
2008年度の活動報告
「具体的な制度−特に社会保障制度―をとりあげ、政治哲学と社会的選択理論がその制度の善し悪しを、どのようなプロセスを経て分析し、何を基準に判断しているのかを検討する」準備として今年度は『税と正義』(マーフィー/ネーゲル)の輪読会を下記の日程で実施した。
◆11月28日
◆12月12日
◆2月3日
◆2月26日
◆3月17日
各輪読会は、参加者によるレジュメ報告、それに対するコメント、議論で構成されており、おおむね3時間前後の時間を要した。
予算として計上された図書費は、この輪読会に関係する書籍の購入に使用された。
3月17日の今年度最後の輪読会で、『税と正義』を読み終える予定である。
今期の研究成果としては、リバタリアニズムに対して再分配政策の妥当性を主張する根拠―マーフィ/ネーゲルが日常的リバタリアニズムを批判する根拠―の1つを明白にできたことがある。
リバタリアンによると、「市場が生み出す課税前所得は正しい」のでその状態を歪めるものは「正しくない」。したがって、「課税」は正しくない。
それに対して、マーフィ/ネーゲルは「ある課税が正しいかどうか」を判断する道徳的基準として課税前所得を想定することを批判する。なぜなら、現実には課税前所得を生み出すとされる「市場」自体、「税」によって成立する様々な要件を前提としているからである。しかしながら、このマーフィ/ネーゲルの主張を認めるとしても、政府に公共財供給を任せるために「一括税(一律料金)」のみを徴収し、公共財としての「市場」を機能させるためだけに「税」を限定することは可能である。この背後には、「一括税のみを認めている社会の課税前所得」を道徳的基準として「比例税」や「累進税」など、不公平是正のための税金は「正しくない」と主張する正義論がある。
マーフィ/ネーゲルはこの主張も退ける。彼らが再分配の妥当性を主張するのは、「一括税のみを認めている社会の課税前所得」の構成要素の中に以下の「道徳的に恣意的なもの」が存在するからである。
―意図的に課せられた明示的な障壁
―世襲的な階層化を生み出すもの
―生まれながらの才能の差
これらは「自分」のchoice―功績・責任・意志―によるものではなく、chance―遺産・遺伝的要素・社会状況―によるものなので、これらは道徳的に恣意的なものである。したがって、これらから生じる不平等の是正には道徳的な理由が存在する、ということになる。
このマーフィ/ネーゲルの主張に対して、以下のような議論がなされた。
1)chanceにどれだけ負っているのか、いいかえると社会や制度にどれだけ還元しなくてはならないのか定量的には分からない。ある人からはとりすぎ、ある人からは取り過ぎない、ということが必ず起こる。これはひいては、フリーライダー問題を起こすことにもなり、社会全体の効率を下げる恐れがある。
2)「生まれながらの才能の差」は尊重すべき「人格」の一部ではないか。
3)マーフィ/ネーゲルの再分配政策−税と「生の見通し」の関係は明らかではない。