石井めぐみさん
女優
石井めぐみ
(いしい・めぐみ)
 1958年東京都生まれ。81年早稲田大学教育学部卒。在学中に松竹映画『夜叉ヶ池』で芸能界デビュー。講演や司会、ドラマ、ワイドショーを中心に活躍する一方、障害を抱えて生まれた長男の成長を綴った『笑ってよゆっぴい』を執筆。重度障害児の親の会「てんしのわ」を発足し、障害者と健常者が共に生きる町作りを目指した啓発活動も行っている。
【webサイト】
「てんしのわ」
「石井めぐみ.com」
  特別寄稿

「ゆっぴい」と生きて

女優・石井めぐみ(教育学部OG)

 自分の子どもが障害を持って生まれてくるなどと考えたこともなかった。「障害者」という言葉は知っていても、どこか遠い世界の存在だった。だから、出産直後に優斗が救急車で別の病院に運ばれていった時でさえ、元気になって帰ってくれば普通の子育てが始まるのだと思っていた。ところが、1週間経って医者から告げられたのは、私の息子が「目も耳も、手も足も機能しない重度の脳性マヒ」という言葉だった。

 簡単に受け入れることはできなかった。障害を治そうと、ありとあらゆる訓練を行った。障害を治して健常児にすることだけが、幸せにつながる道だと信じていた。しかし、もちろんそんなことはありえない。ストレスからくる悪性症候群で呼吸まで止まりかけた優斗を見て気が付いた。「この子にとっての幸せは障害を治すことではない。障害を持ったまま楽しい生活を送ることが大切なのだ」。

 遅いスタートではあったが、ようやく障害を持つ息子と向き合うことができた。落ち着いて観察してみれば、何もできないと思っていた優斗には、生活を楽しめる要素はいくつもあった。ディズニーの歌や音楽が好きだった。子どもの声も好きだった。優しく抱っこされると嬉しそうだった。

 それなら、好きなものをどんどん与えてやろう。いろんな場所に連れて行き、好きなものを増やしてやろう。「今日は何をして楽しもう」そんなワクワクした日々を、私自身も送れるようになった。

 気持ちは楽になったが、実際の生活はもちろん楽しいことばかりではない。寝たきりで物を食べることもできない子どもの24時間介護は肉体的にはつらかったし、それ以上に「障害児を連れて外に出ること」の精神的な苦痛は、経験値の低い私には耐え難いものだった。

 ベビーカーに乗った優斗にニコニコしながら近づいてきた人が、鼻に入れた経管栄養のチューブを見て顔色を変えて走り去る。筋肉の緊張で身体をのけ反らせる優斗の姿を見て、悲鳴を上げて大騒ぎする。

 ある時、ファミリーレストランで食事をしていた私たちのそばに、3歳くらいの小さな男の子が近寄ってきて、「これなあに?」と鼻のチューブを指さした。すると、答えようとした私の目の前に、その子の母親らしき女性が血相を変えて飛んできた。「見ちゃダメ!」。女性は子どもの目を自分の手で覆い隠し、抱きかかえて走り去った。

 悔しくて情けなかった。何の落ち度もない、人一倍頑張って生きている優斗が、人として認められないことが理不尽でならなかった。

 「障害を持つ子どものことを、みんなに知ってもらおう。興味を持って見てもらうことから始めれば、やがて理解へとつながって行くはずだ」。

 ありがたいことに、こんな仕事をしている私の下に優斗は生まれてきてくれた。これを利用しない手はない。テレビ番組を作ろうと思った。

 賛同してくれた友人たちの協力を得ながら、3年がかりでようやく完成させた。

 「ゆっぴいのばんそうこう」は、ゴールデンタイムの放送で、視聴率は23.7l。ドキュメンタリーとしては驚異的な数字だった。

 街の中が少しずつ変わってきた。目を背けていた人たちが、振り返り、声を掛けるようになった。車いすの子どもたちがどんどん外に出るようになった。

 人は知らないものに対して臆病だ。接し方が分からないと面倒だから見ないふりをする。逆に、ほんの少し知ることで興味が湧き、人と人を隔てる壁は自然と低くなっていく。

 小さな、重い障害を持った息子が残した足跡は、思いのほか大きな力を私たちに与えてくれたのかもしれない。

(2004年12月24日掲載)




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First drafted 2004 December 24.