『してあげる』『してもらう』といった上下関係や依存関係のイメージがつきまといますが、私にとって、ボランティアとは誰かを助けるために行くものではなく、誰かに出会いに行くためのものに変わりました」

「復興支援」から「復興まちづくり」へ。長期的に唐桑に関わっていく決意を抱く

中国のハンセン病快復村での経験を携えて、2011年4月5日に宮城県気仙沼市の唐桑町を訪れた加藤さん。道路には倒壊した建物が散乱している状態で、被害の大きさが想像できた。そんななか、加藤さんを受け入れてくれる地元の方が現れ、自宅に居候しながらがれきの撤去や避難所支援に勤しんだ。そこでの出会いが、加藤さんの人生を大きく変えることになった。

「長期滞在していると、少しずつ地域の方の本音のようなものが見えてくるようになりました。短期滞在で訪れたボランティアの前では気丈に振る舞い、感謝の言葉をかけていましたが、私の前では不満や不安を吐露するのです。外から来た私には、話しやすいというのもあったのでしょう。がれきの撤去を終えた9月以降、自分にできることを探していたところ、生活上の混乱からストレスを抱えたりする人や、深く落ち込んだりする人も見られ、ここからの取り組みが重要だと感じました。
ちょうどその頃に、まちづくりの現場で使われる「よそ者、若者、バカ者」という言葉を知りました。地域という枠組みに捉われないよそ者、次の世代を担う行動力のある若者、愚直に真っ直ぐ突き進むバカ者。まさに自分のことを指しているように思いました。
長期的に唐桑のまちづくりに取り組む決め手となったのが、地元の方からかけられた言葉。『ありがとう』という言葉が『一緒にやっていこう』という言葉に変わったのです。被災者とボランティアという関係から、地域の人とよそ者へと変化しているのを感じ取りました。私が目指したのは、一方的な『復興支援』ではなく、地元の方と一緒に行う『復興まちづくり』。これまでに、よそ者の視点を生かして、町の課題や魅力を掘り起こす『まち歩き』や、観光客向けに漁師の暮らしや仕事を体験する『漁師体験』などの活動を行ないました」

子どもたちが人生の選択肢を自分で、地域で広げていけるように

唐桑という町にのめり込むようになった加藤さんは、集落が抱える課題と、集落が持つ潜在価値に気づくようになる。現在、気仙沼市全域で地域ぐるみで学びの仕組みづくりに挑戦する加藤さんに、今後の目標を聞いた。

「浜を中心にした集落コミュニティの持続性を考えていたときに、『集落コミュニティは夢を諦めさせる装置』という言葉に出会いました。やりたいことや好きなことがあっても、米屋の長男は米屋を、豆腐屋の長男は豆腐屋を継がざるを得ない。つまり、集落は子どもに夢を諦めさせることで、持続性を保ってきたというわけです。集落が若者の夢を奪っていることに衝撃を受けましたが、その一方で、集落だからこそできる夢の広げ方もあるのではないかと夢見るようになりました。
子どもたちが人生の選択肢を地域で広げていくために、観光客向けに行なっていた『漁師体験』を地元の中高生向けに展開。漁師になることを強制するのではなく、漁師の暮らしや仕事を通して、自分の選択肢の広げ方を学んでもらうために始めました。
今では、漁師だけでなく、農家や経営者を巻き込んで、地域ぐるみで次世代を育成する実践型の学びを展開しています。近年、生徒自らが課題を設定し、課題に向けて周囲と協働しながら進めていく探究学習の重要性が高まっていますが、地域には答えのない課題が多く、現場で実践的に探究学習を行うフィールドとして最適だと考えています。若者にとっても、地域にとっても良い学びのあり方を深め、気仙沼という地域から日本の学びをアップデートしていきたいです」