どらま館の歴史
History

どらま館のこれまで Chronology

1966年 早稲田大学自由舞台出身の鈴木忠志、別役実、小野碩、高橋辰夫らが劇団早稲田小劇場を結成。同年10月に劇団の常打ち小屋「早稲田小劇場」落成。柿落し講演は『マッチ売りの少女』(作・別役実、演出・鈴木忠志)。
別役や佐藤信の書き下ろし作品や、『劇的なるものをめぐって』シリーズ等を次々と発表し、国内外の注目を集める。
早稲田劇場(写真提供:劇団SCOT)
早稲田劇場(写真提供:劇団SCOT)
1976年 建物の賃貸契約終了に伴い、鈴木らは富山県東砺波群利賀村(現・南砺市)へ活動拠点を移し、利賀山房を開場。
その後、劇場は「早稲田銅鑼魔館」と名を変え民間経営されるようになる。
 
1978年 銅鑼魔館開場記念として早稲田小劇場により『サロメ』上演(構成・演出鈴木忠志)。
以降、渡辺守章演出『女中たち』や郡司正勝作『魂祭黙我壷』など第一線の研究者が携わる公演が催された他、加納幸和事務所や千賀ゆう子企画など旗揚げ間もない若手劇団の作品も上演される。90年代に入ると学生劇団の利用が目立つようになる。
拙者ムニエルや東京オレンジなど後に実力派俳優を輩出する人気劇団も利用していた。
 
1997年 早稲田大学が買取り、「早稲田芸術文化プラザどらま館」として学生団体に貸し出すようになる。
三浦大輔らのポツドールや長塚圭史らの阿佐ヶ谷スパイダースなどの人気劇団が巣立っていった。
他にも劇団てあとろ50'、劇団森、CAB DRIVER、早稲田大学演劇倶楽部、ろりえなど、数多くの学生劇団に活動の場を提供した。
早稲田芸術文化プラザどらま館
早稲田芸術文化プラザどらま館
2012年 耐震強度不足のため閉館。同年夏に取り壊される。 多くの人気劇団を輩出した
多くの人気劇団を輩出した
2015年 4月30日、新劇場「早稲田小劇場どらま館」開館 正面外観
「緞帳」をイメージした正面外観
早稲田大学
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