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支援の絆を断ち切らないために

“早稲田型”の震災復興支援ボランティアを目指して

早稲田大学において学生たちのボランティア活動をサポートし、実践的な学びの場を提供している平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC)。東日本大震災発生直後、被災地への学生派遣を指揮した外川隆元事務長は、「混乱の中で手探りをしながら、活動を試行錯誤してきた」と当時を振り返る。震災から10年、ボランティアのあり方は、どのように変遷していったのだろうか。

Profile
外川 隆
早稲田大学監査室副室長
1963年新潟県生まれ。1987年早稲田大学社会科学部卒業。2000年東京学芸大学大学院環境教育コース修了。2013年まで早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC)事務長を務める。総務部総務課長、総務部法人課長などを経て、現在監査室副室長。学生時代から岩手県田野畑村へ通い続け、「思惟の森」を育てている。

学生ボランティアの派遣と被災地のニーズ

 東日本大震災発生から1カ月後の2011年4月、早稲田大学は「東日本大震災復興支援室」を設置。「被災学生の就学支援」「研究を通じた復興支援」「被災地域への支援」を三つの柱として、支援活動を開始した。「被災地域への支援」におけるボランティア派遣は、学生ボランティアプロジェクトの推進役を担う早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC)が中核的役割を果たすことになる。当時、WAVOCを指揮したのが、外川隆元事務長だ。

「創立以来、社会への貢献とともに歩んできた早稲田大学として、被災地に学生ボランティアを派遣するのは当然のことだと考えていました。地震発生翌日には、『今すぐ東北へ行きたい』とリュックサックを担いでWAVOCを訪れる学生もいました。しかし一方で、学生が現地に行けば貢献できるという、単純な話ではありません。三宅島噴火災害や中越地震など、多くの被災地へ学生を派遣してきた経験上、不準備な学生を現地に派遣することは、むしろ迷惑をかけることもわかっていたのです」

ボランティア活動は、現地での受け入れ体制が整い、人員が管理できるようになって初めて成立する。学生がやみくもに現地を訪れれば、逆に地元への負担が高くなってしまうケースも多い。また、余震が続く東北の地で、学生の安全を十分に確保できる保証もない。加えて、WAVOCそのものの人員や資金も万全ではなかった。

「当時のWAVOCの専任職員は3名。とても活動をカバーできるような体制ではありませんでした。急遽学内公募で支援チームを編成し、人員を補強。2011年5月~6月には、人事異動等によって正式にスタッフを増強しました。職員だけでなく、WAVOC専任教員とともに、活動を持続できる体制を整えていったんです」

卒業生のネットワークで派遣活動を強化

 震災発生後、早稲田大学は被災地域に在住する全ての卒業生に対し、お見舞い状を送付した。すると、約3500通もの返信があり、その中には学生の派遣を求める声も多く含まれていた。WAVOCはこうした卒業生のもとを一軒一軒訪れ、現場で必要な支援の形を聴取していった。それぞれのニーズは、後の支援活動につながっていく。

「早稲田大学の卒業生組織は全国に広がっており、その人数も多い。卒業生と教職員、そして学生が協働して支援にあたる『早稲田型』の復興支援ボランティアを進めるべきだと考え、まずは被災地の校友との連携に注力しました」」

 2011年4月に派遣された宮城県石巻市への先遣隊以来、1年間で延べ2,178人の学生・教員が、78回にわたって派遣された。泥かきや瓦礫の撤去が中心であった初期の活動は、被災地の要望に応える形で、徐々に多様化していく。岩手県釜石市での「町の魅力マップ」の作成、福島県双葉高校での学習支援合宿、音楽系サークルによるコンサート活動、体育各部によるスポーツ交流など、大学生だからこそできる活動も実現した。

宮城県気仙沼市で瓦礫撤去活動に参加した学生により、2012年に発足した「気仙沼チーム」は、仮設住宅でのお茶会や健康体操による交流、気仙沼高校での学習支援、観光再生支援など行い、現在も活動を続けている。外川元事務長も、気仙沼の活動に何度も同行した。

「震災によって亡くなった卒業生の奥さんが、ご主人の遺影に向かって『あなたの後輩たちが助けに来てくれていますよ』と仰っていたのを見て、涙が出ました。WAVOCの活動に参加した学生が、卒業後も復興支援を続けるケースは多くあります。東北出身の学生が、現地での活動を通じて進路を考え直し、地元で生きていくことを決意することもたくさんありました。毎年新たな学生が活動し、卒業生と関わりながらつながりが広がっていく。世代を超えた支援の輪の中に、『早稲田型』復興支援ボランティアの意義があるのだと感じています」

岩手県田野畑村との個人としてのつながり

外川元事務長は学生時代、岩手県田野畑村で育林活動を行う早稲田大学公認サークル「思惟の森の会」に所属していた。卒業後も、個人的に現地での活動をつづけ、30年以上田野畑村に関わってきた。2002年にWAVOCが立ち上がった後は、職員としてWAVOCが運営する授業科目に「農山村体験実習」を設置。田野畑村に関しては、外川元事務長が自ら地域と大学とをつなぎ、毎年実習プログラムを組んできた。

「自分自身が、地方の農山村で活動することの重要性を感じていたので、ぜひ学生たちにも伝えていきたいと思ったのです。大学の活動として、再び田野畑村と密接な関係を築くことができたのは、非常にうれしかったですね」

そうした中、田野畑村を東日本大震災が襲う。津波により、沿岸の水産加工施設は壊滅的な被害を受け、鉄道は橋脚ごと流された。

「震災直後、田野畑村の方々と連絡が取れず、ずっと不安だったのを覚えています。ようやく現地に行った時には、自分が宿泊した民宿が無くなり、駅は流されていました。長年通っていた場所、お世話になった方々が、直接被害に遭う。湧いた感情は、言葉にならないものがありました」

WAVOCでは、田野畑村でも復興支援活動を開始。流された漁具や漁船の片付け、写真の洗浄作業、支援物資の整理・仕分けなどを実施した。以降は、従来の育林合宿も毎年行われており、早稲田大学ニューオルリンズジャズクラブによる演奏会や、卒業生イベント「稲門祭」における田野畑産ワカメの販売など、活動内容も充実化している。

現地の人々とつながりつづける意義

震災発生からの10年が経った今、外川元事務長はボランティアにおける変化をどのように感じてきたのだろうか。

「災害におけるボランティア活動が浸透したのは、阪神淡路大震災の頃からだったと思います。遠い場所の被害を『自分事』だと考え、行動に移す人が、徐々に増えてきたのではないでしょうか。また、瓦礫撤去や物資供給のような災害直後の活動にとどまらず、音楽やスポーツなど、支援の形が広がっていったことの意味も大きいと思います。自分にできる形で貢献するという考えは、持続的な支援活動において欠かせないからです」

個人として、職員として、長年地域での活動を行ってきた外川元事務長は、田野畑村での出会いが「人生の原点だった」と振り返る。

「復興支援や地域活動は、続けること自体が目的ではありません。しかし、活動を持続することで、現地との関係性が築かれ、真に必要なことを理解できるのは事実です。私も若い時、何度も田野畑村に通い続けたことで、ようやく『早稲田の学生さん』ではなく『外川さん』と顔を覚えてもらうことができ、現地の声を聞くことができるようになりました。その後、『一生関わりを保とう』と覚悟したわけですが、大事なのは、覚悟だけではなく謙虚さだと、今は考えています。自分の気持ちだけで支援をしても、結局は現地で人々のお世話になりつづけるのですから。私自身、ずっと田野畑村と関わることで、人間として成長させていただきました。これまでお世話になった方々に対し、恥ずかしくないような生き方をしなければならない。それが私の原動力になっています」