被災地で出会った、心に傷を抱えた高校生
早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC)では、震災直後の2011年4月から、継続的に学生・教職員ボランティアを派遣してきた。WAVOC公認プロジェクトのひとつ、「コミュニティエイズプロジェクト(CAP)」に所属していた田母神 綾さんは、避難生活を強いられた福島県立双葉高校※の生徒に学習支援を行うことに。そこで出会ったのは、言われのない差別を受け、心に傷を抱えたある一人の高校生だった。原発事故から10年を迎える今、自らも被災した経験を持ちながら震災復興支援に携わってきた田母神さんに、これまでの取り組みや、活動を通して気づいたことなどを、ありのままに語ってもらった。

- 田母神 綾
- 会社員
- 福島県郡山市出身。2017年早稲田大学政治経済学部卒業。在学中は、平山郁夫記念ボランティアセンター (WAVOC)公認のプロジェクト活動に参加。福島第一原子力発電所の事故で避難生活を強いられた、福島県立双葉高校※に通う生徒への学習支援活動や、震災で心に傷を負った生徒の心のケアを行う。被災した自らの経験やボランティア活動の知見を生かして、福島復興への啓発を目的とした記録映画やPR映像の制作を行い、日本財団学生ボランティアセンター主催のPRコンテストでは、審査員賞を獲得した。
※現 福島県立ふたば未来学園中学校・高等学校に統合
原発事故への世間の反応と不安を抱えながらの高校生活
東日本大震災が発生した当時、福島県郡山市の高校に通っていた田母神さん。市内では一部の建物でレンガのひび割れや屋根瓦の落ちた家が見られたが、幸い家族も無事で、大きな被災は免れたという。

「地域によっては住居の半壊も見られ、地震の爪痕の大きさを実感せざるを得ませんでした。ただ、それ以上に原発事故の問題が気がかりでした。漏れ出る放射性物質の危険から逃れるために地域では県外に避難する人も増えており、正しい情報が得られない状況で何を頼りに生きていけばいいのか捉えようのない不安を感じていました。
不安な日々を過ごす私に追い打ちをかけたのが言われのない誹謗中傷や差別です。当時、全国高等学校総合文化祭『全国高総文ふくしま2011』の実行委員を務めていましたが、その開催の是非をめぐってインターネット上では激しく議論されていました。なかには『福島は危険だ』『放射線がうつる』などの心ないコメントも見られました。福島に住んでいるというだけでなぜここまで言われなければならないのか。やり場のない憤りは原発事故を収束できていない政治にも向けられました。
私たちの暮らしは政治に左右されている。ただ政治に左右されるのではなく自分自身でより良い社会を形成して復興を支援していきたいという思いから、早稲田大学政治経済学部へ進学しました」
「福島に関わらなくてはいけない」湧き上がる使命感を抱き、被災地へ
早稲田大学入学後、早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC)が開催する「春のボランティアフェア」に参加した田母神さん。各ボランティアプロジェクトがブースを出展し、メンバー募集を行うなかで、田母神さんが選んだのは、福島県立双葉高校の高校生に支援を行う「コミュニティエイズプロジェクト(CAP)」だった。
「大学では二つの視点でサークル選びを行いました。一つ目は、社会全体の仕組みや構造からアプローチするマクロな視点。もう一つは、個人の声や生活からアプローチするミクロな視点です。自分の興味・関心を被災地支援や被災地の復興につなげていくには、両者のバランスを取る必要があります。前者を政治サークル、後者をボランティア活動で身につけようと考えボランティアフェアに参加しました。
WAVOCでは早くから東日本大震災の被災地支援を行なっており様々なプロジェクトがありましたが、一際目を引いたのが『コミュニティエイズプロジェクト(CAP)』。
話を聞いてみると、双葉高校は福島第一原子力発電所から3.5kmと最も近い場所にあった高校で、避難生活を続ける生徒への学習支援と、震災にかかわる悩みなどを聞くボランティアをしているというのです。活動内容を聞いてふと感じたのは、『高校生のときに被災した自分にしかできない支援の仕方がある』ということ。『私は福島に関わらないといけない』という湧き上がる使命感と共にプロジェクトへの参加を決意しました」
被災地で耳にした高校生の切実な「声なき声」
「コミュニティエイズプロジェクト(CAP)」は、福島県いわき市での避難生活を強いられた高校生に対して、より良い学習環境を提供するために発足したプロジェクト。田母神さんは、双葉高校に通う高校生と寝食をともにしながら学習支援や心のケアを行なっていくうちに、高校生の「声なき声」を耳にした。

「家族が原発関連の仕事に就いているという高校生も多く、当時は原発への非難の声が高まっているなかで、風評や偏見にさらされて傷つく高校生や、震災が原因で家庭環境に悩む高校生も少なくありませんでした。なかでも、みんなの前では気丈に振る舞う頑張り屋さんの女子高校生は、『塾代まで親に負担をかけたくないから勉強を頑張る』『猫と触れ合っているときだけが安らげる』と私の前で本音をこぼしてくれました。このとき、『がんばろう東北』というスローガンの裏側に隠れた現実を知りました。
なんの罪もないひとりの高校生が声を挙げたくても挙げられずに追い詰められている、この社会の歪みを問い直したい。マスメディアで切り取られる被災者の声とは違う高校生たちの葛藤や福島が抱える課題を誰かが発信しなくてはいけないと感じ、『だから私は福島に行く』という映像作品を制作。高校生たちの出会いとWAVOCでの経験は、それまでの価値観を大きく揺さぶった貴重な機会でした」
自分が正しいと信じる道をやり抜いてより多くの人の社会課題を解決したい
田母神さんがWAVOCのプロジェクトに参加した当初、その強い使命感から、卒業後も震災復興に携わりたいと考えていたそうだ。しかし、双葉高校の高校生やWAVOCで同じプロジェクトに携わった仲間、そして多様性を認める「早稲田大学」という学び場と触れ合うことで、「物事の捉え方はひとつじゃない」と気づいた。

「東日本大震災は、私たちからかけがえのない『何か』を奪いました。震災以来、福島には大切な何かが欠けているような気がしていて、大学卒業後は福島に帰り、その『欠けたもの』を補おうと考えていたのです。しかし、WAVOCでの活動に携わり現地の人と深く関わってみると、現地の人に『欠け』ているという意識はすでになく覚悟を持って新しい人生を歩んでいる人が多いことに気づきました。それと同時に、私は『震災復興』という使命感にとらわれ自分の価値観や可能性を狭めていたことを痛感しました。現在は、福島という場所に限らず、広く社会に目を向け、より多くの人が抱える課題の解決に取り組みたいと考えています。
この選択が正しいのか、間違っているのかはわかりません。ただ、自分が正しいと信じてやり抜かなければ何も変わりませんし得られるものもありません。今はWAVOCで成し遂げたことや現地で得た学びを信じて、デジタルマーケティングという観点から企業の課題解決に携わっています。将来は、ビジネスパーソンとしてスキルを高め、より多くの人の力になれるプロダクトやサービスを作り社会に価値を還元していきたいです」