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学生を安全に被災地へ送り込む災害ボランティアを陰で支えた早稲田レスキュー

「防災教育」で復興への足がかりを築いた防災研究者

東北地方に甚大な被害をもたらした東日本大震災は、国民の防災意識を高め、平常時からの備えや防災に関する知識の重要性を浮き彫りにした。「知らないことで失われる命がある」と語るのは、在学中に早稲田災害対策学生チーム「早稲田レスキュー」を立ち上げ、防災知識や災害時の行動などの啓発に努めてきた加藤 一紀さん。東日本大震災で早稲田大学先遣隊派遣の事前講習会を開催した加藤さんに、早稲田レスキューを立ち上げた経緯や、当時の活動内容について伺った。

Profile
加藤 一紀
技術研究者
2009年早稲田大学創造理工学部社会環境工学科卒業。2011年創造理工学研究科修士課程、2014年同博士課程修了。2015年博士(工学)。在学中に防災教育サークルを経て、2007年に早稲田災害対策学生チーム「早稲田レスキュー」を立ち上げる。2011年東日本大震災復興支援では、WAVOC災害ボランティアの事前講習会を担当。大学院では「東京湾臨海部の液状化対策」の研究活動に取り組み、博士課程修了後、株式会社大林組に入社。現在は同社の技術研究所で、港湾施設の液状化対策に関する研究や、地中構造物の耐震技術、原子力施設等の安全性に関する実験業務に携わっている。

「誰かが声をかけていたら」“知識”で助かる命がある

加藤さんが防災教育活動に興味を持ったのは、2005年にさかのぼる。早稲田大学創造理工学部の1年生だった加藤さんは、大学で出会った先輩からスマトラ島沖地震で津波の犠牲になった子どもたちのエピソードを聞いた。

「その先輩は早大防災教育支援会『WASEND』に在籍しており、日頃から日本国内と海外の小学生を対象に防災教育活動を行っていました。WASENDは、2004年に発生したスマトラ島沖地震に端を発して設立された団体。先輩から話を聞くと、スマトラ島沖地震では、津波が押し寄せる前に発生する引き波(注1)によって浜辺に打ち上げられた魚を捕りにいった大勢の子どもたちが津波の犠牲になったというのです。日本人の私たちにとってみれば、沿岸部で地震が起きたら津波に備えて高所に避難するというのは当たり前の知識。防災知識があるかないかで、失われる命があることに衝撃を受けました。
その一方で、防災知識のある日本も、防災知識があるからと言って命が失われないとは限らないという思いに至りました。防災教育活動の責任の大きさを自覚するとともに、防災に関する情報や知識を広く伝えて、助けられる命を助けたい。その思いから、2005年にWASENDに加入しました。
WASENDでは大分県の小学生を対象とした出前授業を皮切りに多くの授業を担当しました。授業自体は好評で、ある程度の達成感を得られました。一方で、当時は今と違って防災に対する周囲の関心は低く、メンバーからは阪神・淡路大震災での実体験に基づいて教訓を伝えようとする学生と比べて、震災経験のない私たちが防災教育活動を行う意義について疑問視する声も挙がり、メンバーの意識を高め、意見をまとめることに苦労しました。今考えると、自分が被災したかどうかよりも、『被災経験者』の話を聞いてどのような感情を抱いたか、どのような思いが生まれたかの方が重要なのだと思います。それを伝え続けることで共感が生まれ、行動(防災対策)へと繋がっていくと思うからです」

平常時から防災教育活動を行う「早稲田レスキュー」を設立

「少しでも多くの人に防災に関心を持ってもらいたい」。加藤さんは、平山郁夫記念早稲田大学ボランティアセンター(WAVOC)内に、早稲田災害対策学生チーム「早稲田レスキュー」を2007年に立ち上げた。

WASENDの活動を通して小中学生を対象に「災害のメカニズムや身の守り方について指導する過程で、ふと『大学にいるときに地震が起きたら、自分たち大学生はどうなるのか』という疑問が生じました。また早稲田大学は地域の一次避難所に指定されていますが、大学側が避難所運営に携わることは、帰宅困難となる学生の対応等で動きが取れず、難しいのではないかという考えに至りました。そこで、避難所運営をサポートしたり、平常時から地域住民との連携や、学生が防災知識を身につけ、災害時の行動を考えたりする場が必要になるとの思いから、WAVOC公認団体『早稲田レスキュー』を立ち上げました。
2007年当時、WAVOCでも遠方で災害が発生した時に臨時でボランティアスタッフの募集・派遣をしていましたが、早稲田周辺地域で防災活動を行う団体はなく、平常時から防災知識を持った団体があれば、別の地域で災害が起こったとしてもスムーズに学生スタッフを派遣することができると考えたのです。その意味で、早稲田レスキューの立ち上げは大きな一歩でした。主な活動内容は、学内で行われる防災訓練への協力や防災倉庫の確認、大学生や地域の子どもたちを対象とした防災関連情報の広報・イベント活動です。私自身も上級救命講習を受講して、応急手当などの技術を積極的に習得しました。最終的には全学部からメンバーが集まるなど、大学内でも少しずつ認知されるようになり、それまでの取り組みが実りました」

事前講習会を通じて早稲田の学生を被災地に送り出す

東日本大震災が発生してまもなく、早稲田大学は「東日本大震災復興支援室」を設置。「被災学生の就学支援」「研究を通じた復興支援」「被災地域への支援」を三つの柱として支援活動を開始した。同時にWAVOCでは、学生・教職員によるボランティアを被災地へ派遣。ボランティア経験や知識も少ない学生が集まるなかで、加藤さんは事前講習会を開催。4月から6月までの間に、計500名ほどの学生がこの講習を経て被災地へ向かっていった。

「東日本大震災の影響を受けて早稲田大学の入学式が中止となり、授業開始日も5月に変更されました。その間に『自分にできることをしたい』と考える学生も多く、ボランティア派遣を行う体制づくりが急務でした。その一方で、被災地の状況が不透明だったため、やみくもに学生を派遣することのリスクについても話し合われていました。過去に発生した兵庫県南部地震や新潟県中越地震等で見られたように、むやみに被災地に入ることでかえって現地に迷惑をかけるケースもあります。
そこで、4月の初めに1回目の事前講習会を開催し、これからボランティアをしたいと考える学生たちに、現地でのリスク管理や被災者との接し方などの情報を提供しました。当時は大学側もボランティア派遣に慎重でしたが、事前講習の受講を条件に、WAVOCを通して早稲田の学生が被災地へ派遣されるようになりました。
早稲田レスキューの活動を通して、防災関係者とのつながりができていたことで、第一線で活躍する専門家を講師に招いた事前講演会を行うことができ、ボランティア派遣の一助となりました。早稲田レスキューの活動が、迅速な学生ボランティア派遣や、その後の各種ボランティアプロジェクトの誕生に、多少なりとも貢献することができたのではないかと考えております」

防災研究を通じて、何気ない日常を守る

創造理工学研究科を卒業後、総合建設会社大林組に入社した加藤さん。現在は「国土強靭化」に関連する港湾施設の液状化対策や、原子力施設をはじめとする電力施設の耐震技術に関する研究に取り組んでいる。現在も防災研究に携わる加藤さんに、今後の目標を伺った。

「『研究で扱ったものの先に何があるか』を意識して、日々研究に携わっています。早稲田レスキューの活動を行っている際に、福島第一原子力発電所の事故によって東京での避難生活を強いられた方と話す機会がありました。『原発で作られた電気は使いたくない』と涙を流しながら語る方もいて、原発事故の影響は避難者の間に色濃く残っており、その後の人生に大きな影響を与えていることに気づきました。こうした気づきを通して、技術研究者は技術の向上だけでなく、扱う技術の先に人がいること、自分の扱う技術が人の人生に大きく影響を与えうることを意識しながら研究に携わらなければならないと考えるようになりました。

防災研究という仕事は、私たちの日常を支える重要な仕事です。人々の生活や産業の根底を担うという性質上、社会的責任が大きく小さなミスも許されません。防災研究を通じて、一人ひとりの日常を奪う災害を少しでも防ぎ、『非日常を作らない』こと。それが防災研究に携わる私の使命です。しかしながら耐震技術の向上だけで解決できる問題では、ごく一部です。だからこそ早稲田大学で学んだことや経験したことを活かして、人々が今日という一日を普通に過ごせるように、防災研究はもちろんのこと、様々な取り組みを通して貢献していきたいのです」

注1;引き波が発生せずに、津波が来襲する場合もある。