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震災発生時、早稲田キャンパスで何が起きたか

東日本大震災の経験を、大学の防災に生かす

「私を含め、全ての職員がパニックに陥ったのではないでしょうか。想像したことのない光景が、目の前に広がったのです。あまりにショックが大きく、記憶が断片的なのが正直なところです」。東日本大震災発生当時、早稲田大学総務部で担当にあたった関口八州男元総務課長が、当日の状況とその後の対応を振り返る。10年前、いったい何が起こったのか。

Profile
関口 八州男
所沢総合事務センター事務長
1965年東京都生まれ。1988年早稲田大学入職。その後、総長室創立125周年記念事業推進室課長、総務部総務課長、総長室秘書課長、学生部学生生活課長を経て、所沢総合事務センター事務長に着任。

巨大地震が発生しパニックに陥るキャンパス

東日本大震災発生当日の2011年3月11日、大学運営の本部機能が集結する20号館(大隈会館)7階で、関口さんは通常通りの業務にあたっていた。14時46分頃、巨大地震が発生。関口さんは「椅子に座っていられないほどの揺れだった」とその時を振り返る。

「最初に揺れを感じた時は『いつもの地震かな』と思いましたが、一気に激しい揺れに変わったのです。フロアにいた職員全員が、椅子に座れないほどでした。尋常じゃない事態だと気づいた時には、全員がデスクの下に潜り込んでいました」

揺れがおさまった後、関口さんは階段で1階の警備室へ移動。全館放送で、20号館前にある「大隈庭園」への避難を促した。しかし、館内はパニックに陥っており、通路や階段が職員でごった返しになる。

「私自身も気が動転していました。とにかく『何かしなければ』と、頭に浮かんだことから対応していたのだと記憶しています。職員の行動にもばらつきがあり、大隈庭園への移動もスムーズではありませんでした。パニックになると、人の行動はバラバラになるというのが、今振り返ると、率直な感想です」

機能が不十分であった指揮・管理系統

同日は春季休業期間にあたり、キャンパス内にいる学生や教員の数は少なく、大きなけが人はいなかった。しかし、早稲田大学は国内でも有数の規模を持つ教育機関であり、専任職員だけで当時800人程度が勤務していた。それに加え、研究やサークル活動で学内にいる学生もおり、研究室には教員がこもっている。キャンパスは広く、数カ所に分散する。それらの管轄は複雑で、指揮系統はほぼ機能しなかった。各施設の事務所が、それぞれの判断で、避難指示、安否確認を行っていたのだ。

「もちろん緊急時の対応マニュアルはありました。しかし実際に各現場に任せるしか方法はなかったのです。東日本大震災ほどの大災害を想定していなかった。そのことこそが、最大の反省点です」

避難場所として施設を地域に開放

混乱が生じたのはキャンパスだけではない。東京では帰宅困難者が大量に発生し、新宿区の避難場所に指定されている早稲田大学は、大隈講堂、西早稲田キャンパスの63号館などを解放。学内外の避難者を受け入れた。同時に、災害対策本部を設置し、理事・役員が対応する体制を整備。関口さんと総務部のスタッフは、大隈講堂の対応に注力する。

「早稲田キャンパス周辺には商店街やオフィスもあるため、多くの人が大学に避難しました。学内に備蓄されていた水や食料、毛布をかき集め、提供していったのを覚えています。私は対応に追われていたため、津波などの東北の被害をテレビで知ったのは、一通りの作業が終わった深夜でした」

関口さんを含む、総務部の多くの職員が大隈会館内で夜を明かした。寝る間はほとんど無かったという。

少しでも早い支援活動を目指す

翌日、被災した入学予定者・在学生に対し、大学は入学時の対応や経済支援などの方針を決定。13日には「東北地方太平洋沖地震全学緊急対策会議」を実施した。その他、学生ボランティアや研究者による復興支援、支援基金の設置、全国にいる卒業生との連携など、早稲田大学としての対応が次々と決められていった。

「被災地に実家がある学生、東北に住む卒業生が数多くいたので、安否確認などの対応にあたりました。並行して、研究者がそれぞれの専門領域における復興支援をし、大学が組織的にバックアップする形であらゆる活動がスタートしました」

機能する防災体制と現場での対応力が必要

東日本大震災を受け、緊急時における対策の見直しも進められた。当時、現場で起こったこと一つ一つを検証し、改善された緊急時マニュアルは、現在全ての職員の間で共有されている。関口さんは総務課を離れてからも、当時の経験を防災訓練で職員に向けて話すなど、積極的に災害対策に取り組んできた。

「あの震災で最大の問題となったのは、組織体制が機能不全になり、情報が錯綜してしまったことです。もし、地震が授業期間中に起こり、無数の学生がキャンパスにいたと考えると、他にもあらゆる問題が発生したでしょう。さらに近年は、地震だけでなく、台風や豪雨なども多発しています。停電や洪水、火災など、あらゆるリスクを想定し、キャンパスの安全を守らなければいけません」

一方で、関口さんは、マニュアルの整備だけでは不十分だと考えている。

「万全なマニュアルというものは存在しません。想定外の事態に対応できなければ、結局は10年前と同じことです。トップの指示を待たず、現場で起こったことに向き合いながら、柔軟に対応していくこことも、職員には求められています。東日本大震災を経験した職員は徐々に減ってきました。将来のために、私たちが『緊急時に何が起こるのか』を現場に伝えていくことが、最も重要なのではないでしょうか」

3.11 大震災直後の大学(大隈講堂)

3.11 大震災直後の大学(大隈講堂)

3.11 大震災直後の大学(大隈会館)

3.11 大震災直後の大学(大隈庭園)