早稲田に歴史あり

〜第4回〜
春城市島謙吉と図書館

大学史資料センター 非常勤嘱託
木下 恵太


 市島春城─高田早苗・坪内逍遙・天野為之と並び、「早稲田四尊」の一人と称される。しかし、市島が早稲田大学の発展にどのように貢献したのか、あまり知られていないのではなかろうか。

 市島は高田・坪内・天野等と東京大学の同窓であり、「ともに神田の天ぷら屋で文学などの議論を闘わせた」という仲間の一人であった。そこで、市島も高田等と共に、1882(明治15)年の東京専門学校(現在の早稲田大学)創設に参加しているが、ほどなく郷里の新潟県に帰り、新聞社を創設している。さらに、郷里より衆議院議員となり、改進党系の中堅政治家として活躍した。しかし、市島は政治の世界に限界を感じはじめ、体調を崩したのを機に、政治家をやめてしまった。

 そのような市島に目をつけたのが、東京専門学校学監の高田である。当時、高田は早稲田大学開校に尽力しており、その開校事業の中心が大学図書館の設立であった。高田はこの図書館の初代館長に、和漢の学に精通する市島を迎えたのである。以後15年、市島は図書館の整備に没頭することになる。

 市島は滅びゆく和漢の古籍を収集するため古書店に通いつめ、「一冊をも逃すまい」と連日その奥座敷に陣取っていたという。「わずか三四年の間に数万冊を購入し、無理な購入をして毎年金策の苦心をした」と、市島は後に回想している。しかし、関東大震災後はこれらの書籍の多くが稀覯本となり、現在では本学図書館の貴重な宝となっている。

 また、市島は資料の死蔵を嫌い、積極的な公開を試みるなど、図書館におけるさまざまな課題に取り組んだ。後に初代日本図書館協会会長にも就任しているが、日本有数の私学の図書館を育て上げた市島の功績は、やはり見事であったといえるだろう。

 写真の銅像はこのような市島を記念し、昨年(生誕150年)3月、本学中央図書館エントランスホールに建立されたものである。ぜひ一度本像の前に足を止め、市島の事績の一端を偲んでいただきたいものである。

左から市島春城・高田早苗・坪内逍遙・浮田和民
▲左から市島春城・高田早苗・坪内逍遙・浮田和民

春城市島謙吉銅像
▲春城市島謙吉銅像


 
1247号 2011年6月23日掲載