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国際シンポジウム・会議
第3回 GLOPEシンポジウム  スティグリッツ教授 特別講義概要
国際金融機関の役割 〜成功と失敗および改革への提言〜
The Role of International Financial Institutions; Successes, Failures and Reforms
以下は、4月20日に早稲田大学国際会議場井深記念ホールで開催された、早稲田大学21世紀COE-GLOPE主催 コロンビア大学教授ジョセフ・スティグリッツ教授特別講義の概要である。この概要は、講義をその順序・文言に必ずしも忠実に再現したものではなく、短時間で講義内容の主な論点を理解できるよう適宜加筆・再編成したものである。したがって、この文章の誤りについての責任は、作成者(荒木一法)にある。

グローバリゼーションの功罪

貿易と資本移動の自由化によって急速に進行したグローバリゼーションは、世界経済に恩恵をもたらす一方で、新たな負荷をかけている。とりわけ大きな問題は、グローバリゼーションの恩恵が極めて不均等に分配され、その負荷も不均等に分担されている、という事実にある。大きな恩恵を少ない負荷で受け取る地域・国・個人が存在する反面、ほとんど恩恵を受けず、大きな負荷を負うことになった地域・国・個人が存在する。国家というレベルでみれば、北米や西欧の国々は大きな恩恵を受ける一方で、サハラ以南のアフリカ、ラテンアメリカの国々においては、その恩恵は総じて小さいか、むしろ負担のほうが大きかったといえよう。また、国家のレベルでは、総じてプラスの影響を受けた国においてすら、その恩恵が及んだのは主として富裕層に限られたため、個人レベルでみれば、マイナスの影響をうけたグループが過半をしめるといった状況にある。すなわち、グローバリゼーションは、結果的に、国家間および個人間に存在する不均等をさらに拡大させてしまったのだ。
このような議論に対して、東アジアの諸国や南米チリのように、グローバリゼーションの波のなかで先進国を上回る急速な成長をとげるとともに、国内的にも不均等の軽減を実現した例がある、という反論もあるかもしれない。しかし、これらの国々では、政府が、いわゆる市場至上主義(マーケット・ファンダメンタリズム)から距離をおいた政策をとったことに注意すべきである。これらの国々の政府は、資本市場の自由化を一気に実現することを拒み、経済の発展に応じて段階的に自由化する道を選ぶとともに、貿易の自由化についても慎重で、産業政策を重視したのだ。また、チリにおいては、鉱山関係の国営企業の民営化を部分的なものにとどめ、国営企業のあげる収益を教育・医療分野に再投資して結果的に経済を安定化させ、好循環を生み出すことに成功したのである。
留保条件なしの自由化は、われわれが直面する問題を改善するどころか、むしろ悪化させてきた。したがって、われわれは、市場至上主義に身をゆだねることなく、市場の性質をよく理解し、目的に照らしてコントロールすることを目指すべきである。

国際金融機関の役割

今日の講義の本題である国際金融機関の役割に話を移そう。そもそもIMF、世界銀行、バーゼル委員会といった国際金融機関に付託された役割、あるいはそれらが担うべき役割とは何なのであろうか。
アダム・スミスの「見えざる手」の議論以来、経済学者は長い年月をかけて、その手を見ようとしてきた。20世紀の半ばにアローやドブリューらによって精緻化された一般均衡理論は、どのような条件のもとで市場はよい結果(効率的な資源配分)をもたらすのかを明らかすることで、現実の経済においてはその実現がほとんど不可能であることを示した。
「見えざる手」は見えないのではなく、存在しなかったのだ。
公共経済学の教科書が教えるとおり、市場の失敗をもたらす原因があるとき、すなわち外部性が存在する場合や、公共財の供給に関しては政府による市場への適切な介入は経済の効率性を高める。この議論をそのまま延長すれば、国際金融機関のような国際機関が担うべき役割には、少なくとも、国際外部性の補正や、国際公共財の供給が含まれることになる。具体的には、グローバルな環境問題への取り組み、グローバルな経済安定化への取り組みなどがその例である。これらの分野では、各国政府の協調的行動なくして目標の達成はありえず、国際機関は必要なコーディネーションを実現するという重責を担うことになる。
特に国際金融機関に求められる重要な役割は、「経済の安定化」である。ある国において経済が不安定化し、危機が発生すると、それは伝染病のように他国へ伝播するので、「経済の安定」はまさに国際公共財なのである。

IMFの失敗と経済危機の原因

ここからは、議論の対象をIMFに絞ることにする。IMFは、まさにグローバル経済の安定化を図るために設立された機関である。しかし、元来、資本移動の規制・固定相場制を念頭に設定されたIMFの政策目標は、資本移動の自由化、変動相場制への移行をへて大きく変化した。具体的には70年代以降、発展途上国への融資を展開するとともに90年代以降はロシア・東欧地域のいわゆる移行経済に融資を行ってきた。これらの融資は、本来の目的、「経済の安定化」から逸脱したものであっただけでなく、むしろ本来の目的に逆行するものであった。すなわち、これらの融資および融資条件は、これらの国々の経済を不安定化させ、経済成長を阻害してしまったのである。以下では、まず、IMFが犯した「過ち」を概観した上で、国際金融システムに潜む危機の原因を考察することにしよう。
第一の過ちは、IMFのよる融資条件が、順循環的であったことにある。伝統的なケインズ流のマクロ経済学の教科書に従えば、経済安定化を図るには、不況の際には拡張的な財政・金融政策をとり、好況の際には緊縮的な財政・金融政策の運営が求められる。すなわち逆循環的な財政・金融政策が求められる。しかし、IMFによる融資条件は、危機にある国にたいし、緊縮的な財政・金融政策を求める順循環的なものであった。これは、民間金融機関が債権の回収可能性を重視し、「晴れのときに傘を貸したがり、雨のときには取り上げようとする」といわれるのと同じ行動であり、経済危機の折、民間金融機関の行動によって危機が悪化するのを防ぐどころか、それを助長させてしまったことを意味する。
第二の過ちは、ナイーブな資本市場の自由化の信奉である。IMFは各国に資本市場の自由化を求めてきたが、そこには十分な理論的根拠は存在しない。あるのはただ、「制約=悪」、「より大きな自由=善」であるというイデオロギーである。急激な資本市場の自由化は、短期資本の急速な流入と流出による経済の不安定化を招くという懸念は、不幸にもアジア通貨危機で実現してしまった。
このようにIMFは、危機の際に誤った政策をとってしまった。しかし、そもそも途上国や移行経済国において度重なる危機がおこるのはなぜなのであろうか。危機が稀な事象であるならば偶然のなせる業をして片付けることも可能であろうが、これほど繰り返しおこる以上、国際金融システムそのものに問題があるといわざるをえない。一体何が問題なのだろうか。
第一の要因は、システムが経済主体間のリスク再配分を適切におこなうように設計されていないことにある。金利や為替の変動は各国にとってリスク要因であることは議論の余地がない。本来、リスクはリスク負担能力が高く、またリスク回避度が低い富裕層や先進国が負うべきものであるにもかかわらず、実際には、途上国の多くがドル建ての債務を負うことによって大きなリスクを負担している。為替や金利に大きな影響を及ぼすアメリカの金融政策は、それが他国の経済に及ぼす影響を考慮することなく、決定される。国際金融市場では、十分なリスク負担能力のない国が過重なリスクを負わざるを得ない状況に置かれているのだ。
第二の要因は、安定化のために存在する「準備制度」そのものに内包された矛盾である。各国が債務不履行のリスクに備え、準備をアメリカ財務省短期証券で積むという制度自体が、アメリカの債務の膨張を可能にし、ドルの先行きを不安定にしているのみならず、途上国がアメリカにたいし事実上の「援助」をおこなう構造になっているのである。途上国が、アメリカの民間金融機関からの高利の融資をうける際に同額の財務省短期証券を購入すれば、元本は事実上相殺され、借入期間を通じて金利差分だけ途上国からアメリカに資金が移転されてしまう。これは豊かな国をより豊かに、貧しい国をさらに貧しくしてしまう制度なのだ。
第三の要因は、IMFなどによる救済措置そのものがモラルハザードを生むことにある。このモラルハザードには、救済を受ける借り手側に発生する通常のモラルハザードに加えて、もう一つの側面がある。それは、投機家に発生するモラルハザードである。救済対象国経済の安定化のために、資金を提供し均衡レートから乖離した為替維持政策を実施すると、それは投機家の格好の餌食をなってしまう。結局、資金は本来の目的のためではなく、投機家を富ますことに使われてしまうのである。

IMFの改革

以上のべてきたことをふまえ、IMFの改革の方向性を示そう。
第一に、これはすでに実現しつつあることでもあるが、IMFはその本来の目的である経済の安定化に専念するべきである。すなわち、途上国や移行経済国への開発融資からは手を引くべきである。しかし、それはIMFが開発問題に対し無関心であってよいということを意味するものではない。IMFは自らの政策が、各国に対しどのような影響を持つかを金融面のみならず広範な視点で評価したうえで、政策を遂行するべきである。
第二に、IMFは組織改革をおこなうべきである。組織においては、誰が、どのように意思決定をおこなうかが結果に大きな影響をもつ。IMFの場合、意思決定者である理事会の構成は主要な出資国である先進国にかたより、出資金に応じた投票権を持つ。また、アメリカ一国が主要人事ならびに具体的決定事項につき事実上の拒否権をもつという実に歪な構造となっている。結果的に、IMFの決定には債権国の意志は大きく反映されるのに対し債務国の意志はほとんど反映されない。加えて、事実上の権限をもつアメリカ財務省やIMFそのものが、民間金融界との人的つながり、交流が密接なので、IMFの意思決定に民間金融機関の意向がつよく反映されてきた恐れすら存在する。このようなインセンティブ構造のもとでは、IMFが適切に意思決定をおこなえるとは考えにくい。IMFは、意思決定者の選任、および意思決定過程を真の意味で民主的なものとし、透明性を高めていくべきである。民主主義は完全ではなく、過ちを犯してきたが、他によりすぐれたシステムがないという意味で最善のシステムである。
従来、十分な研究がおこなわれてこなかった国際機関の内部構造を分析し、そのあり方を探ろうとする早稲田大学21世紀COE−GLOPEの新しい研究プロジェクトに期待したい。
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