2017年度公募研究課題3「視覚文化史における幻燈の位置」

国際シンポジウム

日本のスクリーン・プラクティス再考

視覚文化史における写し絵・錦影絵・幻燈文化」

基調報告1

日本の幻燈文化の再検討

草原真知子


写し絵、錦影絵、幻燈にかかわるようになってから随分経ちますけれども、今日は先ほど(企画趣旨の中で)大久保さんから紹介されたような今までの研究調査を含めて、幻燈文化についてどのようなことが研究テーマとしてあり得るのか、その中でもどの部分がどの程度分かってきたのか、そして私自身がどのようなことを手がけているのかについて、簡単に紹介したいと思います。

今までに調査され、今私たちが研究の課題にしていることには、このような内容があります。

・日本における写し絵、錦影絵、幻燈の関係
・(写し絵・錦影絵を含めた)日本の幻燈文化の「トランスメディア」的性格
・幻燈文化と画像のリアリティ(錦絵、石版画、ポンチ絵、写真)
・幻燈が映し出す「日本」と海外との情報の流通
・幻燈の表象とその変化
・社会の変化(封建社会→文明開化→軍国主義)と幻燈の役割
・モバイル、DIY、パーソナルな映像(写し絵・錦影絵・幻燈・小型映画が持っていた可能性)vs 映像マスメディア

まず、日本における写し絵、錦影絵、幻燈の関係というのも、必ずしも自明ではなく、今になってようやく分かってきたことが結構あります。これは今日、配布資料としてお渡ししていますが、国立劇場で錦影絵の公演と無声映画の催しがあった時に、池田さんと私が寄稿させていただいたものです。ちょうど池田さんのものがよくまとまっていますので、歴史的な部分についてはこの資料を見ていただければと思います。

それから幻燈文化のメディア横断的な性格があります。この前ユトレヒト大学での講演の時に、「それはトランスメディアだ」と言われましたけれども、幻燈に限られない、先ほど向後さん遠藤さんの発表にもありましたが、様々なメディアに同じ人たちが関わっていたり、同じテーマが様々なメディアを横断して移っていくような場合があります。

それから画像のリアリティの問題。もともと浮世絵をそのまま絵にしたような写し絵、錦影絵から、写真、石版画、木口木版などリアルな画像が入ってきたときに、幻燈の中にもいかにも「写真的な」画像が入ってくる。私は別の研究でパノラマを扱っているのですが、日本のヴィジュアル・カルチャーの中でリアリティというものがいかに移り変わってきたか、という点も、幻燈や写し絵を含めた変化から見ていくことができると思います。遠藤さんが写真という点から研究していることが、これから手がかりになるのではないかと思います。

日本と海外の関係で言えば、これも遠藤さんの禁酒運動のスライドについての報告にありましたが、実際に日本から様々な幻燈が海外に送られる、また海外の人がスライドを日本で買って帰る、作って持って帰るということがありました。「幻燈の表象とその変化」については、あとで玩具絵(おもちゃ絵)の話を含めて紹介しますが、これから研究を進めていく必要があるテーマだと思います。

次に社会の変化です。写し絵から幻燈へ、そして紙芝居というメディアに変化していくわけですが、日本が近代国家として統一を図り、さらに文明開化、軍国主義へと進む中で、幻燈がどういった役割を果たしていたかという点については、まだまだ研究の余地があると思います。これは鷲谷花さんが研究を進めています。

今までの項目と少し趣旨が違うかもしれませんが、このあとみんわ座と池田組の上演が実際に行われるわけですけれど、写し絵や錦影絵はモバイルな幻燈機を使った表現であるという側面があります。また、幻燈は人々が自分たちでスライドを作ることができました。これは幻燈だけでなく、小型映画など自分たちでコンテンツを作る、撮影する、そしてそれを人に見せるという文化がありました。それが映像マスメディアの中に呑み込まれていったという側面がありますが、それに対してパーソナルな映像の可能性を考えるという方向性があります。

それぞれの項目についてもう少し詳しくお話ししますが、写し絵と錦影絵、幻燈についてはようやく最近その関係が分かってきたように思います。ただ、幻燈は幕末に西欧からかなりの数が持ち込まれたと言われていて、たとえばマジシャンなどもそれを手品であると言って紹介したと言われていますが、その経緯はまだ研究の余地があるかと思います。

明治期には「大幻燈会」が日本でも開催され、こうした幻燈会に人々が集まって、たとえばお寺とか学校など公共の場で幻燈会をしていました。この大幻燈会が世俗的なメディアとしての役割を果たしていたわけです。左側は「金のなる木」というスライドを投影している絵です。明治時代になってそれまでとは商売のやり方が変わった時に、どうやってお金を儲けるかというテーマが幻燈会の中で取り上げられました。これは玩具絵とか引札で描かれています。そうした中で、教育幻燈会が非常に重視されるようになりました。これは鶴淵初蔵の「教育必用幻燈振分双六」の「振り出し」の部分ですけれども、教育によっていかにこれからの人生が開かれるかというテーマで幻燈会が行われています。

次は玩具絵ですが、この2枚は「教育大写絵」と「教育幻燈会」というタイトルになっています。玩具絵とは何かと言うと子どもが遊ぶための錦絵で、この絵の丸いところを切り抜いて、下に描かれているスライドの絵を当てて横に動かすと、あたかも写し絵や幻燈を見ているかのような遊びができるわけです。右は教育的な内容にも見えます。左のものは教育とは全然関係ないと思いますが、「教育」というタイトルを冠することで有用なイメージを与えています。

これも玩具絵ですが、だるまなんかも出てきています。これは明治時代のものですが、こうしたものを利用して自宅で遊ぶ写し絵ごっこをしていたわけです。さらにこれを見ると「改良セリフ付き写し絵」とか「ホトトギス活動写し絵」と書かれています。新しく映画が登場したり、ホトトギスという芝居が流行すると、それが写し絵と結びついて受容され、解釈されていくということがありました。「写し絵西洋手品」とか「佐倉宗吾かげえ」などもあります。これは「影絵」と呼ばれていますが、実は写し絵のようになっています。これは「新板(新版)影絵尽くし」です。この場合は立ち絵と言って、つまりこの影を切り抜いて、割り箸みたいなものを挟んで回転させることで、写し絵の早変わりを演じるという形で楽しまれていました。山本慶一さんの本にも書いてありますけれども、写し絵から立ち絵へ、というわけです。

これは昭和初期のものですけれども、昭和期までこういうものが流通していて、人々はこれを知っていたということになります。ちなみにこれは最後の錦影絵師と言われている富士川都正が描いた正月に枕の下に敷くための宝船ですが、まさにプロジェクション・メディアが描かれていて、これが昭和7年のものです。さらにゾートロープにもだるまが登場します。写し絵、錦影絵、あるいは他の光学玩具が連続的につながっていることが分かると思います。また大幻燈会や教育幻燈というのは、元々はショーマンが開催するものだったのですが、だんだんと幻燈が普及してくると、ホームエンターテイメントとしての幻燈が出てきます。

このように、そもそも大衆視覚文化においては境界というものが設定されているわけではありません。我々の側が研究ということで今まで縦割りにしてきたことの方が、大きな問題なわけです。たとえば、これは果たして実際に幻燈として存在していたかわからないですが、「幻燈双六」として出版されていた例です。あるいは「教育衛生幻燈双六」というのもあります。次は先ほど触れた「教育必用幻燈振分双六」で、先日のユトレヒトのシンポジウムで発表した内容ですけれども、鶴淵初蔵が自分の幻燈の宣伝をしていて、この人は教育に非常に熱心だったので、幻燈だけでは十分でないと考えたのか双六も出版しています。さらに折りたたみの和本のバージョンもあって、これにも同じ図柄が使われています。おそらく幻燈の時に弁士が解説する内容が、こちらでは文字で印刷されています。先ほど大久保さんからスライドとカタログの関係の調査について話がありましたが、たとえばスライドとカタログと双六と和本が一致する例があります。実際カタログを調べてみると、双六の方に出てくる全ての図柄がカタログに掲載されていることが分かりました。

時間がなくなってきましたけれども、その一方で幻燈とナラティブの結びつきというのがあります。その代表的な例というのが、幻燈から紙芝居へという戦後の状況だと思います。それにレコードや蓄音機が加わると「エバナシトーキー」などのメディアが出てきます。また色彩についていえば、当時横浜写真の着色技術というのが非常に素晴らしい水準で、同時に幻燈のスライドに着色するのが日本人はうまいということで、日本でスライド作って帰っていく。そうすると、向こうに帰った時に日本とはこういう場所だという幻燈会をやる。実際、モースは日本から帰国して幻燈会をやって、それを見たフェノロサが感銘を受けて日本にやってきたという話があります。

また「幻燈の表象とその変化」ということで、幻燈が何を意味したかということですけれども、写し絵の場合にはお化けが登場するものが非常に多く、また右の方の絵の場合は、鏡としての写し絵、つまり自分の想像が描かれているのですが、それが写し絵という言葉で現れている。あるいは幕末になってくるとその時々の流行というものが写し絵の形で現されていく。これは明治期の楊州周延の「幻燈写心競」ですけれども、幻燈が心の中を映し出すものとして描かれている。一方で日清戦争の頃になってくると非常にアイロニカルな、社会の中のリアリティを映し出すものとして幻燈という言葉が出てきます。

時間がなくなってしまいましたが、幻燈には様々なテーマがあって、実は非常にリッチなフィールドです。その中で重要なことは、今紹介したような様々なメディアの中に登場する幻燈と関連した視覚文化を紐付けていくこと、そしてその中で幻燈が意味しているものは何かを明らかにしていくことだと思います。

以上、簡単ですけれども私の発表を終わります。


シンポジウム記録・目次

14:00-14:10 開会のことば・趣旨説明
14:10-14:30 共同研究報告「視覚文化史における幻燈の位置」(大久保遼・向後恵里子・遠藤みゆき・上田学)
14:30-14:50 基調報告1 草原真知子(早稲田大学)
14:55-15:40 基調報告2 エルキ・フータモ(UCLA)
15:45-16:00 休憩
16:00-16:25 写し絵上演と解説 劇団みんわ座 山形文雄(みんわ座代表)
16:25-16:50 錦影絵上演と解説 錦影絵池田組 池田光恵(大阪芸術大学)
16:50-17:50 パネルディスカッション「日本のスクリーン・プラクティス」(山形・池田・草原・フータモ)
17:50-18:00 質疑応答・閉会のことば

主催:早稲田大学演劇映像学連携研究拠点 平成29年度公募研究「視覚文化史における幻燈の位置:明治・大正期における幻燈スライドと 諸視覚文化のインターメディアルな影響関係にかんする研究」
共催:早稲田大学文化構想学部表象・メディア論系