震災を機に、地方創生に尽力してきた留学生の歩み
未曾有の災害をもたらした東日本大震災から10年。東日本大震災を契機に、多くの人が人生観や価値観を見つめ直した。震災当時、早稲田大学国際教養学部に在籍していたシンガポール出身のデニス・チアさんもその一人。留学生として来日し、日本の地域と世界のグローバル人材をつなぐ事業「BOUNDLESS」を立ち上げ、地方創生に尽力してきた。彼のこれまでの歩みと日本の地域が抱えている社会課題、そして、彼が見据えるこれからを追った。

- デニス・チア
- 起業家
- シンガポール出身。2012年に早稲田大学国際教養学部卒業、2016年に東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。2017年に地方創生と教育を結びつけた社会課題解決型企業、株式会社BOUNDLESSを設立。現在はBOUNDLESSを解散し、電気自動車(EV)充電器の導入運用に取り組むスタートアップ企業に務めながら、副業としてBOUNDLESSの運営に携わる。
大学4年次に東日本大震災を経験しWAVOCの復興支援活動に参加
13歳の頃から日本語の勉強を始め、留学生として早稲田大学国際教養学部に入学したデニスさん。在学中は休みのたびに旅行に出かけ、卒業までに47都道府県のすべてを回った。

「来日した当初は、一般的な大学生のようにアルバイトでお金を貯めて、大好きな日本を旅するという程度の気持ちで、地域の歴史や文化に造詣があったわけではありません。
『地方』に興味を持つようになったきっかけは、2011年3月11日に起きた東日本大震災。当時は国際教養学部の4年生で、テレビから流れる津波の衝撃的な映像に、ただ心を痛めていました。中学生の頃から慣れ親しんだ日本が自然災害に破壊されるのを目の当たりにして、自分にできることは何か、すぐさま行動をしなければならないという衝動に駆られました。
現地を訪れることも考えましたが、自分一人にできることは限られます。情報や手段もなく歯痒さを感じていたときに、早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC)の復興支援ボランティアを知り、迷わず参加を決意しました」
石巻で地方の文化を体験し日本を再発見する旅に出かける
早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC)は、宮城県石巻市に震災ボランティアの先遣隊を派遣。石巻は死者・行方不明者合わせて3700名もの犠牲者を出した被災地だ。デニスさんが、受け入れ先へ向かう途中に目にした景色は想像を絶するもので、言葉を失うほかなかった。

「現場での作業内容は、がれきの撤去や流された設備の搬出、泥のかき出しなどでした。初めて訪れた石巻はこれまで自分が見てきた観光地とは対照的で、綺麗な景色どころか快適に過ごせる空間もありません。そこにあるのは粉々に砕け散った家、津波で流されてしまった車だけ。
そのような中、被災して大変な状況にもかかわらず、現地の人からおもてなしを受け、直接話を聞いているうちに、自分がこれまで見ていた観光地は日本の表面にすぎない、こうした人との交流こそ、地方が持つ本来の魅力であると気づかされました。
その後、東京に戻り、シンガポール出身の画家と一緒に「夢のプロジェクト」を立ち上げました。東京の小学校と避難所を回りながら、応援メッセージと絵を描いてもらい、それを被災地の小学校に届けることで、夢を失ってしまった子どもたちに勇気と希望を与えるためのプロジェクトです。もう一度日本を再発見しようと思い、今度はガイドブックに載っていないような場所を中心に、現地の人と交流できるような体験を求めて各地を回りました。旅先では地元の農家さんと話をしたり、その地域に根付いた伝統工芸品に触れたりと、日本の地方や文化に深く入り込むようになっていきました」

グローバルとローカルをつなぐために社会課題解決企業を立ち上げる
その後、早稲田大学国際教養学部を卒業し、社会人経験を経て大学院に進学したデニスさん。大学院では「災害と地域社会」を研究テーマに選択し、インドネシア・アチェとフィリピン・ボホール島、東北・石巻の現地調査に訪れる。そこで直面したのは、地域の置かれている状況や地域が抱える根深い課題だった。折しも、「地方創生」の機運の高まりを受け、多くの人が地方に目を向けるようになっていたときだった。

「日本の地方を深掘りするほど、日本文化の真髄や職人さんの伝統工芸に懸ける情熱に感動を覚えましたが、その一方で地方が抱える課題も見えてきました。例えば少子高齢化や人口減少といった社会課題は、震災が原因で加速したと考えられがちですが、別の見方をすれば、震災により顕在化したとも考えられます。こうした社会課題を解決するために、地方主導で新たな産業を創出するイノベーションが誕生していますが、こうした取り組みを国連や政府主導で推進することは難しいでしょう。
大学院を修了した後は国連で働きたいと考えていましたが、『国連』というグローバルな組織の視点と、『地方』というローカルな人の視点のギャップに違和感を覚えて、復興に取り組む方たちの仲間として地方の課題解決に取り組まなければならないという使命感に駆られて起業しました。その当時の思いが、今もミッションとして掲げている『グローバルとローカルをつなぐ』につながっています。
活動内容としては、留学生と一緒に地方での滞在を楽しみながら、地方の魅力だけでなく課題についても考えるプログラムを企画して実践することが中心です。国も文化も異なる多様な人が日本の地方創生に深く入り込むことで学びの場として地方に価値を生み出しています」
あれから10年より、これから10年 地域の課題は世界の課題
東日本大震災の発生からまもなく10年の月日が流れようとしている。デニスさんは10年を振り返って「あれから10年よりも、これから10年に目を向けたい」と力強く語る。デニスさんに2017年に地方創生と教育を結びつけ立ち上げた社会課題解決型企業BOUNDLESSの今後の展望と、彼自身が思い描くビジョンについて伺った。

「これまで、BOUNDLESSの取り組みを通じて、留学生や帰国生などの国際的なコミュニティを、日本各地の自治体とつなぐことで地方創生・持続可能な発展を目指してきました。たった一人の『地方の魅力を伝え、広めたい』という思いから始まった活動が、今世界に広がろうとしています。
当初は、各国の留学生が日本の地方創生に加わり、地方が抱える課題に対して意見を出し合うことで、地域の人に課題解決の気づきを与えたいという思いで事業に携わっていましたが、現在は、留学生が日本の地方から学ぶことで、海外で同じ課題を抱えている地域の活性に貢献したいという意欲が高まっています。日本の地方が解決しようと今取り組んでいることを自分の国に持ち帰ることで、地域活性化に活用することもできるでしょう。
ここにきて、石巻を訪れた台湾の若者が自身の滞在経験をもとに、地方の取り組みや地域に根ざした活動、イノベーションなどを雑誌にまとめ台湾で販売するといった取り組みも行われています。現在BOUNDLESSは解散していますが、私の夢は今後も日本の地域とグローバル人材がつながっていき、他の国に、現在日本の地方で行われている社会課題を解決するような先進的な取り組みや、先人の智恵が潜む日本の奥深い伝統文化が広まっていくことです。
当時、早稲田大学国際教養学部の学生だった私が直面した東日本大震災の発生から10年が経過しようとしています。私にとって早稲田とは青春であり、新しいことにチャレンジできた場所でした。そして、震災に関わることで私の人生も大きく変わりました。震災を風化させないよう振り返ることも大切ですが、新しいイノベーションを起こす上で大切なのはこれから10年後を見据えること。これからも地方の魅力を発信しつつ、BOUNDLESSで培った経験を活かし、現在日本または世界が直面している社会及び環境問題へ取り組み、地方創成と持続可能な開発に貢献していきたいです」