OG・OBインタビュー 

野球評論家 桑田 真澄さん

 1983年の高校野球での鮮烈なデビュー後、日米の野球界で活躍された桑田真澄さん。2009年4月からは本学スポーツ科学研究科修士課程1年制に在籍し、本年3月に同研究科を修了した。インタビューでは桑田さんが早稲田大学に対して抱いていた憧れや、野球に対する想い、学生に贈るメッセージなどを熱く語っていただいた。

【プロフィール】
1968年 4月1日大阪府出身。1983年PL学園で1年時から活躍し甲子園で20勝。1986年ドラフト1位で読売巨人軍入団。2年目からチームのエースとして活躍するが95年に右肘側副靭帯断裂の重傷を負い左手首から健全な靭帯を移植する手術を受ける。手術は成功し97年に復帰。日本プロ野球(NPB)在籍21年間で173勝。2007年に米大リーグ(MLB)に挑戦し、ピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約。6月10日にニューヨーク・ヤンキース戦でメジャー初登板を果たす。2008年に現役引退。2009年4月に本学スポーツ科学研究科修士課程1年制に入学。10年1月には論文「アマチュア野球の抱える課題に関する研究-現役プロ野球選手に対するアンケートをもとに-」で濱野吉生学術賞を受賞。10年3月卒業。

子守歌は都の西北!
 子どものころの子守唄は祖母が唄う「早稲田大学校歌」。祖父が早稲田大学の出身だったことから祖母が『都の西北』を唄ってくれました。祖母が唄うと「わせだわせだ」ではなく「わしぇだわしぇだ」(笑)。だから僕の中では「わしぇだ」なんです。そのようなこともあって中学生の時点で「早稲田で勉強をしたい」という夢ができました。
 スポーツ科学研究科に入学した理由は、スポーツマネジメントを通じて大好きな野球をより深く掘り下げようと思ったからです。学部に入学して勉強することも考えていた矢先に、早稲田でスポーツマネジメントが学べるスポーツ科学研究科ができたと知り、強い縁を感じました。入学後、授業を受ける上で心がけたことは、「授業は一番前の席に座って、分からないことは何でも先生に聞く」ということ。質問することは恥ずかしくなんかない。分からないことを笑われてもいいのです。その場で分かった方がいいのですから。最初は一番前に座って、受講しているのは僕がひとりで、ほかの人たちは後ろの席にかたまっていましたが、2~3週間後には、後ろに座っていた学生たちが僕の真後ろにまで迫って授業を聞いていました。僕が質問する姿を見て、何かを感じてくれたのかもしれません。
 野球評論家などの活動を続けながら前期は週5日間の授業に出席しました。最初は課題のレポートをこなすことが特に大変で、1年間続けることができるのか不安な時期もありましたが、それでも何とか両立できたのは先生や仲間のおかげだと思います。

野球が好きな人は同志であり仲間
  僕は大好きな野球に恩返しをするために、野球界に改善のための意見や提案をどんどん行いたいと思っています。自分は高校野球や日米のプロ野球で実績と経験を積み上げてきましたが、それだけで野球について意見したくないんです。野球界には「俺にはこれだけの実績があるのだからこれが正しい」という論客が多いのです。たとえばMLBの平均年俸が3億円だとして、NPBも同じ水準にしたいって選手は言いますよね。でも資金調達の仕組みや運用体制が分からないと手のつけようもないですよね。僕は物事の裏側にある仕組みや科学的な根拠を踏まえた上で意見したい。そういった意味では大学院で法律学、経営学、統計学、財務会計、組織論などを勉強できたのは貴重な経験ですし、ここで得た知識を活用することが大事だと思っています。
 修士論文に相当するリサーチペーパーでは現在も根強く残る「精神野球」や「根性野球」のルーツを踏まえた上で、今後の野球界の改善や発展について考えました。良い伝統は継承しつつ、理にかなっていないことは変えていきたい。野球界にはいまだに走り込み、打ち込み、投げ込みという「貯めこむ」という思想が残っています。しかし、夏場のスタミナを確保するために2月に走りこんで夏場のスタミナは蓄えられるのでしょうか。また、理不尽な「しごき」や「上下関係」「体罰」で野球を楽しめますか。 こうした誤った認識や練習が嫌で、野球から離れてしまった人が大勢いるのです。誤った常識は改革したい。そのためには指導者が健全な「育成」という理念を掲げて指導すべきです。
 今後の夢は僕の考えに共感する同志を増やすこと。特に子どもに野球を教える父親に共感してもらいたいと思っています。野球を教わった子どもたちが将来、大人になっても野球を好きでいてほしい。プロ野球選手になることもいいことですが、プロ野球選手にならなくても、スポーツドクターになる、少年野球の指導者になる、スポンサーになる、チケットを買って試合を見るなど、あらゆる立場の人たちが野球に携わることで野球界に好循環を生み出せるようにしたいのです。僕にとって、野球が好きな人すべてが好循環を生み出す大切な仲間であり同志なのです。

夢ははあきらめない
  改めて思うことはいくら時間がかかっても夢は簡単にあきらめてはいけないということ。
 僕の場合「メジャーリーグに行く」という夢は20年後、「早稲田で勉強する」という夢は24年後に実現しました。これまでいろんな困難がありましたが、どんなにつらい状況でも自分の信じた道を歩んできました。野球で例えれば「ノーアウト満塁」になっても切り抜けて0点に抑えて勝つことだってある。どんな状況でも希望はあるのです。先のことは誰もわからない。だからあきらめずに日々精いっぱい努力する。早稲田で学ぶことができ、改めて日々努力していくことが大事だとキャンパスを歩くたびに実感しました。
 最後になりますが、学生のみなさんにはスポーツと勉強と恋愛をしてほしいです。すべては自分を磨くことにつながります。ただし「貯めこむ」ことはできませんから、これらをバランス良く行うことが大事だと思います。

「野球道」の再定義

 
1219号 2010年6月10日号掲載